まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「トラヴェシーア(Travessia)」ミルトン・ナシメント(1967)

 おはようございます。

 今日は”ブラジルの声”と呼ばれたミルトン・ナシメント。それまで全く無名だった彼を国内だけではなく、海外にまで一躍広めることになった名曲「トラヴェッシーア」です。


Travessia - Milton Nascimento

 「トラヴェシーア(Travessia)」はポルトガル語ですが、英語の”Crossing”を指す言葉だそうです。文字通り「渡ること」ですが、その中に「海を渡ること」「渡航」という意味もあります。

 

 ミルトン・ナシメントの母はメイドで彼が幼い頃に病気で亡くなってしまい、父親は元から行方不明だったので、母親が働いていた家の夫婦がひきとって養子になったそうです。白人の家庭で育ったんですね。そのせいで、白人より黒人からの方がひどい差別をしてきたそうですが、音楽や映画に親しめる環境にいたことが、彼の才能を育んだのではないかと想像します。

 ミシェル・ルグランヘンリー・マンシーニなども好きだったそうで、素朴でナチュラルな力強さと洗練された美しさが不思議に融合している彼の音楽性は、彼の資質と環境が不思議な化学反応を起こした結果かもしれないとも思います。

 

 この曲を書いた時に彼はあまりいい状況ではなかったそうです。1966年のブラジルの大衆音楽コンテストで4位になったことで音楽で成功すべく、故郷を離れサンパウロに出てきたのですが、その後は自信作がコンテストに落ち、音楽の仕事だけでは食べていけなくて、衰弱して病気になり、ホームシックにもなっていたのです。

 

 少しずつ状況が改善してきた頃、彼は友人に会うためにベロオリゾンテという都市に行きます。未完成だった曲の歌詞をつけてもらうためです。友人は法学部の学生で、昔彼と一緒に曲を作ったりしたことはありますが、歌詞を書いたことはなかったのですが、ミルトンは直感で彼に頼もうと思ったのだそうです。その突然の依頼にその友人は戸惑い最初は断ったそうですが、二ヶ月後にもう一度会いに行くと、紙切れを手渡されそこには歌詞が書いてあったそうです。

 

 ”君が去ってしまい 僕の人生は夜になった”

 ”あまりに孤独で耐えられそうにない”

 "道の真ん中に立って大声で叫ぶ この道は石ころでできている”

  ”どうしたら夢を見られるのだろう”

 ”そよ風でできた夢 風は止んでゆく”

 ”泣くのをやめ 死んでしまいたくなる”

 

 恋人に立ち去られてしまった絶望感を歌いながら最後は

 

 ”君を忘れようとしながら 僕はこの人生を生きてゆく"

 "もう死にたいとは願わない 生きる目的がたくさんあるから"

 "また人を愛したくなるだろう たとえ報われなくても傷つくことはない"

 "もう夢は見ない 今は自分の手で人生を切り開いてゆく”

 

    僕はポルトガル語は全くわからないのですが、訳したフレーズを読むだけでも、若者の嘘偽りのない切実な心情が書かれていることがわかります。

 

 この歌詞に魅了されたミルトンは、すぐに友人の家に行ってギターを借りて歌ってみたそうです。言葉は完璧にメロディにはまっていたそうです。

 

 そして彼は曲にタイトルをつけるために家にあった本をいろいろめくっていく中で、世界的な評価を得ているブラジルの作家ジョアン・ギマランエス・ローザの代表作「大いなる奥地:小径」の最後に出てきた「トラヴェシーア(Travessia)」という言葉をタイトルにすることにしました。

 ミルトンはその理由をこう語っています。

 

「大切なのは出発することでも到着することでもなく、航海(トラヴェシーア)することだ」

 (「ミルトン・ナシメント ”ブラジルの声”の航海(トラヴェシーア)」)

 

 そして、この曲はリオで行われた国際歌謡フェスティバルの2位になります。

   他のコンテストで自信作が落選していたこともあって、彼はそういったイベントには今後一切参加しないと決めていたそうですが、友人のミュージシャンが自分が歌うためだと言って彼にカセットに曲を吹き込ませて、それを彼に無断で応募していたのです。

 

 そしてこの曲のアレンジを手がけることになるエウミール・デオダートとも彼はこのイベントで出会います。

 

 また、審査員として、ヘンリー・マンシーニクインシー・ジョーンズクリード・テイラーといった人たちも招かれていて、CTIというレーベルをやっていたクリード・テイラーからアメリカでレコーディングしてリリースしないかと声をかけられます。

 ブラジルでもまだデビューしていない彼にいきなりアメリカ・デビューの話が来たわけですね。

 しかし、ブラジル国内からもオファーは殺到していて、彼はブラジルで一枚アルバムを作った後、ニューヨークに行きアルバムを制作します。

 

 それが「コーリッジ」という作品で、「トラヴェシーア」を英語詞に変えた「ブリッジズ」という曲も収録されています。

 


Bridges (Travessia)

 

 ”千もの橋を僕は渡ってきた 何かリアルなものを求めて

  鉄の蜘蛛の巣のようなものでできた大きな釣り橋もあった

  木でできた小さな橋もあった 石でできたものも

  僕はいつもよそ者だった そしてひとりきりだった

 

  明日へ架かる橋もあって 過去につながる橋もある

  悲しみでできた橋もある 僕は続いてほしくないと願っているような

  遥か頭上にかかる 虹の橋もある

  そして僕は 愛でできた橋もきっとあると思う

 

  川の向こう側に遠く彼女が見える

  彼女は何かを求めて手を伸ばしている

  いつか僕がそうしていたように

  そして僕は彼女に向かって呼びかける

  僕が橋があると信じる限り

  僕は橋を見つける そう見つけるんだ

  死ぬまで探し続ければ

  僕たちの間に橋があれば 何も怖れることはない

  陽射しの中を走っていけば 僕は途中で君に会えるさ

  頭上高く虹の橋は架かっている

  そして僕は確信するんだ どこかに必ず愛の橋はあるんだと” (拙訳)

 

 この英語の歌詞をつけたジーン・リースはカナダ出身の音楽評論家。

アントニオ・カルロス・ジョビンの"Corcovado"に”Quiet Nights of Quiet Stars”という英詞をつけたり、ビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビー」に歌詞をつけたのも彼です。

  彼は歌手活動もやっていて、この「Bridges」も歌っているアルバムもあるようです。

 

  Crossing →Cross Bridge(架け橋)→Bridgeと彼はイメージを広げていったのでしょうか。

 「トラヴェシーア」は若者の切実な心の痛みを歌ったものでしたがが、「Bridges」はもっとスタンダードな歌詞になっています。

 そのせいなのか、サラ・ヴォーントニー・ベネットといった大物のシンガーがカバーしています。

 また、ビョークポルトガル語のほうでこの曲をカバーしています。彼女の心に刺さったのはオリジナルの歌詞だというのは、なんだかすごく納得できます。

 

 最後はミルトン本人が2013年に歌っている動画を。

たまたまこの動画を見つけて、そのまま見ていたら号泣してしまい、今回ブログでこの曲を取りあげることにしました、、)


Milton Nascimento - Travessia

トラヴェシア

トラヴェシア

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