おはようございます。
今日もブラジルの曲。「イパネマの娘」にも負けないほど有名な「マシュ・ケ・ナダ」です。
そして、この曲を作ったのはジョルジ・ベン。1963年に発表しています。
Jorge Ben- Mas, Que Nada!-1963.wmv
「マシュ・ケ・ナダ(Ma que nada)」というのはブラジルでも日常的な言葉ではなさそうですが、英語にすると「Oh、Come on!」という感じが近いようです。
人を何かに誘う時には「さあ!」、人に何かをされて困った時には「ちょっと、勘弁してよ」という風に使ったり、また”Please”みたいな使い方もする、そんなフレーズのようです。
ジョルジの友人の”ホジーニャ”がよく使っていたとのことで、”ホジーニャ”とはブラジルを代表する女性ギタリスト”ホジーニャ・ヂ・ヴァレンサ”のことではないかと推測されています。
”おいおい どいてくれよ ここを通りたいんだ
サンバの最中さ 俺は踊りたいんだよ
このサンバはマラカトゥが混ざってる
老いた黒人のサンバ
君の魂のサンバ
おいおい こんなクールなサンバを
君だって終わらせてほしくはないだろ?"
(ポルトガル原語を英語に訳したものを参考に訳しました)
歌詞に出てくる、”マラカトゥ”とは、ブラジル北東部で生まれたアフリカ系ブラジル音楽の一種で、ドラムのゆっくりとした音に合わせて、様々なキャラクター(王様や女王様など)が動き出す、一種のページェント/パレードのようなものとのことです。
また、印象的な"Oariá raiô. "Ober Obá Obá Obá Obá" というスキャットは、ブラジルの宗教「ウンバンダ」を連想させるものなのだそうです。
ウンバンダは、1920年頃にリオデジャネイロで生まれた宗教で、アフリカ・ブラジルの宗教であるカンドンブレの要素と、カトリック教、精神主義、ブラジルの愛国心を融合させたものです。今日、特にリオデジャネイロとサンパウロでは非常に人気のある宗教であり、何十万人もの信者がいます。多くのブラジル人は、カトリックとウンバンダの両方を実践しています。おそらくジョルジュ・ベンもおそらく信者なのだろうと推測されます。
”老いた黒人のサンバ、君の魂のサンバ”という歌詞も「ウンバンダ」との繋がりを感じられるものだということです。
ということで、けっこうコアな要素をもともと含んだ曲ではあるのですが、ポルトガル語がわからない他の国々では、軽快でインパクトの強いポップ・ミュージックとして広まっていったんですね。
ジョルジュ・ベンはこの時代の多くのミュージシャン同様に、ジョアン・ジルベルトに衝撃を受けてギターに真剣に取り組み始めたそうですが、ジョアンのスタイルが難しすぎたため、自身で新たに親指と人差し指だけを使う奏法をあみだしたそうです。
彼はリオのコパカバーナ地区のクラブをメインに演奏していましたが、同じクラブの常連のプレイヤーが、彼の一歳上のセルジオ・メンデスだったそうです。
クラシックの教育をしっかり受け、アントニオ・カルロス・ジョビンを師と仰いでいたセルジオは、若くして才能のあるミュージシャンとして名を轟かせ、アメリカの有名なジャズ・メンたちが彼と共演するためにブラジルに来るほどだったそうです。
1963年にアメリカとメキシコにツアーに出ますが、その時のギタリスト兼ボーカリストの一人だったのがジョルジ・ベンだったのですが、彼はすぐに脱退してしまいました。
そのツアーメンバーのもう一人のギタリストが、”マシュ・ケ・ナダ”が口癖だったと推測されるホジーニャ・ヂ・ヴァレンサでした。
彼女はセルジオが”ブラジル'65”というグループを結成した時にも参加し、昨日このブログで紹介した「サマー・サンバ(ソー・ナイス)」の英語版の最初の録音だとされているセルジオ・メンデス・ヴァージョンでギターを弾いていたのが彼女です。
(ヴォーカルはワンダ・サー)
その後、セルジオはグループ名を”ブラジル'66”とした時にはホジーニャは抜けてしまいますが、ハーブ・アルパート率いるA&Mレコードから「マシュ・ケ・ナダ」をリリースし、全米チャート47位まであがるヒットになりました。
「イパネマの娘」も「サマー・サンバ(ソー・ナイス)」も、英語詞がついたものがヒットしたわけですが、「マシュ・ケ・ナダ」はポルトガル語の原詞のままで、アメリカや世界でヒットした最初のポルトガル語の曲とされています。
2006年に彼はアルバム「Timeless」でこの曲を、ブラック・アイド・ピーズをゲストに迎えて再レコーディングしています。
Sergio Mendes feat. Black Eyed Peas - Mas Que Nada