まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード (Goodbye Yellow Brick Road)」エルトン・ジョン(1973)

 おはようございます。

 今日はエルトン・ジョンの「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」です。


Goodbye Yellow Brick Road (Remastered 2014)

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When are you gonna come down?
When are you going to land?
I should have stayed on the farm
I should have listened to my old man

You know you can't hold me forever
I didn't sign up with you
I'm not a present for your friends to open
This boy's too young to be singing, the blues

So goodbye yellow brick road
Where the dogs of society howl
You can't plant me in your penthouse
I'm going back to my plough

Back to the howling old owl in the woods
Hunting the horny back toad
Oh I've finally decided my future lies
Beyond the yellow brick road

What do you think you'll do then?
I bet that'll shoot down your plane
It'll take you a couple of vodka and tonics
To set you on your feet again

Maybe you'll get a replacement
There's plenty like me to be found
Mongrels who ain't got a penny
Sniffing for tidbits like you on the ground

So goodbye yellow brick road
Where the dogs of society howl
You can't plant me in your penthouse
I'm going back to my plough

Back to the howling old owl in the woods
Hunting the horny back toad
Oh I've finally decided my future lies
Beyond the yellow brick road

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いつ戻ってくるんだい?

いつ到着するんだい?

僕は農場にいればよかったよ

父さんの言うことを聞くべきだった

 

君は僕を永遠に縛りつけることはできないんだ

君とは契約したわけじゃないから

僕は君の友達が開けるプレゼントじゃないんだ

この坊やは若すぎて歌えないのさ、ブルースなんて

 

だから、さよなら黄色いレンガ路

上流階級の犬たちがわめく場所

僕を君のペントハウスにいさせることはできないんだ

畑仕事に戻ることにするよ

 

森のなつかしいフクロウのところに戻って

背中がツノみたいなカエルを捕まえるさ

ああ、僕はようやく心に決めたんだ

僕の未来はこの黄色いレンガ路の向こうにあるって


君は何をやっていると思う、その頃?
このことが君の飛行機を撃ち落とすことになるだろうね
ウォカトニックを2杯は飲まなきゃ

もう一度立ち上がることはできないかもね

 

たぶん君は僕の代わりを見つけるだろう

僕みたいなやつならいくらでもいるさ

一文無しの野良犬たちが 地べたで

君みたいな餌を探して鼻をクンクンさせてるよ

 

だから、さよなら黄色いレンガ路

上流階級の犬たちがわめく場所

僕を君のペントハウスにいさせることはできないんだ

畑仕事に戻ることにするよ

 

森のなつかしいフクロウのところに戻って

背中がツノみたいなカエルを捕まえるさ

ああ、僕はようやく心に決めたんだ

僕の未来はこの黄色いレンガ路の向こうにあるって   (拙訳)

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 「ロケット・マン」(1972年全米6位、全英2位)、「クロコダイル・ロック」(同全米1位、全英5位)、「ダニエル」(1973年全米2位、全英4位)とヒット曲を連発し、一気に大スターの地位にのぼりつめたエルトン・ジョンは、次のアルバムのレコーディングをジャマイカで行うことに決めます。

 

 ローリング・ストーンズ(「山羊の頭のスープ」)、キャット・スティーヴンス(「異邦人〜キャット・スティーヴンス第5集」)など当時のスーパースターたちがジャマイカでレコーディングをしていたので、彼もそれに倣ったんですね。

 

 しかし、到着してみると治安はひどく、スタジオの機材もそろっていなかったため、彼ら一行は早々に引き上げ、前のアルバムで使ったフランスのストロベリー・スタジオ(フランスのエルヴィル城に作られたスタジオ)に移動し、アルバムの制作をはじめることになります。

 約2週間、バンド・メンバーとスタッフと家族のようにそこで生活しながらアルバムをレコーディングしていったそうです。

 

 エルトン・ジョンは必ず詞先で曲を書く人です。そして、作詞が相棒バーニー・トーピンのときにその才能が一段高いレベルで開花します。

 このときも、バーニーがせっせと書いた歌詞の山から、毎朝エルトンが選び、それに曲をつけて録音していったそうです。

 

 「いつも朝食のテーブルで書いた。そこに、バンド・メンバーも来て。朝食が終わる頃には曲が出来上がっていて、2曲リハーサルしてからスタジオに行きレコーディングする。僕がベッドに入っている間、メンバーがコーラスを入れてくれる。あれが僕たちのパワーの頂点だったね」( Songfacts)

 

 バンドのドラマーであるナイジェル・オルスンによると、歌詞のことで二人が話し合うことは一切なく、バーニーの歌詞にただただ曲をつけていくだけだったそうです。

 

「大変でもなく、努力もせず、楽しかった」とエルトンはこのときのことを回想しています。

 「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」は今ではエルトンにとっての「サージェント・ペパーズ」、「ペット・サウンズ」とまで評されているアルバムで、しかも二枚組なんです。

 

 バーニーも

「もし誰かがこのアルバム全体を他の誰かが書いたと言ったら、それを信じてしまうかもしれない。そこにいたことは覚えているが、ただ、自分の肉体を通して創作していなかったんだ」

「僕は手書きで歌詞を書いた。タイプライターを持っていなかったんだと思う。僕がはっきり覚えている数少ないことの一つは、これは今もその様子が浮かぶんだけど、僕はベッドの隅にすわってメモ帳にただ書いていた、ただ意識の流れで書いていたということだ」 (American Songwriter)

 

 彼らの創作能力がまさに”神がかっていた”時期だったのでしょう。

 

 ただし、エルトンはノリに乗ってテンションが高かったようですが、バーニーには大ブレイクしたことをどこか客観的に、悲観的に見る視点があったようです。

 実際にスポットライトを浴びるのはエルトンだけですから、そういう差が生まれるのは当然かもしれません。

 

「成功には幻滅していなかった。幻滅というよりは都会に出た地方の若者が経験する苦労だ。理解できない都会というか。<中略>もちろん、成功や名声への疑問もあった。ロックンロールがすべてではないという気持ちだ。」

(DVD クラシック・アルバムズ「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」)

 

「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」の”イエロー・ブリック・ロード”は、「オズの魔法使い」の主人公ドロシーが、オズの魔法使いが住むエメラルド・シティに向かう道のことだというのはよく知られています。

 

 歌詞は様々な解釈ができるとは思いますが、基本的には田舎から都会に出てきた青年が、田舎に帰ろうと決意する内容です。僕には、主人公は歌手になるために都会に出て来て、彼を縛ろうとしていたのはマネージャーやレーベルの人間、という風に思えます。芸能界での成功につながる道に別れを告げている、という風に。 

 

 ただ、スターダムに駆け上がったばかりので絶好調のアーティストが、もうやめて田舎に戻りたいという歌を歌うというのは、かなり皮肉なことです。しかし、それを「オズの魔法使い」を引用した優れた歌詞と、美しいコード感に満ちたメロディが重なることで、皮肉ではなく、内面の深みとしての表現になったように思えます。

 新進気鋭のアーティストだったエルトンの”才能の深化”が現れた曲として、彼に一段と箔をつける結果につながったわけです。

 

 バーニーはこのように語っています。

 「"自分のルーツのようなものに戻らなければならない "と考えていた時期があったんだ。そのため、初めの頃にはそういう気持ちを書いた曲をたくさん書いた。これもそのひとつだ。僕は、成功に背を向けたことも、成功はほしくない、と言ったこともない。自分がそこまでナイーブだったとは思えないんだ。ただ、もっと穏やかな環境で成功させる、幸せな中間のやり方があることを望んでいたのだと思う。僕の唯一のナイーヴなところは、思うに、すぐにそれができると信じていたことだなんだ。その目標を達成するためには、長い長い道のりを歩き、人生経験を積まなければいけなかったんだ」

                 (American Songwriter)

 

 このアルバムにはその後彼の最大のヒット曲になる「キャンドル・イン・ザ・ウインド」も入っています。これは、マリリン・モンローに捧げた歌ですが、バーニーは彼女のファンだったというわけではなく、彼女やジェームズ・ディーンや、ジム・モリソンなど若くして亡くなったスターという存在に興味を惹かれて作ったそうです。

 

 エルトンがスターへの階段を駆け上がっていこうという真っ最中に、逆にバーニーはルーツに戻ることを意識し、売れた時にはその成功を客観視し、疑問にさえ思っていたわけですね。

 

 彼はエルトンの歩みと逆行した考えを常に持ちながら、ソング・ライティングのパートナーとしてはこの上なくフィットしていてわけで、エルトンはそんな”逆のベクトルにあった”彼の歌詞を”才能の勢いに任せるままに”曲にして歌っていったわけです。

 そういういわゆる”アンビバレント”なバランスが当時のエルトンに不思議な魅力を加えることになったのかもしれません。言い換えれば、バーニーがたんに優れた作詞家というだけではなく、エルトンと同じような思いを持つ、単なる”代弁者的な”作詞家ではなかったからこそ、よかったのだと僕には思えます。

 思いが異なるがこそ、不思議な”化学反応”が起きたのではないかと思えるのです。

 

 しかし、やはりその後、ふたりの波長は合わなくなり、その3年後に一度袂を分かってしまいます(その7年後にまた復活しますが)。

 

 最後にカバーを2つ。まずは、2018年リリースのエルトンのトリビュート・アルバム「REVAMP」に収録されていた、ハード・ロック・バンド、クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジのカバーを。プロデュースは、ブルーノ・マーズ「アップタウン・ファンク」やエイミー・ワインハウス「Rehab」を手がけたマーク・ロンソン。


Goodbye Yellow Brick Road

 そして、二大ピアノ・マンのもうひとり、ビリー・ジョエルのライヴ音源もどうぞ。


Billy Joel sings Goodbye Yellow Brick Road

 

 

 

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