まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「やさしく歌って(Killing Me Softly with His Song)」ロバータ・フラック(1973)

 おはようございます。

 今日は70年代を代表する名曲、ロバータ・フラックの「やさしく歌って」です。


Roberta Flack - Killing Me Softly With His Song (Official Audio)

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Strumming my pain with his fingers
Singing my life with his words
Killing me softly with his song
Killing me softly with his song
Telling my whole life with his words
Killing me softly with his song

 

I heard he sang a good song
I heard he had a style
And so I came to see him
To listen for a while
And there he was this young boy
A stranger to my eyes


Strumming my pain with his fingers
Singing my life with his words
Killing me softly with his song
Killing me softly with his song
Telling my whole life with his words
Killing me softly with his song


I felt all flushed with fever
Embarrassed by the crowd
I felt he found my letters
And read each one out loud
I prayed that he would finish
But he just kept right on

 

Strumming my pain with his fingers
Singing my life with his words
Killing me softly with his song
Killing me softly with his song
Telling my whole life with his words
Killing me softly with his song


He sang as if he knew me
In all my dark despair
And then he looked right through me
As if I wasn't there
And he just kept on singing
Singing clear and strong


Strumming my pain with his fingers
Singing my life with his words
Killing me softly with his song
Killing me softly with his song
Telling my whole life with his words
Killing me softly with his song


Strumming my pain with his fingers
Singing my life with his words
Killing me softly with his song
Killing me softly with his song
Telling my whole life with his words
Killing me (softly)


He was strumming my pain
Yeah, he was singing my life
Killing me softly with his song
Killing me softly with his song
Telling my whole life with his words
Killing me softly
With his song

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 ”*心の痛みを 彼の指がかき鳴らし

   私の人生を 彼の言葉が歌ってゆく

   彼はやさしく私を殺してゆくの その歌で

   私の人生の全てを彼は語ってゆく

   そっと私を殺してゆくの 彼の歌で

 

   彼はいい歌を歌うと聞いていた 

      独自のスタイルを持っているとも

   だからちょっと聴いてみようと思って立ち寄ってみたの

      そこにいた彼はまだ少年のように若く  

    全く見たことのないような人だった

 

     * repeat

 

  全身が熱くなるのを感じたの

  たくさんの人がいたから恥ずかしくなった

  まるで彼が私の手紙を見つけ出して

  ひとつひとつ読みあげているみたい

  もうやめて欲しいと祈ったけど

  彼は続けていったの

 

 *  repeat

 

  暗く絶望的な気持ちの私のことを

  まるで知っているかのように彼は歌う

  そして彼はこっちを見ても知らないふりをした

  まるで私がいないかのように

       だけど彼はまた歌い始めたの  はっきりと力強く

  *  repeat                                                                             ”

                            (拙訳)

 

 

 この曲はカバーだったのですが、このことはアメリカではある程度は知られていることだったようです。

 

 最初に歌ったのはロリ・リーバーマンという女性シンガー、1972年にリリースされた彼女のデビュー・アルバムに収録されシングル盤としても発売されました。このとき彼女はまだ21歳でした。


Lori Lieberman - Killing Me Softly With His Song

 

 作曲したのはチャーリー・フォックス、作詞はノーマン・ギンベル。チャーリはこの頃31歳でテレビを中心に仕事をしていました。ノーマンは44歳ですでに作詞家として多くの実績がありました。

 

    当時ノーマンの代表的な仕事は”英語詞”で、インスト・ナンバーに歌詞をつけたアンディ・ウィリアムスの「カナダの夕陽」、メキシコの曲に英詞をつけた、ディーン・マーティンの「スウェイ」、そして「イパネマの娘」「サマー・サンバ(So Nice)」「How Insensitive」などボサノバの多くの英語詞、そしてミシェル・ルグランの「シェルブールの雨傘」の主題歌の英語詞も彼が書いています。

 

  シンガーになることを夢見ていたロリは当時近所に住んでいたノーマンに相談にいったことがきっかけで、ノーマンとチャーリーの二人と楽曲制作とマネージメントの契約を結んだそうです。ノーマンとチャーリーはコンビで仕事をしていました。

 この頃はキャロル・キングジョニ・ミッチェルなどの女性シンガー・ソングライターの人気に火がついていて、ノーマンは彼女をそのラインで売りたいと考えたようです。

 チャーリーの方は、ディオンヌ・ワーウィックを手がけたバカラックとハル・デヴィッドのようなイメージを持っていたそうです。

 

 さて、ここから話がややこしくなってくるのですが、ロリは自分とマネージメントの契約をし、倍以上も年上のノーマンと恋仲になってしまいます(ノーマンは当時結婚していました)。これが、あとあとまで尾を引いていくのです。

 

 あるとき彼女は友達に誘われて、ドン・マクリーンのコンサートに出かけました。彼はまだ無名で、彼の代名詞となる代ヒット曲「アメリカン・パイ」をリリースしたばかりでした。

 そのコンサートの中で彼女は彼の「エンプティ・チェア」と言う曲に衝撃を受けます。自分の日記を覗かれたかのように、まさに自分のことを歌っていると彼女は思ったのです。

 


Don McLean - Empty Chairs

 ”僕が階段を上る音が空っぽの部屋に響き  

      壁にかかった、もう着る人のいない服が 空っぽの椅子に落ちてゆく”

 という、恋人に去られた男の歌です。

 

 そして、この曲を聴いたロリが紙ナプキンに夢中になって何かを書き綴っていたと、同席していた友人が証言しています。

 そしてロリはそのあとすぐに紙ナプキンに書いた”気持ち”を電話でノーマンに伝えたそうです。

 

 ロリはこの頃歌詞を書き留めるノートを作っていて、それをいつもノーマンに見せていたそうです。また、彼は彼女について、彼女の過去についてどんな小さなことでもいいから教えて欲しいと言っていたそうです。

 44歳の男が20歳の女性の歌詞を書くわけですから、徹底した”取材”、”ネタ集め”が必要だったのでしょう。もちろん、そこには愛情もあったわけでしょう。

 

「彼女との会話が僕の燃料になり、インスパイアし、いくつかの言葉や言葉の選び方をもたらしてくれた」

 と「やさしく歌って」の歌詞について、彼は当時のインタビューで答えています。

 

 ロリの「やさしく歌って」とアルバムは全く売れませんでしたが、リリースしたキャピトル・レコードの宣伝力でしょう、飛行機の機内放送で使われたそうです。そしてLAからNYに向かう便の機内でこの曲を知り、絶対に歌おうと決めたのがロバータ・フラックでした。

 彼女は「愛は面影の中に」が大ヒットして、まさに注目を集めていました。彼女はクインシー・ジョーンズからチャーリー・フォックスの連絡先を聞き出し、直接チャーリーにこの曲をカバーさせてほしいと依頼したそうです。

 

 そして、この曲は全米1位になり、グラミー賞の”レコード・オブ・ジ・イヤー”と”ソング・オブ・ジ・イヤー”の両方を受賞するほどの曲なったわけです。

 

 そして、ロリがドン・マクリーンのコンサートを見たことで着想された曲だというエピソードも広まっていきました。

 ノーマンも自身がメネージメントするロリのプロモーションにもなるので、特に反対もせず、彼女がインタビューでちゃんと答えられるように台本も書いてくれたといいます。

 

 しかしロリとノーマンの関係は公私ともに1976年に終わり、状況が変わります。恋愛関係が終わったロリのほうからノーマンにマネージメント契約も終了させて欲しいと申し出たのです。しかし拒否され、結局ロリがノーマンたちに多額の金額を払うことで決着したといいます。

 

 ロリはその後も地道に活動していましたが、1999年にニューヨーク・タイムズのインタビューでノーマンたちのことを「ものすごく支配的だった」と語ったことがきっかけになって、ノーマンは「やさしく歌って」の逸話を否定し始めます。

 

 歌詞はもともと自分が書いてあったもので、ロリの話を聞いてその歌詞を思い出しただけだと。

 

 「やさしく歌って」の逸話を載せていたドン・マクリーンのWEBサイトにも、その記事を削除するように、ノーマンは弁護士を立てて命じてきたそうです。ドンは、昔はあなた自身がこの話を肯定していたじゃないか、と受け入れなかったそうです(現在は削除されています)。

 

 その逸話が完全否定されたことで、彼女は嘘つき呼ばわりもされたといいます。

 ドン・マクリーンやロバータ・フラックは彼女を支持し、「やさしく歌って」の共作者として認められるよう裁判を起こすべきだという人もいましたが、彼女は大ごとになることは望みませんでした。著作権の裁判は非常に複雑ですし、費用も高いということもあるのでしょう。

 

 しかし、2018年にノーマンが亡くなり、ロリは「やさしく歌って」の逸話が真実であることを再び語り始めました。共作者としてのクレジットもお金もいらないから、真実は伝えたいと。

 

 これは僕の私見ですが、ロリの話は本当だと思います。

 40半ばのおっさんが、何もネタはないままこんな状況設定の歌詞は書けないでしょう(失礼!)。ただし、ノーマンは外国の曲を翻案し歌詞を書く名人です。いわば元々ある歌詞を”脚色”することを得意とする作詞家なんですよね。

 

 この歌がロリの実体験が元になっていたとしても、

 ”Strumming my pain with his fingers(心の痛みを 彼の指がかき鳴らし)”

 なんて出だしのフレーズは誰にも書けるなんてものじゃないとは思います。

 

 設定は借りてきたものでも、歌詞自体が素晴らしいんですから、逸話を急に全否定なんてすることはなかったと思います。

 ただし、これには恋愛感情が少なからず影響しているような気がします。意固地になったんじゃないかと。

 

 かくして、この希代の名曲はドロドロしたエピソードを巻きおこすことになってしまったわけですが、もちろん、これは「やさしく歌って」という曲の本質とは関係のないことです。

 

 この曲の創作されたポイントに立ち返って想像を膨らませてみると、

 歌手を夢見る若い女性がドン・マクリーンのコンサートを見て心深く打たれたことは純粋な真実でしょうし、彼女らしさが最も色濃く現れたエピソードでもあったでしょう。そしてその彼女の思いやエピソードを自分の技量を全て注いで歌詞にしようとした作詞家の情熱も純度の高いものだったはず。

 創作の純度も熱量もものすごく高い、だからこそ「やさしく歌って」は名曲になったのだと僕は思います。

 

 ただし、それが大ヒットするには、他に最適な”声”と”サウンド”は絶対必要条件だったのです。そして、それを持ち合わせていたのがロバータ・フラックだった、ということなのでしょう。

 

 最後はロリが1973年にTVの初めて出演して時の映像です、歌った後にこの曲が生まれた経緯を彼女は語っています。


Lori Lieberman sings "Killing Me Softly" on Mike Douglas Show, 1973

 

 

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