おはようございます。
今日は久保田利伸の「流星のサドル」です。
久保田利伸 - 流星のサドル [Official Video]
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正真正銘、彼は日本のメジャー・シーンにおけるR&Bのパイオニアです。それには誰も異論はないんじゃないでしょうか。
もちろん、それまでに音楽的にR&Bにアプローチしていたアーティストはいましたが、歌唱、アーティストイメージすべてで最新のR&B感を打ち出せていた人はいなかったと思います。
でも、あらためて今の音楽シーンを眺めてみても、彼みたいなアーティストは他に誰もいないように思います。彼はパイオニアなのですが、後に誰もつづかなかった、というよりつづけなかった、ということなのかもしれません。つづこうとトライした人はいたと記憶していますが。。。
正確な表現は忘れてしまいましたが、彼が出てきたときにユーミンが、山下達郎が何年もかけてやってきたことを彼がいきなりやってしまった、みたいなことをどこかで発言していたのをおぼえていて、なるほど、と思ったものです。
それだけ稀有な才能であるわけですが、彼のR&B感とともに僕が最初からずっと注目していたのが彼の”ポップ”感です。彼流のR&B道を極めてゆく道筋の中で、常に垣間見える”ポップ・センス”がただならぬもののような気がしていたのです。
ポップ・センスも相当にあったからこそ、あんなに売れた、だからこそ、そのかわり。アーティストしての凄さが少しあいまいに映ってしまう、少しだけ軽めに見られてしまうそんなこともあったのかもな、とも思います。
ここで、彼のスタート地点をもう一回振り返ってみたいと思います。
まず、彼の音楽的なルーツについて発言しているものを探してみました。
「僕が勝手に自分でラジオや何かで聴いて好きになったのは、ポール・マッカートニーとか、解散後のビートルズの面々ですね。スティーヴィー・ワンダーとかもあったけど」
(ROCKIN'ON JAPAN FILE vol.2)
「『実は歌うこと、曲を作ることより、聴くことが好き』と明かした久保田は、自身の音楽の原点にスティーヴィー・ワンダー(63)の名前を挙げ、『中学、高校時代は毎日聴いていた。その後も今に至るまで週に2、3回は聴いている』と、今でもリスペクトしていることなどを話した」
(デイリー・スポーツ 2013年7月)
スティーヴィー・ワンダーは納得ですが、ポール・マッカートニーや解散後のビートルズのメンバーというのが興味深いですね。
彼は大学時代に組んだ”HOTTENTOTS”というファンク系のバンドで出場した”イースト・ウエスト”(サザン、ラッツ&スター、エレカシなども出場したバンド・コンテスト)で最優秀ボーカルを獲得します。その後、バンドで作ったデモ・テープを気に入った今の事務所と契約することになります。
「そう、歌手として俺はガンガンにいけるだろうと思ってた。作曲家としてっていうのはあんまり考えていなかった。」
(ROCKIN'ON JAPAN FILE vol.2)
そう語っていますが、彼はまず作曲家としてキャリアをスタートさせることになります。
一番有名なのはこの曲ですね。田原俊彦「It's Bad」
嵐が出てきたときに、ジャニーズもラップやるようになったんだ、と僕は思ったのですが、考えてみたら大昔にとっくにやっていましたね、、。
そして、こうした実績をひっさげていよいよ彼はデビューするわけですが、その前に”プロモーション用デモテープ”をマスコミに配り、それが大変な話題になります。それは”すごいぞ!テープ”と呼ばれていました。
当時(1986年)、僕は大学生でR&Bばかり聞いていたので彼の評判を聞くとすぐデビュー・シングル「失意のダウンタウン」も買いました。そして、ラジオ局でバイトしていた友人が”すごいぞ!テープ”のコピーを持っていたので、聴くことができて、まさに、こりゃすごいぞ、と思ったものです。
"すごいぞ!テープ”はA面にデビュー・アルバムの楽曲、B面にカバー曲が収録されていて、特にB面の内容にみんな驚愕したんですね。
久保田利伸 すごいぞ!テープ It's BAD~ I Wish~ A Song For You デビュー前のデモテープ
久保田利伸 すごいぞ!テープ メドレー デビュー前のデモテープ
2つ目の音源の最初は”ウィ・アー・ザ・ワールド”に参加したアーティストのオリジナル曲をメドレーで一人で歌いきるという離れ業ですね。
そして、そのあとデビュー・アルバム「SHAKE IT PARADISE」が出るわけです。
久保田本人は
「最初のデモ・テープまですごいものを作れていなかったんです」
「で、それを越えるものを作んなきゃいけないというプレッシャーがあって」
(ROCKIN'ON JAPAN FILE vol.2)
と”すごいぞ!テープ”の反響がありすぎたことでかえって、ファースト・アルバムをインパクトのある作品にできなかった、という主旨の発言をしています。
でも、僕は「SHAKE IT PARADISE」が彼のアルバムの中で一番好きなんです。
このアルバムの良さは、彼のメロディー・メイカーとしての資質がすごく良く出ていることです。代表曲「Missing」以外のバラード「Dedicate(To M.E)」と「For You〜伝えられなくて」も美しいメロディーでかつ、それまでの日本のポップスでは聴いたことがないような雰囲気がありました。
「流星のサドル」はアルバムの1曲目で、今ではこれがデビュー曲だったかのようなかたちになっています。デビュー曲「失意のダウンタウン」が、本人にとって何か不本意なものだったのでしょうか。僕は結構好きでしただ、、。、ただ、”すごいぞ!テープ”であれだけ煽ったので、まわりも、ものすごいシングルを期待してしまっていたことはあると思います。
「SHAKE IT PARADISE」で僕が注目したいのは「もうひとりの君を残して」という曲。これは、今考えると異例な、ど真ん中のポップ・ソングです。彼が本来かなりのポップ・センスも持っていたことが感じられます。
そのあと、彼は自分が制作のイニシアチヴをとるようになるにつれ、R&B色をどんどん強めていきました。今までの日本人ではたどりつけなかったR&Bの道を自ら選び、同時にポップ・センスは抑制するようになった気がします。
『LA・LA・LA LOVE SONG』や「LOVE RAIN 〜恋の雨〜」といったドラマ・タイアップのときにだけ、彼のポップ・センスが発揮されたそういうイメージを僕は持っています。
ただ、彼の歩みを追ってみてすごいと思うところは、R&B系はもちろん、バラードもポップ・ナンバーも、すべて洋楽的な作りを徹底しているところです。
歌謡曲の要素とか日本人が好みそうなコード感など、に歩み寄ることなく、それなのにしっかり売れながら長いキャリアを貫いています。いまだにスティーヴィー・ワンダーを聴き続けているというのは、自分のソングライティングのスタンスがぶれないようにしている、意味があるのかな、などと勝手に想像してしまいます。
洋楽的なアプローチをし続け、本来けっして日本の大衆向けではない音楽を作り続けながら、長くコンスタントに売れ続けているという点では、山下達郎と共通しているかもしれないと思います。
ただ、山下達郎は”ポップス”に軸足を置き、そこに意識的にR&Bの要素をバランスや配分に留意しながら取り入れているようなイメージがあります。逆に、久保田はR&Bに軸足を置いていますが、R&B道を選んだからこそ、彼が本来持っていたポップ・センスを最大限に生かすことにためらいながら、ここまで来ているように思います。(もちろん勝手な妄想ですが)
どちらにしろ、アメリカのR&Bの要素が強く、かつ日本人の多数にアピールできるポップスを作ることは、ごく限られたアーティストにしかできないことなんだなあ、とあらためて思ってしまいます。
最後に僕が好きな「もうひとりの君を残して」を。