まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「彼女はウェイト・フォー・ミー(She Waits For Me)」エアプレイ(1980)

 おはようございます。

 今日はエアプレイ。AORサウンドの確立に大きく貢献したデヴィド・フォスターとジェイ・グレイドンのユニットです。

 ご紹介する「彼女はウェイト・フォー・ミー」は彼らが唯一残したアルバム「ロマンティック」からの日本のみのシングルでした。

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She waits for me with the light on
Hopin' I won't be long
I run to her, knowing where I belong


The streets are lonely, cold and dark
All but those lead me on
She stays awake 'til it's late
Reading in the bedroom all alone

Drive the car to where you are treated like a star


She waits for me with the light on
Hopin' I won't be long
I run to her, knowing where I belong


If she's sleepin' dreamin' sweet
I'll do my best not to make a sound
The TV's on with the picture gone
As I lock the doors, tip-toeing around


Everything is alright
I kiss her good night
And turn out the light


She waits for me with the light on
Hopin' I won't be long
I run to her, knowing where I feel strong
She waits for me with the light on
Hopin' I won't be long
I run to her, knowing where I belong

 

 ”彼女は僕を待っている 家の灯りをつけたまま

 僕が遅くならないよう願いながら

 僕は彼女の元へ走ってゆく そこが僕の居場所だと思いながら

 

 通りは人影もなく 寒くて暗いけど

 僕を導いてくれる 彼女は遅くても起きて待ってくれる

 ベッドで一人きり本を読みながら

 

 車を飛ばすよ 君をスターのようにもてなす場所へ

 

 彼女は僕を待っている 家の灯りをつけたまま

 僕が遅くならないよう願いながら

 僕は彼女の元へ走ってゆく そこが僕の居場所だと思いながら

 

    もし彼女が眠って安らかに夢を見ているなら

 なるべく音は立てないようにしよう

    放送が終わった TVがついたままで

 ドアの鍵をかけるときには そっと爪先立ちで歩こう

 すべて確認できたら 彼女におやすみのキスをして

 灯りを消そう  

 

 彼女は僕を待っている 家の灯りをつけたまま

 僕が遅くならないよう願いながら

 僕は彼女の元へ走ってゆく そこが僕の居場所だと思いながら”                

                            (拙訳)

 

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  この曲は当時FMでよく聴きましたが、日本のみのシングルでした。そして、この曲が収録されたアルバム「ロマンティック」は彼らの唯一のアルバムですが、本国アメリカでは全く売れませんでした。

 しかし、日本では”AOR”の大定盤として揺るぎない評価を得ています。確かに聴き直してみると、AORの典型的なサウンドのテキスト、カタログ集と呼んでもいいくらいの内容です。AOR好きな日本人の嗜好性にもっとも顕著に結びついているアルバムの一枚であるのは間違いないでしょう。

 

 エアプレイのメンバーはデヴィッド・フォスターとジェイ・グレイドンの二人。

 デヴィッドはキーボード、ジェイはギターの卓越したプレイヤーとして当時売れっ子になっていました。このブログに何度も登場する、60年代のアメリカン・ポップスの多くを演奏した”レッキング・クルー”を追いやって(?)その代わりに台頭してきたネクスト・ジェネレーション、それが彼らでした。

 その新世代とはどんな面々だったかと言いますと、ジェイ曰く、ラリー・カールトン、ディーン・パークス、レイ・パーカーJR、リー・リトナー、デヴィッド・T・ウォーカー、デヴィッド・ハンゲイト、ジェイムズ・ギャドソン、ジェフ・ポーカロなどの名前を挙げています。

 ちなみに、彼らがメイン・ストリームのヒット曲を演奏するようになる1970年代後半には、レッキング・クルーのメンバーたちはTV、映画、ジングル制作などに主軸を置くようになりました。

 

 さて、ハリウッドのクラヴでジェイが演奏しているのを見たデヴィッドが、自身のグループ”スカイラーク”のレコーディングにジェイを誘ったのが彼らが仕事をする最初のきっかけでした(スカイラークのアルバムにジェイはクレジットされていないので、演奏はしなかったようです)。

  そこから、お互いの才能を認め意気投合した両者は、デヴィッドの仕事ではジェイを、ジェイの仕事ではデヴィッドを推薦するようになったそうです。

 

 デヴィッド・フォスターは今やポップ・ミュージック界の巨人として君臨していますし、このブログにも登場していますので、今日はジェイ・グレイドンについて少し話します。

 

    1949年にカリフォルニアのバーバンクで生まれた、父親がビッグバンドのヴォーカリストでTVショーのホストもやっていました。1960年代後半からLAでセッションミュージシャンの仕事を始め、ジョージ・デュークウェイン・ショータージノ・ヴァネリなど数々のアルバムに参加しています。

 有能なスタジオ・ミュージシャンとして業界内ではよく知られるようになっていた彼の名を世間に広く知らしめたのは、スティーリー・ダンの「PEG(「麗しのペグ」)」のギター・ソロでした。


Steely Dan - Peg - HQ Audio -- LYRICS

 スティーリー・ダンアメリカを代表するスーパー・ミュージシャンたちを取っ替え引っ替えレコーディングさせ、平気でボツにするので有名ですが、この曲のギターもジェイが弾くまでにすでに6人のギタリストがトライしていたといいますから驚きです。

 

 僕が彼のギタープレイを印象的に記憶しているのが1979年のマンハッタン・トランスファーの「トワイライト・ゾーン/トワイライト・トーン」。当時のラジオ番組で桑田佳祐がこのギターソロについて熱く語っていたのをよく覚えています。


1979 Manhattan Transfer:: Twilight Tone-Twilight Zone @ 432 Hz (non-official recut)

 ちなみにこの曲が収録されているアルバム「エクステンションズ」はジェイのプロデュースによるもので、エアプレイの「ロマンティック」に収録されている「Nothin' You Can Do About It」のオリジナル・ヴァージョンも入っていてアレンジ、キーボードをデヴィッドがやっています。

 

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 ちなみにエアプレイのヴァージョンはこんな感じです。


Airplay - Nothin' You Can Do About It

 

 デヴィッドもジェイもミュージシャン、プロデューサーとしてまさに上り調子の時期に作ったのが「ロマンティック」でした。

 そしてここで作ったサウンドを、その後のそれぞれの仕事で発展させていったわけです。まさに”雛形”だったんですね。

 

 ちなみにエアプレイを結成したのは、彼らが女優、シンガーのモーリン・マクガヴァンのレコーディングに呼ばれたときに、デヴィッドがいい曲ができたから一緒にデモを作ろうとジェイを誘い(レコーディングの休憩時間にデヴィッドが弾いていた曲のコード感をジェイが気に入り彼の方からでも作りを提案したという説もあります)、そして、できたデモをデヴィッドがトミー・モトーラに渡したことがきっかけでした。彼らは誰かに歌ってもらうために作ったデモでしたがトミーは彼ら自身でやることを勧めたといいます。

 

 トミー・モトーラ。前にもこのブログに登場しましたが、ホール&オーツのマネージャーで、のちにCBSの社長としてマライア・キャリーのデビューを演出する業界の超大物になる人で、デヴィッドいわく”マフィアみたいな雰囲気の人”だったそうです。

 デヴィッドはホール&オーツのプロデュースをしていましたからトミーにアプローチしやすかったのでしょう。それで、ホール&オーツが所属するレコード会社(RCA)からリリースということになったわけです。

 

 ちなみにそのデモがのちにCD化されています(「Past To Present-The 70s」)。

曲は「Should We Carry On」。

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 この曲はアメリカではアルバム「ロマンティック」からのファースト・シングルになっています(B面が「彼女はウェイト・フォー・ミー」)

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 自分たちでアルバムを作ることになり、ヴォーカリストが必要になります(ジェイは多少歌えますが、デヴィッドは全く歌いません)。

 そこであるシンガーを彼らに紹介したのがアルバムに作詞で参加していたアリー・ウィリスでした。彼女はE,W&Fの「セプテンバー」、「ブギー・ワンダーランド」の歌詞を書いたことでよく知られています(星野源のTV番組「おんがくこうろん」でも特集されていました)。

 彼女がポケッツ(E,W&Fのヴァーデン・ホワイトがプロデュースしたR&Bバンド)のレコーディングで知り合ったシンガーがトミー・ファンダーバークでした。そして、ジェイがトミーのヴォーカル・レコーディングを緻密にやったおかげで、作品は演奏面だけでなく歌のクオリティも格段に上がり完成したわけです。

 

 

 今の時代になってこういう音楽を聴くと、あまりに明快で爽快すぎるサウンドのように思えるかもしれません。屈託がなさすぎるというか。しかし、当時の日本では、その爽快感がこそが、アメリカ西海岸のイメージとリンクし、多くの日本の若者たちにとって”憧れの象徴”だったのは間違いないことです。

 当時は歌謡曲に代表される、いかにも日本人っぽい”ウェットな情緒感”は、若者たちからもっとも忌み嫌われるものでもありました。

 多くの日本の若者を夢中にした、アメリカ西海岸から流れてきた音楽のドライな爽快感は、まだ若くとても勢いのあった凄腕ミュージシャンたちの技量によって生み出されたものでした。単なる雰囲気ものではなく、音楽的に、テクニカルな面でも、しっかり裏打ちされた音楽だったわけです。

 

 また、裏方視点から見るとポップス史的には、AORとは"ポスト・レッキングクルー"のミュージシャンたちが最も活躍したジャンルだったとも言えるでしょう。

 

 ともかく、TOTOのメンバーを始めとするミュージシャンが集結して、その"時代の音"を存分に鳴らしたのがエアプレイの「ロマンティック」だったのです。

 

*参考「ロマンティック」ライナーノーツ 「AOR AGE Vol 1」

 

 

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