おはようございます。
昨日に続いて吉田美奈子。彼女のデビューアルバムのタイトルソングです。
Minako Yoshida - 扉の冬 (1973) [Japan, Soul]
ユーミンをキャロル・キングとすると吉田美奈子はローラ・ニーロ、こういう譬え方は、音楽でうんちくを語りたがる人間(僕のように)ついついやりたがる手口です。
ただそれは、安直にわかりやすくしようという意図だけじゃなく、アメリカと日本と不思議なシンクロが起きていた、と思いたいマニアの心情も含まれているんだと僕は思っています。
吉田美奈子=ローラ・ニーロ、というラインに限れば、単なる譬えのレベルを超えて共通点は多い気がします。だいたい、地声からファルセットに変わっていくときの声質が似ています。
彼女本人もローラが好きで自分と似ていると思ったのでしょうか、高校時代には細野晴臣のバッキングでローラ・ニーロの「ウーマンズ・ブルース」を歌ったことがあると語っています。
ユーミンは中学時代から音楽関係者の集まる場所に通いはじめ、高校一年で作曲家デビューした早熟の天才ですが、吉田美奈子も中学3年で銀座のディスコで演奏し、高校の時には細野晴臣や松本隆と交流して曲を作り始めたという強者です。
そして、この「扉の冬」の入った彼女のデビュー・アルバム「扉の冬」は1973年の9月にリリースされています。ユーミンのデビュー作「ひこうき雲」は2か月後の11月発売です。
この2枚のアルバムは同じ”ティンパン・アレイ”のメンバー(細野晴臣、林立夫、鈴木茂、松任谷正隆)が演奏しています。
レーベルは「ショーボート」。トリオレコードと、はっぴいえんどのマネージメント・スタッフで作った会社”風都市”が組んで作ったレーベルで、当時、風都市に所属していた彼女の「扉の冬」と南佳孝の「摩天楼のヒロイン」が第一弾でした。
彼女はこのころすでにキャラメル・ママ(ティンパン・アレイ)のツアーに参加していたので、ソロ・デビューが決まってたときに彼らが演奏するのは必然的なことでした。
「ピアノを弾きながら歌ったんです。だからピアノと歌の呼吸が混ざったプリミティヴな状態がそのまま出てる。私はそんな融通きかないから、一番やりやすい方法ということで、私のピアノと歌に合わせて、キャラメル・ママにサウンドをつけてもらうという感じでした」
(レコードコレクターズ増刊 日本のロック/ポップス)
同じ時期で同じ演奏メンバーでも「ひこうき雲」と「扉の冬」はスタンスが違うんですね。
「ひこうき雲」はプロデューサーの村井邦彦の発案で、キャロル・キングの「つづれおり」のようにスタジオ・ミュージシャンがじっくり話し合いながらするアレンジがほどこされています。
それに対して「扉の冬」はあくまでも、吉田美奈子の弾き語りが主役で、それを引き立てるような演奏になっているわけです。
ローラ・ニーロはR&Bに深い愛情を持つ人でしたが、吉田美奈子も中学生の時初めて好きになったポピュラー・ミュージックのアーティストがアレサ・フランクリンだったという筋金入りのR&Bファンです。
「扉の冬」は数多のピアノ弾き語りの日本のシンガー・ソングライターの作品でも異彩を放っているのは、どこかソウル・フィーリングを感じてしまうからでしょう。
こと「ひこうき雲」と「扉の冬」の比較に関しては、キャロル・キングとローラ・ニーロを引き合いに出すのは全く間違いじゃない思うのですがどうでしょう。