おはようございます。
今日は吉田美奈子。僕の選ぶ日本のCITY POPの最高峰はこの曲です。
Minako Yoshida - 頬に夜の灯(Hoho Ni Yoru No Akari)
日本のポップス史においてユーミン、大貫妙子、矢野顕子と並ぶ存在であり、リスペクトもされながらも、その中で彼女は最も”玄人好み”の存在なのかもしれません。
以前のインタビューで、曲を書く秘訣について質問されたときに彼女はこう答えています。
「秘訣とかではなくて、自分のありのままに書くことしかできないと思っています。いまのポップスの様式はすべて海外のものをお借りしてできているわけですけど、その中で日本人である自分をどう出すべきかとは考えます。ただ、聴く人のことはあまり考えていなかったりするかも(笑)。」
(2012年 芸団協HP「PLAZA INTERVIEW」より)
自分のありのままに書き、聴く人のことはあまり考えなかった、というのは正直な言葉なのでしょう。
その当時の流行のサウンドや時代性を反映させたテーマをあからさまに取り上げたような作品は彼女のディスコグラフィーには見当たりません。
日本のR&Bのパイオニアでありながら、日本でR&Bブームが起こったときですら、シーンから少し距離をとるような作品を作っていましたし。何か特定のジャンルやシーンに入ることをきっぱり拒絶してきたからこそ、かえって彼女の作品群は今もまったく劣化していないのではないかと思えます。
もちろん、音楽ビジネスですから、彼女は自分のやりたいことをやりたいように作り続けられたわけではありません。
例えば、全曲自作だった「扉の冬」の次の作品から数作は、プロデューサーの意向で”シンガー路線”を歩むことになり、カバー曲中心のレパートリーになったことがありました。
しかし彼女はこう語っています
「自分が犠牲になっているなんて気はなかった。やろうと思えばやれるから、やって見せた。それでわかったことを無駄にするような生き方はしない。何となくでも自分の持っているヴィジョンは守りたい・・・でも、自分で切り開いていかないと自分の場所を確保できない時代だったから・・・目先のことでも、余計なことと思われることでもやって自分の身にしていくっていうね」
(レコードコレクターズ増刊 日本のロック/ポップス)
彼女の作品には、サウンド的には変化はあるのに一貫したものを強く感じるのは、彼女のシンガーとしての力量も当然ですが、上に述べた彼女のスタンスが大きく働いていると思います。たとえ<やらされたもの>でもとにかく気持ちを込めて最善を尽くしているから、聴き手に向かってくる力がオリジナル曲と変わらないのです。
それに加えて、彼女の多くの曲がそうなのですが、この「頬に夜の灯」も聴いた印象が昔から全く変わらない、古びることがないんですね。
CITY POPと呼ばれる多くの曲は僕には懐かしさを強く感じさせるのに、彼女の場合それがないんですよね。当時もその時代の流行に合わせたものを作ろうとしていなかったからかもしれません。ただただ黙々と自分の世界を高めていったからなのでしょう。すごいことだと思います。
この曲のサウンドについても少し書きます。
まず、ホーンにマイケル(テナー・サックス)とランディ(トランペット&フリューゲルホーン)の”ブレッカー・ブラザーズ”にアルト・サックスでデヴィッド・サンボーンが参加していることがまず注目されます。
デヴィッドはブレッカー・ブラザーズの最初のアルバム2枚に参加しているオリジナル・メンバーで、この時期はすでに離れてしまっていたのですが、この曲で”リユニオン”していたわけですね。
そして、この曲のストリングスとホーンのアレンジをしているのがレオン・ペンダーヴィス。彼はキーボーディストとしてボニー・レイットやバーブラ・ストライサンドなどのアルバムに参加しています。この大ヒット曲にもキーボードとして参加していたようです。
あと、クラプトンの「オーガスト」(1986)というアルバムでホーンのアレンジをやっていて、そこにはブレッカー・ブラザーズも参加しています。
レオンがバリバリの弦アレンジャーじゃなかったというストリングスの”控えめさ加減”が、結果的にこの曲には絶妙にハマったんじゃないかと僕は勝手に想像しています。
あと、ホーンとストリングス以外に編曲のクレジットはないので、セッション・ミュージシャンと一緒にスタジオでアレンジを詰めていったのでしょうね。
プロフェッショナルなミュージシャンの技量が発揮された作品はやはり抗いがたい魅力があります。しかもこのミュージシャンのテクニックが全開になったものよりも、あるひとつのトーン、世界観のもとに結集された演奏の方が、絶妙な味わいがあって、その風味が劣化することは少ないように僕は思います。