まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「ブリージン(Breezin')」ジョージ・ベンソン(1976)

 おはようございます。

 今日はジャズ、R&B、ポップの枠を超えて大ヒットしたインスト・ナンバー、まさに”CROSSOVER"の代名詞、ジョージ・ベンソンの「ブリージン」です。


George Benson - Breezin 1976 (Original Studio Version)

 

 この曲の入ったアルバム「ブリージン」は全米ポップ・チャート、R&Bチャート、ジャズ・チャートの3つでNO.1を獲得するという快挙を成し遂げました。当時、ジャズをベースにジャンルを超えたアプローチをする音楽を”クロスオーバー”と呼びましたが、商業的にもこれほど”クロスオーバー”した作品がこれが初めてだったと思います。

 

 ジョージ・ベンソンはこのときすでにデビュー12年目で、ジャズ・ギタリストとしての知名度は高かったのですが、ポップ、R&Bシーンでは有名とはいえませんでした。

 しかし、このアルバム一枚で彼は一躍”時の人”になったのです。

 

 アルバムのタイトル曲「ブリージン」は当時日本のラジオやテレビでもよく耳にしましたが、実はカバー曲です。

 オリジナルはハンガリー出身のギタリスト、ガボール・ザボが1971年にリリースした「High Contrast」というアルバムに収録されていました。


Gabor Szabo - Breezin' 1971

  ベンソンのヴァージョンに繰り返し出てくる”あのリフ”はオリジナルにはないんですね。それだけでもかなり印象は違います。

 

 この曲を書いたのはボビー・ウーマック。ロックの殿堂入りも果たしているほど偉大な足跡を残したギタリスト、ボーカリスト、ソングライターですが、ザボのアルバムに参加した(この曲ではリズム・ギターを弾いています)のがきっかけでこの曲を提供したようです。

 

 また、このアルバムをリリースしたレーベル”ブルー・サム”の(共同)創立者で、アルバムのプロデューサーだったのがトミー・リピューマです。

 

 彼は1970年代半ばになるとワーナー・ブラザース・レコードのA&Rプロデューサーとして活動を始めます。そして、マイケル・フランクスを大ヒットさせて勢いにのった彼は、次に自らが口説き落としてワーナーに移籍してきたジョージ・ベンソンを手がけることになります。

 

   ジョージが「ブリージン」をカバーするというもちろん、トミーのアイディアでした。

 そして、これもトミーのアイディアでこの曲を書いたボビー・ウーマックもレコーディングに呼んで演奏してもらうことになりました。

 しかし、その頃ボビーはコカインに溺れていて仕事に支障をきたすほどだったそうです。

 ボビーはボロボロで、どうにか一回通して弾くと帰ってしまったそうです。

 彼の演奏は使いものにならないと判断したトミーは、フィル・アップチャーチにボビーが弾いたリフを生かしたかたちで、弾き直してもらったそうです。フィルはベース奏者でもあったので、それに合わせてベースも録り直しをするなど、かなり大変な作業だったようです。

 

 この「ブリージン」が収録された「ブリージン」というアルバムを大ヒットさせたもう一つの重要曲もトミーの選曲でした。「マスカレード」。レオン・ラッセルが作ったボーカル曲でした。このアルバム方のファースト・シングルとして全米10位、R&B3位の大ヒットになっています。


george benson this masquerade

 この曲を聴くたびにいつも思うのが、ストリングスのうっとりしてしまうような素晴らしさ。アレンジはクラウス・オーガーマン。

 

  ちなみに「This Masquerade」はファースト・テイクがそのまま採用されたそうです。

 緻密そうな「マスカレード」がほぼ一発録りでレコーディングされ、軽快な「ブリージン」が、抜本的に差し替えて、大きく編集し直したというのも興味深い話です。

 

 さて、トミー・リピューマというプロデューサーの特筆すべきところは、アーティストに最適な曲を選び(良い曲を書けるアーティストでも、必要であれば他の作家の曲をピックアップする)、そのアーティスト、曲に最適なミュージシャン、スタッフを選択できるズバ抜けたセンスです。

 そこまでしっかりお膳立てすると、スタジオでは基本アーティスト、ミュージシャンが自由にやれる雰囲気にするそうです(しかし、ミックスでは自分が主導権を握り非常に細かく指示するようです)。

 

 アルバムのキーボーディストで作曲でも参加しているロニー・フォスターはトミーについてこう語っています。

「トミーは何と言ってもセンスが良いね。選ぶ曲だったり、方向性だったり。今日に至っても全く同じなんだけれど、アーティストを輝かせる曲、それが最も重要なんだ。そしてアーティストをなによりリラックスさせてレコーディングする環境作り、それもトミーは素晴らしいね」

 (AOR AGE vol.5)

 

 トミー本人はこういう自らのスタンスについてこう語っています。

 「これってとても大事なことで、多くのレコードに入る前からすでに結果が見えているんだ。始まる前に正しい判断をしておけば、そのとおりの結果がついてくる。あとは自然になるようになるよ」

 (「トミー・リピューマのバラード ジャズの粋を極めたプロデューサーの物語」)

 

 

 僕はこの曲が大ヒットした頃から本格的に洋楽を聴き始めたので記憶が鮮明なのですが、70年代半ばから後半というのは、あらゆる商業音楽が”都会化”され”洗練”されていった時代でした。日本でも”フォーク”から”ニュー・ミュージック”に変わっていったように。

 

 そして、ポップス、R&B、ジャズをクロスオーバーし、かつ都会化され洗練されたのが”AOR”だったのじゃないでしょうか。

 

 そしてAORというのは、BGMとして生活を心地よく演出するというニーズが大きいジャンルで、その中でも用途としては大きく二つあったように思います。デイタイムの心地よい陽射しと風を感じるような<ドライヴ向け>のものと、都会の夜をおしゃれに過ごす<カクテルタイム向け>のもの、と。

 そして、前者には「ブリージン」、後者には「マスカレード」がまさに合っています。

 そう考えるとこのアルバムは、AORサウンドだけではなく、カテゴライズするという意味でも先鞭となった作品だったようにも僕には思えます。

 

  ジョージ・ベンソンはこの後、ヴォーカリストとして開眼し、80年代半ばあたりまでポップ、R&Bフィールドでも大活躍していきます。

 

 クインシー・ジョーンズのプロデュースによる大ヒット曲「Give Me The Night」(1980年全米4位、R&B1位)。今思えば、ジャズ界の大物二人でディスコをやっていたわけですね。

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 日本のオーディオのTVCMにも使われた「Turn Your Love Around」(1981年全米5位R&B1位)。プロデュースはジェイ・グレイドン、曲を書いたのはグレイドン、ビル・チャンプリン、スティーヴ・ルカサー。演奏陣にはデヴィッド・フォスターデヴィッド・ペイチなどまさにAOR最強のラインアップ。興味深いのはドラムがジェフ・ポーカロなのに彼は叩かず、ドラム・マシーン(リン・ドラム、Linn LM-1)をプログラミングしています。

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トミー・リピューマ プロデュース作品

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1stバースデー