おはようございます。
今日は久保田早紀の「異邦人」です。
まず、この曲が誕生した経緯をプロデューサーの酒井政利はこう語っています。
「このときは三洋電機の亀山太一専務という、私が尊敬するプロデューサーとの仕事でした。亀山さんはかつてフランキー堺主演のドラマ『私は貝になりたい』(58年/ TBS系)を手がけたアイディアマンですが、その方から”今度発売するカラーテレビの CM用に、シルクロードを歌った曲を使いたい。歌い手は新人がいい”というリクエストを受けたんですね。それでソニーのオーディション出身の久保田小百合(久保田早紀の本名)という新人が作った「白い朝」という作品のタイトルと一部の歌詞を変えて「異邦人」という曲にし、「シルクロードのテーマ」というサブタイトルを付けたわけです。そのテープを亀山専務にお渡ししたら大変気に入っていただいて、ホッとしたのを憶えています。」
(濱口秀樹著「ヒットソングを創った男たち 歌謡曲黄金時代の仕掛け人」)
そういえば、このころNHKで「シルクロード」というドキュメンタリー・シリーズがあって、世の中ちょっとしたシルクロード・ブームになっていましたが、調べてみると
放送はこの曲のリリースから半年後でした。しかし、撮影はこの年からすでに行なっていたので代理店やマスコミの間では”シルクロード”に注目していたのかもしれません。
久保田早紀は母親が新聞の広告で見つけた「ミス・セブンティーン・コンテスト」への応募がきっかけでデビューのチャンスをつかみます。アイドルのオーディションでしたが、要項に自作曲を送ってもいいということが書いてあったので、自分の曲を評価してほしいというのが応募した理由だったそうです。
そしてレコード会社の目に止まりデビューするわけですが、「異邦人」の原曲である「白い朝」はどういう風に作られたのでしょう。彼女はインタビューでこう答えています。
「『異邦人』は元々は中央線に乗りながら誕生した曲です。小金井より西〜国立近くに差しかかると、当時は空き地がたくさんありました。電車から子供が鬼ごっこをしている風景が目にとまって『子供たちが 空に向かい 両手をひろげ 鳥や雲や夢までも つかもうとしている』という歌詞が出来上がりました。」
「普段はメロディからつくるのですが歌詞が先に浮かびました。あまりに単調な曲だったので、ピアノではなく、ギターを弾きながら曲の原型をつくりました。」
(「アゴラ 言論プラットフォーム」尾藤 克之氏のインタビュー)
「思いつくままに書いた詩に、私は「白い朝」とタイトルをつけた。これにニュー・ミュージックでもフォークでもない旋律が乗るとどんな曲になるんだろう、そんな思いで歌いながらメロディを作ってみた。」
中央線から眺めた光景から生まれ、本人が”単調な”というこの曲を、猛烈にインパクトの強いものにしたのは、何と言ってもアレンジだったわけですが、そのアレンジを担当した萩田光雄はこう語っています。
「デビュー曲として選ばれたのは、もちろん自作曲で、当初は「白い朝」というタイトルがついていた。私は、プレゼンではイントロだけ2通りのアレンジを書いてきて、スタジオでどちらにするかをディレクターに任せて決めてもらった。私の考えとしては、この子はシンガー・ソングライターという出方をしていくわけだし、それを念頭に置いていたので、ひとつは地味な、あんまりインパクトのないアレンジをしていった。もうひとつはすごく派手に作って行ったが、私の中では、シンガー・ソングライターのデビュー曲なのに、ここまでやっていいかな、という迷いもありながら、気恥ずかしさがあるくらいインパクトのあるものになった。地味なアレンジの方は、その照れ隠しもあったのだ。当然のごとく派手なアレンジが採用になった。
ダルシマーなどの民族楽器は最初から入れている。途中で入れ替えた楽器もありハープなども加えたたが、最初入れていて消えた楽器もあったと思う。」
(「ヒット曲の料理人 編曲家萩田光雄の時代」)
このアレンジはCMタイアップが決まってから施されたものではなく、当初から民族楽器は入れられていたんですね。彼女はもともとニュー・ミュージックでもフォークでもないメロディを考えようとしたそうですから、そのメロディ自体にエキゾティックなものがあるので、それをアレンジでふくらまそうとしていたのかもしれません。
ちなみに、当時彼女の父親はイランに単身赴任していて、当地のカセットテープを彼女のために買ってきたそうですし、以前に、彼女のソングライティングの参考にするよう担当ディレクターからポルトガルの”ファド”のレコードを渡され、それを聴いていたといいます。
また、新人とはいえ一発目から彼女をスターにするというミッションがあったようなので、インパクトのあるアレンジを萩田には期待されていたのでしょう。しかし、イントロからいきなり派手にするかどうかというのは彼にもためらいがあったのでしょう。
このアレンジに関して、彼女はこう語っています。
「最初に前奏などが加わった自分の曲を聞いたときには「ここまで中近東になるんだ……」と思いました。良いとか悪いとかじゃなくって、ただ「えーっ」でした。もとはピアノとギターをポロポロと奏でながら作った曲ですから」
(2020/9/18 デイリー新潮)
音楽的にもキャラクター的にも本来派手なところのなかった彼女が、いきなり150万枚という破格のデビューを果たして、テレビの世界に飲み込まれていった、そのとまどいは大きかったのだと思います。
1984年に彼女は芸能活動を引退します。近年は本名の”久米小百合”でインタビューなどでマスコミに登場していますが、2021年1月に被災ぶりに”久保田早紀”名義でライヴ・イベントに参加するようです。
ポップ・ミュージック、流行歌においてアレンジがいかに”売れる鍵”を握っているか、この曲ほどそれを鮮明にしているものも珍しいと思います。
萩田はこう語っています。
「『異邦人』は大ヒットしたが、私のアレンジに関しては、久保田早紀さん本人からは疎まれているかもしれないと、今も思っている。そもそもの楽曲がああいうものではなかったのだから。『あれで良かったのです』と言ってもらえるのは夢で終わるのだろうな。」
(「ヒット曲の料理人 編曲家萩田光雄の時代」)
自身の大胆なアレンジが新人シンガーの運命を左右してしまったのかもしれないという思いがあるのでしょう。加えて彼は、昨日このブログで登場した「哀しい妖精」(南沙織)のような上質なフォーク系のアレンジが本来得意な人でもあります。
「白い朝」という曲に本来似合うアレンジ、というのも彼は最初の段階でイメージしたことがあったんじゃないかと僕は推測します。最終的にイントロがもっと地味なパターンを彼が用意したことからも、 それが想像できるように思います。そして、それも一度聴いてみたかったな、と個人的にはちょっと惹かれる思いがあります。
もちろん、そういうアレンジであれば、あれほどのヒットになることはまずなかったのでしょうが、、。
「異邦人」はその後たくさんのアーティストにカバーされていますが、やはり、あのイントロのフレーズを使っているものが圧倒的に多いです。なかなか切り離せないものなのでしょう。
しかし、最近よく耳にするエレファント・カシマシの宮本浩次のカバーは、今までのイメージとは違うあらたな編曲をほどこされていて新鮮に聴こえます。編曲は小林武史なんですね。
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