まいにちポップス(My Niche Pops)

令和元年初日から毎日更新中〜1日1ポップス。エピソード、歌詞の和訳、謎解き、マニアックな捜査、勝手な推理、などで紹介していきます。text by 堀克巳(VOZ Records)

「想いあふれて(Chega de Saudade)」ジョアン・ジルベルト(1958)

 おはようございます。

 今日はボサノヴァの起源とされている楽曲「想いあふれて」を。昨日取り上げた「イパネマの娘」同様、作詞はヴィニシウス・ヂ・モラエス、作曲はアントニオ・カルロス・ジョビンです。


João Gilberto - Chega De Saudade

 

      "僕の悲しみよ 行って彼女に伝えてくれ

     彼女なしではだめなんだ お願いだから戻ってきてほしいと

     これ以上苦しみたくないから

 

           ”サウダージ”はもうたくさんだ

    確かなことは 彼女がいなければ 

    平和も 美も存在しない

         そして、悲しみと憂鬱だけが、僕から離れない 離してくれないんだ

 

   だけどもし、彼女が戻ってきてくれたら

           なんて美しく なんてすごいことだろう

   海で泳ぐ魚の方が少ないんだ

   僕が君にするキスの数に比べたら

 

   この腕に抱きしめて 数え切れないほどたくさん抱きしめて

           こんな風にしっかりと こんな風にぴったりと

   こんな風にただ黙って

   抱きしめ キスをして いつまでも愛を示そう

 

   そして僕から離れて暮らす日々を終わらせるんだ

   君にはこんな風に生きて欲しくない

   もう僕なしで生きてほしくないんだ 

   もう二度とごめんだ           ”

 

ポルトガル語の原詞を英語に直接置き換えたものを参考に和訳したものです)

 

  "Chega de Saudade”とは「サウダージはもうたくさん」という意味で、この”サウダージ”という言葉が、ニュアンスがすごくむずかしいもので、僕は今でもよくわかっていません、、、。

 ポルノグラフィティの大ヒット曲のタイトルにもなっていますし、また同じタイトルの小説などもあって、多くの日本人には聞き覚えのある単語にはなっていますが、その意味をちゃんと説明できる人はいないんじゃないかと思います。

 

 Wikipediaではこんな風に表記されています。

 「郷愁、憧憬、思慕、切なさ、などの意味合いを持つ、ポルトガル語スペイン語、スペインの地方言語ガリシア語の単語。ポルトガル語、およびそれと極めて近い関係にあるガリシア語に独特の単語とされ、他の言語では一つの単語で言い表しづらい複雑なニュアンスを持つ」

 他にもこういう記述があります。

「単なる郷愁でなく、温かい家庭や両親に守られ、無邪気に楽しい日々を過ごせた過去の自分への郷愁や、大人に成長した事でもう得られない懐かしい感情を意味する言葉と言われる。だが、それ以外にも、追い求めても叶わぬもの、いわゆる『憧れ』といったニュアンスも含んでおり、簡単に説明することはできない」

 

 ここからは僕の推測ですが、日本の「侘び寂び」のように、歴史や風土、気候的な条件や文化的な背景などから、独自に育まれてきた、その土地特有の”情感”、特に歌などの創作物に強く反映してしまう、一言では説明できない”切なさ”のようなものかなと思います。

 

 ちなみに、この曲の”サウダージ”については”想い出”と訳されているものが多いようです。

 

 さて、ボサノヴァの発祥とされているこの「想いあふれて」ですが、楽曲そのものがボサノヴァということではなく、この曲を歌ったジョアン・ジルベルトの”表現の様式”こそが、ボサノヴァでした。

 ストロークでもアルペジオでもない、リズム、コード、ハーモニーなど、アコースティック・ギターでやれることを 極限まで追求したスタイルを彼は発明しました。

 それは”サンバ”の音楽的な要素を、ギター一本で表現する試みでもありました。

 そして、ギターは単なる歌の伴奏じゃなく、歌は常にギターと呼応関係にあり、細かく計算された絶妙な間合いで両者が絡み合うことによって、より複雑な味わいが生まれるという仕組みになっています。

 

 ジョアン・ジルベルトは15歳からバンドを始め、19歳でヴォーカル・グループのリード・ヴォーカルになり、1952年に21歳でソロ・シンガーとしてレコードを出しています。


João Gilberto - Quando Ela Sai/Meia Luz (1952)

 甘くソフトな正統派ヴォーカリストだったんですね。

 その後音楽活動は続けますが、1955年にリオデジャネイロを離れ、各地を転々としたあと1957年にリオに戻ってきます。

 この頃に彼は独自の演奏法と歌唱法を研究し続けていたと言われています。

 

 そして、1958年に女性シンガーのエリゼッチ・カルドーゾのアルバムにギタリストとして2曲参加、その1曲がこの「想いあふれて」でした。アレンジ全体はサンバをベースにした当時の流行歌のスタイルですが、彼の独自のギター奏法を聴くことができます。


Chega de Saudade - Elizete Cardoso

 

 ジョアン・ジルベルトの才能に目をつけたのが、彼より4歳上のアントニオ・カルロス・ジョビンでした。ジョアンと一緒にアルバムを作りたいと思ったジョビンは彼を自宅に呼び何ヶ月もかけてリハを行ったそうです。

 そして、ジョビンがあちこち売り込んだおかげで、アルバムを制作することが決まります。1958年にまずシングルで「想いあふれて」がリリースされ、翌年同じタイトルのアルバム「想いあふれて」が発売されました。

 

 そして、そのレコード・ジャケットの裏面にジョビンが寄稿した文章の中にこういうフレーズがありました。

 

ジョアン・ジルベルトはバイアーノ(ブラジルのバイーア州生まれ)、27歳のボッサノヴァ(新しい才能)だ」

 

 そして、このアルバムに入っている曲「ヂザフィナード」の歌詞にこういうフレーズがあります。

 

「これはボサノヴァ(新たな傾向)なんだ、ものすごく自然なことなんだ」

 

 このアルバムで二通りの解釈で、ボサノヴァという言葉が使われていて、それがいつかジャンルそのものを示すものへと発展していったわけです。

 

 

 

 「イパネマの娘」同様、この曲もボサノヴァ人気が高まり始めたアメリカで英語詞が新たにつけられています。

 歌詞を書いたのはジョン・ヘンドリックス。ヴォーカル・トリオ、ランバート、ヘンドリックス&ロスのメンバーとしても知られている人です。

   タイトルは「ノー・モア・ブルース」。

   なるほど。

      日本人から見ても「サウダージ」と「ブルース」は同じ意味じゃない、というのは明らかですが、どちらもその国独自の、そこに住む人じゃないと理解できない感覚、そして歌に強く反映されるものという共通点がありますね。

 

   1963年にハイローズという男性4人組コーラス・グループが「ノー・モア・ブルース」を最初にレコーディングしましたが、作者のヘンドリックスも同年リリースしています。しかも、ジョアン・ジルベルトへのトリビュート・アルバムを作っていて、その中で収録されています。

 「ゲッツ/ジルベルト」がリリースされるより前ですので、かなり早いアクションだったと思います。


Jon Hendricks - No More Blues (Chega De Saudade)

 

    ”ブルースはもうたくさん 家に帰るよ

   憂鬱はもうたくさん もうさまよわないと約束するよ

  心がある場所こそが家だと言うけど  

  おかしなことに   僕の心はずっと家に居たんだ

 

  涙ももうたくさん ため息ももうたくさん 怖れるのももうたくさん

  もうさよならは言わない

  旅が僕を手招きしても 拒むと誓うよ

  もう落ち着くんだ だからもうブルースはいらない”  (拙訳)

 

 

  フラフラさまよい歩いていた男が、故郷を恋しがる、といういかにもアメリカ的なテーマに変わっていますね。

 置き換えが不可能なその土地特有の情感を歌った歌であるなら、その設定自体を新しく変えてしまうというのは、ある意味正解なのかもしれませんね。

 

 ジョアン・ジルベルトは2000年に「声とギター」というアルバムで、この曲を再び録音しています。


Chega De Saudade

   ピアニスト、グレン・グールドの有名な「ゴールドベルグ変奏曲」には若い頃の録音と晩年の録音が存在していて、聴き比べると音楽の底知れぬ深さを思い知らされるのですが、この再録を聴いたときにもそれと同じような感慨を覚えたことを記憶しています。

 そして、2003年の奇跡の初来日公演には僕も行って、この曲を彼が歌い始めた時には深く感動しました。

 

 2006年の東京公演の映像がアップされていましたので、最後にそれをぜひご覧ください。


JOÃO GILBERTO │ Chega de Saudade (Tokyo 2006)

 

 

想いあふれて+14(特別価格盤)

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ジョアン 声とギター

ジョアン 声とギター