まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「ハッスル(The Hustle)」ヴァン・マッコイ&スタイリスティックス・オーケストラ(1975)

 おはようございます。

 今日は、今でもCMなどでよく使われる人気曲「ハッスル」です。初期のディスコ・ミュージックでリズムも激しくないので、今の時代で聴くと、ディスコというより軽快でキャッチーなインスト曲というイメージなのかもしれないですね。

 


VAN McCOY - the hustle (1975) (HQ)

 

 

 この曲を作ったヴァン・マッコイはプロデューサー、作曲家、編曲家として有名ですが、もともとは歌手を目指していた人です。

 ニューヨーク出身の彼は大学中退後フィラデルフィアに移って自分のレーベルを作り、自作自演のシングルをリリースします。


Van McCoy - Mr DJ 45 rpm!

 セプター・レコード(ディオンヌ・ワーウィックバカラック作品などが有名)のオーナー、フローレンス・グリーンバーグがこのシングルに興味を持ち、彼を雇うことに決めます。

 当初彼はスタッフ(A&R)をやっていましたが、曲やアレンジもどんどん手掛けるようになります。

 シンガーとして1966年にミッチ・ミラーのプロデュースで、ナット・キング・コールばりのクリーンなボーカル・アルバムをリリースしましたがヒットしませんでした。


Night Time Is A Lonely Time

 シンガーとしては60年代にシングルをけっこうリリースしていますが、結局ヒットせず、1970年代には自身のオーケストラ”Soul City Symphony ”を作りインストゥルメンタルに活路を見出します。

 当時、日本で人気のあったスタイリスティックスのプロデュースを彼はやっていたので、日本では”スタイリスティックス・オーケストラ”と表記されていました。

 当初は有名曲のR&Bテイストにアレンジしたイージー・リスニング的な作品を作っていましたが、当時ディスコが盛り上がってきたので、それを取り入れることにしたことが結果的に彼を成功へと導きます。

 そのころディスコでは”Bump"というおしりをぶつけ合う踊りが流行していました。ライオネル・リッチーがいたコモドアーズはそのまま「バンプ」という曲を作てちます。日本ではシングルになっていますので、日本でもけっこう注目されたのでしょう。


ザ・バンプ  コモドアーズ

 

 アルバムの制作でニューヨークに滞在しているとき彼は、ニューヨークの”アダムス・アップル”というナイト・クラブ(ディスコ)で常連客がカップルで踊る”ハッスル”というダンスを見て、それを曲にすることを思い立ちます。

  

 (昨日ブログで紹介した「YMCA」のプロデューサーはニューヨークのディスコでヴィレッジ・ピープルのアイディアを思いついたそうですから、やはり”現場に足を運ぶこと”は大事なんですね。)

 

popups.hatenablog.com

 

 このときは”バンプ”が流行っていて”ハッスル”はまだ流行の兆しが見えてきたぐらいだったそうです。

 

 そして、この「ハッスル」を録音するために集まったのは、後にフュージョン・グループ”スタッフ”を結成するゴードン・エドワーズ、スティーヴ・ガッドリチャード・ティー、エリック・ゲイルというスーパー・ミュージシャンたちだったというから驚きです。

 

 歌手として何度も失敗した彼は、まさかインストの「ハッスル」が1000万枚をこえる特大ヒットになるとは思ってもいなかったようです(日本でもオリコン洋楽チャートで19週も1位を続けたそうです)。

 

 彼がコアなディスコ・シーンの人間じゃなかったので、かえって客観的な視点を持つことができたという利点はあったのかもしれません。また、彼自身が本来とても洗練されたスタイルのクリエイターであり、長く仕事をしていたセプター・レコードも黒人と白人のマーケットををクロスオーバーした作品を作っていたところだったので、「ハッスル」も黒人以外の人にも楽しめるものになったというのが、結果的に良かったのではないかと僕は思っています。

 かなり長い下積みが、そこで蓄積されたノウハウが、一気に花開いたタイミングだったわけです。

 これだけの特大のヒットを出した後の曲というのがとても難しいわけで、アメリカではその後彼はヒットは出せませんでした。

 ただ翌年にイギリスでは、まあまあのヒット(最高4位)が出ています。その名も「シャッフル(The Shuffle)」。こんな曲でした。


Van McCoy - Shuffle

 

 

 

The Hustle

The Hustle