おはようございます。
今日は、今でもCMなどでよく使われる人気曲「ハッスル」です。初期のディスコ・ミュージックでリズムも激しくないので、今の時代で聴くと、ディスコというより軽快でキャッチーなインスト曲というイメージなのかもしれないですね。
VAN McCOY - the hustle (1975) (HQ)
この曲を作ったヴァン・マッコイはプロデューサー、作曲家、編曲家として有名ですが、もともとは歌手を目指していた人です。
ニューヨーク出身の彼は大学中退後フィラデルフィアに移って自分のレーベルを作り、自作自演のシングルをリリースします。
セプター・レコード(ディオンヌ・ワーウィックのバカラック作品などが有名)のオーナー、フローレンス・グリーンバーグがこのシングルに興味を持ち、彼を雇うことに決めます。
当初彼はスタッフ(A&R)をやっていましたが、曲やアレンジもどんどん手掛けるようになります。
シンガーとして1966年にミッチ・ミラーのプロデュースで、ナット・キング・コールばりのクリーンなボーカル・アルバムをリリースしましたがヒットしませんでした。
シンガーとしては60年代にシングルをけっこうリリースしていますが、結局ヒットせず、1970年代には自身のオーケストラ”Soul City Symphony ”を作りインストゥルメンタルに活路を見出します。
当時、日本で人気のあったスタイリスティックスのプロデュースを彼はやっていたので、日本では”スタイリスティックス・オーケストラ”と表記されていました。
当初は有名曲のR&Bテイストにアレンジしたイージー・リスニング的な作品を作っていましたが、当時ディスコが盛り上がってきたので、それを取り入れることにしたことが結果的に彼を成功へと導きます。
そのころディスコでは”Bump"というおしりをぶつけ合う踊りが流行していました。ライオネル・リッチーがいたコモドアーズはそのまま「バンプ」という曲を作てちます。日本ではシングルになっていますので、日本でもけっこう注目されたのでしょう。
アルバムの制作でニューヨークに滞在しているとき彼は、ニューヨークの”アダムス・アップル”というナイト・クラブ(ディスコ)で常連客がカップルで踊る”ハッスル”というダンスを見て、それを曲にすることを思い立ちます。
(昨日ブログで紹介した「YMCA」のプロデューサーはニューヨークのディスコでヴィレッジ・ピープルのアイディアを思いついたそうですから、やはり”現場に足を運ぶこと”は大事なんですね。)
このときは”バンプ”が流行っていて”ハッスル”はまだ流行の兆しが見えてきたぐらいだったそうです。
そして、この「ハッスル」を録音するために集まったのは、後にフュージョン・グループ”スタッフ”を結成するゴードン・エドワーズ、スティーヴ・ガッド、リチャード・ティー、エリック・ゲイルというスーパー・ミュージシャンたちだったというから驚きです。
歌手として何度も失敗した彼は、まさかインストの「ハッスル」が1000万枚をこえる特大ヒットになるとは思ってもいなかったようです(日本でもオリコン洋楽チャートで19週も1位を続けたそうです)。
彼がコアなディスコ・シーンの人間じゃなかったので、かえって客観的な視点を持つことができたという利点はあったのかもしれません。また、彼自身が本来とても洗練されたスタイルのクリエイターであり、長く仕事をしていたセプター・レコードも黒人と白人のマーケットををクロスオーバーした作品を作っていたところだったので、「ハッスル」も黒人以外の人にも楽しめるものになったというのが、結果的に良かったのではないかと僕は思っています。
かなり長い下積みが、そこで蓄積されたノウハウが、一気に花開いたタイミングだったわけです。
これだけの特大のヒットを出した後の曲というのがとても難しいわけで、アメリカではその後彼はヒットは出せませんでした。
ただ翌年にイギリスでは、まあまあのヒット(最高4位)が出ています。その名も「シャッフル(The Shuffle)」。こんな曲でした。