まいにちポップス(My Niche Pops)

令和元年初日から毎日更新中〜1日1ポップス。エピソード、歌詞の和訳、謎解き、マニアックな捜査、勝手な推理、などで紹介していきます。text by 堀克巳(VOZ Records)

「マイ・シェリー・アモール(My Cherie Amour)」スティーヴィー・ワンダー(1969)

 おはようございます。

 今日はスティーヴィー・ワンダーの「マイ・シェリー・アモール」です。


My Cherie Amour

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(La la la la la la, la la la la la la)
My cherie amour, lovely as a summer day
My cherie amour, distant as the milky way
My cherie amour, pretty little one that I adore
You're the only girl my heart beats for
How I wish that you were mine


In a cafe or sometimes on a crowded street
I've been near you, but you never noticed me
My cherie amour, won't you tell me how could you ignore
That behind that little smile I wore
How I wish that you were mine


(La la la la la la, la la la la la la
La la la la la la, la la la la la la)


Maybe someday, you'll see my face amoung the crowd
Maybe someday, I'll share your little distant cloud
Oh, cherie amour, pretty little one that I adore
You're the only girl my heart beats for
How I wish that you were mine


(La la la la la la, la la la la la la
La la la la la la, la la la la la la)

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僕の最愛の人 夏の日のように愛らしく

僕の最愛の人 天の川のようにはるか遠く

僕の最愛の人 僕が慕うかわいい人

君だけが僕の胸を高鳴らせる

君が僕のものだったらどれだけ素晴らしいだろう

 

カフェの中でも、にぎわう通りでも

君のそばにいたけど 君は僕にはちっとも気づかなかった

僕の最愛の人 どうか教えてくれないか

どうして君が無視できるのか

かすかに浮かべた笑顔の裏で

君が僕のものになってほしい願っていることに

 

たぶんいつか 君は人ごみの中で僕の顔を見つけるだろう

たぶんいつか 今は遠くにある君の思いを僕は分かち合うのさ

ああ、最愛の人 僕が慕うかわいい人

君だけが僕の胸を高鳴らせる

君が僕のものだったらどれだけ素晴らしいだろう    (拙訳)

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 天才スティーヴィーが16歳の時の作品、ヒントとなったのはビートルズの「ミッシェル」

 

 スティーヴィー・ワンダーは最初は、盲目でいながらどんな楽器も演奏できる天才少年として注目されました。

 彼の所属先、モータウン・レコードの社長ベリー・ゴーディや他のスタッフも、すごい才能だと思ってもどういう方向性で売るべきかわからなかったようで、彼のデビューアルバム「The Jazz Soul of Little Stevie」は、ジャズのビッグバンドのインスト・アルバムでした。彼はまだ12歳でしたが、曲によってハーモニカ、オルガン、ピアノ、ドラム、ボンゴと楽器を変えて演奏しています(ベリー・ゴーディが最初に注目したのは彼のハーモニカの才能だったと言われています)。 

 

 そして、その翌月には「レイ・チャールズ(Tribute to Uncle Ray)」というレイ・チャールズのカバー・アルバムを彼はリリースします。同じ盲目のシンガーであり当時の大スター、レイ・チャールズを12歳の少年がカバーするというのは企画としては十分理解できます。

 しかし、ビッグ・バンド・ジャズもレイ・チャールズ路線もまったくヒットせずに終わってしまいます。

 

 そんな中、彼のライヴ・パフォーマンスのすごさが評判なりはじめます。まだ彼は未成年でしたからクラブでのライヴはできませんでしたが、モータウンのアーティストを集めたパッケージ・ショーで他のメインアクトを食うほどの熱演をすし、大いに盛り上げていたのです。

 そこで、モータウンは彼のライヴ・レコーディングを行うことに決めます。

 そして、そこからファースト・アルバムに収録されていた「Fingertips」という曲のライヴ音源をシングルとしてリリースすることになります。曲は6分半もあったので、パート1、パート2と分け、それをA面B面に振り分ける形でシングルに収められ、そのうちメインパートである”パート2"が大ブレイク、全米1位の大ヒットになったのです。


Fingertips (Part II)

   ポップ・ミュージック史上屈指の天才クリエイターは、最初はマルチ・プレイヤーとして、次にはライヴ・パフォーマーとして認められたわけで、実は彼のクリエイティヴな才能は時間をかけてじわじわと開花していったものなのです。

 

 ライヴ音源で大ブレイクしたものの、彼のスタジオ録音の作品をどういう方向に持って行ったらいいのか、モータウンはなかなか見つけられずにいました。

 ジャズのラウンジ・シンガー路線、次はビーチ・ミュージックと試行錯誤し、どれもセールスは失敗し、「Fingertips パート2」の一発屋で終わる懸念さえ内部では生まれていたようです。

 そこで、彼に合ったオリジナル曲を作ることが急務になり、彼自身をソング・ライティングに集中させるようまわりも動き始めます。

 当時、彼と曲を一緒に作ったプロデューサーのクレランス・ポールはこう語っています。

「スティーヴィーをその気にさせてやらないといけなかった。少しプッシュするくらいのほうがいいんだ。そうすればその分がんばってくれた」

 (「スティーヴィー・ワンダー ある天才の伝説」)

 

 そして、スティーヴィーが、ローリング・ストーンズの「サティスファクション」をヒントに、作詞家のシルヴィア・モイ、プロデューサーのヘンリー・コスビーの協力を得て作ったのが、「アップタイト」でした。


Uptight (Everything's Alright)

  しかし、彼はまだ若くそこでヒット曲作りのノウハウを完全にものにしたわけではなく、その後もアルバムではカバーやモータウンの他の作家の作った曲をメインに取り上げ、その中に自分の共作曲も少し入れるかたちのリリースが続きます。修行期間ですね。

 そして、ようやく生まれたオリジナル・ヒットが「愛するあの娘に(I Was Made to Love Her)」(1967)。彼が17才のときでした。


I Was Made To Love Her

 このころは、家の地下室で月に150曲以上(!)も書いたことがあるほど、彼は曲作りに全集中していました。

 そして、「アップタイト」や「愛するあの娘に」同様、彼がシルヴィア・モイとヘンリー・コスビーの協力を得て書いたのがこの「マイ・シェリー・アモール」で、1969年に全米4位の大ヒットになりました。

 しかし、この曲は1966年にすでに書かれていたものでした。スティーヴィーはピアノに向かって1時間ほどで書き上げたと言われています。

  その時のタイトルは「オー・マイ・マーシャ(Oh My Marcia)」。当時のガールフレンドのマーシャとの別れが題材になっています。

 また、この曲は音楽的にはビートルズの「ミッシェル」がヒントになっていると言われています。

 しかし、最初にモータウンの社長であるベリー・ゴーディにこの曲を聞かせた時には、いい反応はもらえず、しばらく保留されることになります。

 そして、ようやくリリースされることになったときも、シングルのB面という扱いでした。

 ちなみに、A面は「I Don't Know」という曲でした。


I Don't Know Why

 こういう、やや重く影のある曲調、サウンドの方が、当時のモータウンというかポップ・ミュージック界全体の流れを反映したものだったと思います。ローリング・ストーンズはこの曲をカバーしています(結局、お蔵入りしてしまい、発表されるのはずいぶん後になってからでしたが)。

 

 しかし、ラジオ局は「マイ・シェリー・アモール」の方をどんどんオンエアしはじめ、モータウンも、A面B面を変えて再リリースすることになり、最終的に大ヒット、今もよく耳にするスティーヴィーの代表曲のひとつになりました。

 

 ソング・ライターとしての才能は後になって開花したと、先に僕は書きましたが、この「マイ・シェリー・アモール」の原型の曲を書いたのが16歳のときだったわけですから、やはり彼はとんでもない天才だと言わざるを得ないですよね。

 

 

 

 

 

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