まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲を選曲しました(苦笑)。古今東西のポップ・ソングをエピソード、歌詞の和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。みなさんの音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればうれしいです。みなさんからの情報や思い出話などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「イパネマの娘(The Girl from Ipanema)」スタン・ゲッツ、ジョアン・ジルベルト、アストラッド・ジルベルト(1964)

 おはようございます。

 今日はボサノヴァの代名詞「イパネマの娘」です。


The Girl From Ipanema

 

 ”見てごらん   なんて美しんだろう

   優雅さがあふれている

   ほら、あの娘さ   こっちに向かってきて 通り過ぎてゆく

   体をやさしくスウィングさせながら 海に向かっているんだ

 

  イパネマの太陽から生まれた黄金の肌を持った娘

  彼女の歩く姿は 一編の詩なんかじゃ表せない

  今まで見てきたどんなものよりも美しい光景さ

 

     ああ、僕はどうしてこんなにも孤独なんだろう?

  どうしてこれほど悲しいんだろう

  この美しさは夢じゃない

  この美しさは僕だけのものじゃない 

  ただ通り過ぎていってしまうものなんだ

 

  ああ、彼女が気づいてくれたなら

  自分が通り過ぎる時 世界中が微笑んで

  優しさに満ちることを

  そしていっそう世界は美しくなることを       愛のために  ”

 

     (ポルトガル語のオリジナルを英語に置き換えたものの和訳です)

 

 ”背が高く、日に灼けて、若くて、愛らしい

  イパネマの娘が歩いてゆく

  そして 彼女が通り過ぎるたび 誰もが”ああ”って言う

 

  彼女の歩く様子は まるでサンバさ

     クールにスウィングしたり、優しくゆっくり揺れたり

  だから  彼女が通り過ぎるたび 誰もが”ああ”って言うんだ

 

  だけど 彼は悲しそうに彼女を見つめている

  どうしたら 愛してるって言えるのだろう

  喜んでこの心を差し出すつもりさ

  だけど、来る日も来る日も 彼女が海に歩いていく時は

  まっすぐ前を向いていて 彼の方は見ないんだ 

 

  背が高く、日に灼けて、若くて、愛らしい

  イパネマの娘が歩いてゆく

     そして彼女が通り過ぎる時 彼は微笑みかける

  だけど彼女は気づかない 気づかない  ”

                    (英語詞を和訳したものです)

 

 ボサノヴァを世界中に広めることになった、この「イパネマの娘」は、前半はポルトガル語の原詞(作詞ヴォニシウス・ヂ・モライス)をジョアン・ジルベルトが歌い、後半を、英訳ではなく新たに作った英語詞(作詞ノーマン・ギンべル)を奥さんのアストラッド・ジルベルトが歌うという構成になっています。

 僕のたいへん稚拙な和訳ですら、オリジナルの歌詞の方が”品がある”ことがはっきり出ているような気がするのですがどうでしょうか。

 ヴィニシウスはオックスフォード大学に留学し英文学を学んだ詩人であり、ブラジル外務省の外交官でもあったという大変なインテリの方です。

 (英語詞を書いたノーマン・ギンベルロバータ・フラックの「やさしく歌って」の作詞家です)

popups.hatenablog.com

 

 

 あるよく晴れた夏の日、リオにある「ヴェローゾ」という店で、ヴィニシウスが作曲家のアントニオ・カルロス・ジョビン若い女性について喋っているときに、海に向かって歩いているある女性に気づいたジョビンが、それをヴィニシウスに教えたことがきっかけでこの曲は生まれたそうです。

 

 その女性はエロイーザ・エネイダといって、この曲が大ヒットした後になってモデルが自分だったと知らされてすごく驚いたそうです。

 

 

 

 さて、この曲で中心的な役割を果たしたスタン・ゲッツはジャズ史を代表するサックス奏者のひとり。知り合いのベーシストから教えてもらったボサノヴァに衝撃を受け、「ジャズ・サンバ」「ビッグ・バンド・ボサノヴァ」「ジャズ・サンバ・アンコール」という三枚のアルバムを発売し、この頃アメリカのボサノヴァ・ブームを牽引する存在でした。

 

 アメリカでボサノヴァの人気が盛り上が理に合わせて、1962年11月21日にはカーネギーホールジョアン・ジルベルトアントニオ・カルロス・ジョビンルイス・ボンファ、ロベルト・メネスカル、セルジオ・メンデスらによる北米初のボサノヴァ・コンサートが開催されています。

 

 アメリカ進出を狙っていた、アントニオ・カルロス・ジョビンボサノヴァの代表的な演奏者であるジョアン・ジルベルトはそのままニューヨークに残りました。

 ジョビンはレコード会社や音楽出版社と交渉しながら、自分の作品に英語詞をつけることにも積極的に取り組んでいました。

 そして彼ははスタンと知り合いになり、プロデューサーのクリード・テイラーの企画でスタンとジョアンの共演作「ゲッツ/ジルベルト」をレコーディングすることになります。

 

 気難しい性格で英語が全く喋れないジョアンと、英語でいろいろ口を出してくるスタンとの間に挟まれたジョビンが片言英語を使いながら、必死に気遣いながらとりもつという、あまり平和じゃないレコーディングだったようです。

 

 「イパネマの娘」にアストラッド・ジルベルトが参加することは当初予定されていませんでした。ジョビンがアメリカの音楽出版社にプレゼンするために、自作の英語ヴァージョンのデモをアストラッドに歌わせていて、それを聴いたスタンが面白がってレコーディングの最後の方になって急遽彼女を歌わせてみようということになったのだそうです。

 彼女にとってこれが初めてのレコーディングで、彼女の人生を大きく変えることになりました。

 

   前半のジョアンのパートをカットして編集されたシングル・ヴァージョンが作られ、

それが全米チャート最高5位、100万枚を超える大ヒットになったのです。


The Girl From Ipanema by Astrud Gilberto

 

 そのおかげで彼女は、アメリカのでボサノヴァ・シンガーの”顔”ともいうべき存在になり、数多くの作品を残します。またそのささやくようなボーカル・スタイルは日本でも大変人気になり、1990年代の渋谷系ブームの時には再び脚光を浴びました。

 

    また、ジョビンが自作の英語ヴァージョンのデモを作っていた頃、ひどい英詞をつけられたときに、こんな歌詞じゃフランク・シナトラが僕の曲を歌えないじゃないかと彼は言って怒り、それを聞いた当時彼の曲を扱っていたアメリカの会社の社長は相手にしなかったそうですが、

 1967年に彼はシナトラとの共演アルバムを実現させます。その1曲目が「イパネマの娘」でした。


The Girl From Ipanema - Frank Sinatra & Antônio Carlos Jobim | Concert Collection