まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「ハート悲しく(Hearts)」マーティ・バリン(1981)

 おはようございます。

 今日はマーティ・バリンの「ハート悲しく」。

 ジェファーソン・エアプレインの創立メンバーで発起人の一人です。

 彼が1981年にソロ活動を始め、この曲はアメリカでも大ヒットしましたが、日本人好みの哀愁感のある歌謡曲フィーリングがウケて、日本ではアメリカ以上に大ヒットしました。

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Is everything all right?
I just called to say how lost I feel without you
Miles away
I really can't believe I'm here and how I still care about you


Hearts can break
And never mend together
Love can fade away
Hearts can cry
When love won't stay forever
Hearts can be that way


Is everything the same?
Do you ever think of me and how we loved one another?
Will you change your mind?
Will you want me back again or have you found yourself a new lover?


Hearts can break
And never mend together
Love can fade away
Hearts can cry
When love won't stay forever
Hearts can be that way

 

Is everything okay?
I just thought I'd write a song to tell the world how I miss you
'Cause each and every day
I think of all the words I never said and all the chances that I had to


Hearts can break
And never mend together
Love can fade away
Hearts can cry
When love won't stay forever
Hearts can be that way
Hearts can be that way
Hearts can be


Is everything all right?

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元気にしてるかい?
君がいないとどれだけ寂しいか言いたくて電話したんだ
何マイルも離れた場所から
自分がここにいることが本当に信じられないし、
まだ君のことを思っている


心は壊れるもの
そして、決して元どおりにはならない
愛は色あせるもの
心は泣くことができる
愛が永遠に続かないとき
心はそんな風になってしまう


変わりはないかい?
僕のことや、二人がどれだけ愛し合ったか、思い出したことはある?
心変わりしてしまうのかい?
また僕に戻ってきてほしいのか、
それとももう新しい恋人を見つけたの?


心は壊れるもの
そして、決して元どおりにはならない
愛は色あせるもの
心は泣くことができる
愛が永遠に続かないとき
心はそんな風になってしまう


大丈夫かい?
君がどれだけ恋しいのかを歌にしようと思ったんだ
だって、来る日も来る日も
僕は言えなかったすべての言葉と、
言うべきだったチャンスを全部思い出してしまうんだ


心は壊れるもの
そして、決して元どおりにはならない
愛は色あせるもの
心は泣くことができる
愛が永遠に続かないとき
心はそんな風になってしまう


うまくいってるのかい?

          (拙訳)

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 それでは、さっそくマーティ・バリンの歩みをざっと追ってみたいと思います。

 シンシナティで生まれ、サンフランシスコで育った彼は、東欧からの移民でユダヤ系の血をひいていて、本名をマーティン・ジェレル・バックウォルドといい、1962年にソロシンガーとしてデビューする際にマーティ・バリンという芸名に変えています。


Marty Balin - Nobody But You

  ちなみにこの曲を書いたのはデイヴ・バージェス。「テキーラ」で有名なザ・チャンプスのバンド・リーダーだった人です。

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   彼はもう一枚シングルをリリースしていますが、グレン・キャンベルやレッキング・クルーのメンバーが演奏し、コーラスはダーレン・ラヴのいたブロッサムズがつとめていたそうです。

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 しかし、彼はソロ・アーティストとしてはうまくいかず、彼はザ・タウン・クライアーズというフォーク・グループに参加します(1964年まで)。

 

 そして、サンフランシスコのフォーク・シーンの中でジェファーソン・エアプレインを結成するメンバーと出会うわけです。

  ファースト・アルバムでは彼はメイン・ボーカルでかつメイン・ソングライターでした。デビュー曲「It's No Secret」も彼の作品です。

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 しかし、グレイス・スリックが加入しセカンド・アルバム以降は、彼女やもう一人のメイン・メンバーであったポール・カントナーなどのウェイトが高くなり、1971年に彼は一度バンドを辞めてしまいます。

 その後、1973年にバンド自体も解散しますがポールを中心にグレイスも参加して、1974年に新たに”ジェファーソン・スターシップ”という名前で活動を再開するのですが、マーティンもそこにゲスト参加し、途中からは正式メンバーとして復帰を果たします。

 ちなみにジェファーソン・エアプレインとしての最大のヒット曲”Miracles”(1975年全米3位)はマーティの作品です。

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 元々メロディアスな曲を好むマーティは、サイケデリックな時代には本領を発揮できず、1970年代半ばころになってやっと時代と自分の個性がマッチし始めたのかもしれません。

 そして、1970年代後半になるとグレイス・スリックがドラッグ問題でバンドを離脱することになったこともあり、彼はソロ・プロジェクトを始め、リリースしたシングルがこの「ハート悲しく」だったわけです。

 時代はよりポップになり、メロウな楽曲もウケていました。自分にぴったりの時代が来ている、だったらバンドがやれないならソロでやろう、しかもバンドではやれないようなメロウなものがいいんじゃないか、そんなふうに彼は思ったんじゃないかと僕は勝手に想像しています。

 

 この「ハート悲しく」を書いたのはジェシ・バリッシュ。ジェファーソン・スターシップにも曲を書いていて「Count On Me」という曲は全米8位の大ヒット。彼自身もセルフカバーしていて、彼のアルバムはAORマニアから高く評価されています。

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 「ハート悲しく」が収録されたアルバム「恋人たち(原題:Balin)」では、バリンは1曲共作しただけで、他は別のソングライターの作品で占められています。本来ソングライターである彼はシンガーに専念したわけですね。当時人気だったAORシーンにアピールするための戦略だったのかもしれません。

 

 この「ハート悲しく」は日本で大変人気が高く、オリコン洋楽チャートで7週1位さったそうです。日本人アーティストもカバーしています。デビュー時の音楽性に「ハート悲しく」の世界観の影響が少なくなかったように思える稲垣潤一と、ちょっと意外な(?)河合奈保子です。

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ハート悲しく

 他に、桑田佳祐が”嘉門達夫”名義でリリースしたライヴ盤でもこの曲をやっていましたね。

  そして、マーティは稲垣潤一にそのお返しとして(?)、稲垣潤一の曲を歌った4曲入りミニアルバム「一人のままで」を日本企画として発売しています。編曲は井上艦で日本の凄腕スタジオミュージシャンが集まり、ジャパニーズ・シティ・ポップサウンドと彼のヴォーカルの相性もバッチリです。

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 その後、1980年代半ば、彼はジェファーソン・エアシップの仲間だったポール・カントナーとジャック・キャサディの3人で”KBCバンド”を組みましたが、商業的な成功せず、1989年には短期間のジェファーソン・エアプレイン再結成ツアーに加わり、その4年後にジェファーソン・スターシップの一員として復帰し、2008年に脱退をしています。

 そして2018年9月に彼が亡くなったというニュースが日本にも伝わってきました。

 

 最後にアルバム「恋人たち」から「ハート悲しく」に次ぐヒット「アトランタの少女(Atlanta Lady (Something About Your Love))」(1981年 全米27位)を。曲を書いたのはやはりジェシ・バリッシュ。いわゆる”AOR感”はこっちのほうがあるかもしれないですね。

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