おはようございます。
今日は大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」です。
ポップ・ソングの命運を握るのは”アレンジ”。僕にはそういう認識が強くあります。
もちろん、曲自体が良くなければいけないのですが、曲だけが良くてもダメなのだと思います。
昨日このブログに登場した「異邦人」(久保田早紀)はアレンジで”派手なインパクト”をつけることで成功したわけですが、その反対といいますか、派手じゃなく淡々としながらも実に中毒性のあるサウンドが印象的だったのが、この「そして僕は途方に暮れる」でした。
大沢誉志幸はソロデビューが1983年ですが、このときすでに26歳で、年齢では桑田佳祐、佐野元春、原田真二といった”日本のロック新時代”の担い手たちと同年代です。
J.ガイルズ・バンドに影響を受けたという日本ではレアなスタイルの”クラウディ・スカイ”というバンドで1981年にデビューするもすぐに解散してしまい、少しのブランクを置いてのソロ・デビューでした。
この曲が出来上がるきっかけはサード・アルバムの制作時だったそうです。
「3枚目の時は、1枚目・2枚目とアルバムを作って、3枚目用に楽曲数が足らなかったんですね。そこできーちゃん(註:プロデューサーの木崎賢治)が「誰かにあげた曲でいいのないの?」って聞いてきたんで、「そして僕は〜」の歌メロをブースでアコースティック・ギターを弾きながら歌ったんです。その時きーちゃんは「いいんだけど、フォーク調だね」と。「いやこれはフォークのメロディかもしれないけど、サウンドを仕立てたらカッコ良くなるから、来週までに打ち込みでデモ作ってくるよ」と僕は言って、そこでリズムボックスとベースとパッド(註:シンセサイザーによる持続音)であのサウンドの原型みたいなのを作ったんですよ」
(大沢誉志幸インタビュー「作編曲家 大村雅朗の奇跡1951-1997」)
この曲はもともと彼が鈴木ヒロミツのために書いが採用されず、山下久美子にも採用されずに彼のところに戻って来たものでした。
歌詞を書いたのはこの当時彼タッグを組んでいた銀色夏生。彼女が書いてきた歌詞の9割くらいが、たまたまこの曲のメロディにハマり、合わないところのメロディを調整し、そこに大サビのパートを新たに加えたそうです。
ちなみに、大沢と彼女の曲作りは、かなり変わったスタイルでした。
「銀色の詞の断片にAメロを僕がつけて、詞のない状態でBメロを書いて銀色が詞を充てる、そしてサビはどっちが先に書く?みたいな感じのやりとりをしてましたから。銀色が書いてくる詞は散文みたいな斜めに書いてきたものであったり、4行しかなかったりするので、そこから僕がピックアップして並べ替えてメロディを付けるやり方が多かったです」
(同上)
銀色夏生はテレビの歌番組を見ていてこれなら自分の方がいいものを書けると思い、そこから100編歌詞を書いてレコード会社に送ったことから、作詞をやるきかっけをつかんだそうです。
大沢は最近のインタビューでも”メロディが湯水のように湧いてくる”と語っています。
それぞれ、言葉とメロディが”湯水のように”出てくる人間同士であったから、可能になった曲の作り方のような気がします。
そして、銀色は作詞家生活は短く、その後詩人として活動していきましたが、やはり作詞家より詩人に向いていた人なのでしょう。そして、彼女ならではの言葉を、大沢が音楽の中で再構築することができたからこそ、素晴らしい作品が生まれたのだと思えます。
この曲の印象的な冒頭のフレーズ「見慣れない服を着た 君が今出ていった」というのも、彼女が書いた散文のようなものの中にあったものを、大沢が選んで曲の冒頭に持っていったそうです。
この曲のアレンジは大村雅朗。大沢のファースト・アルバムからアレンジはずっと彼が手がけていました。
この曲のアレンジの打ち合わせで名前が出たと言われているのがトンプソン・ツインズ。この年の初め大ヒットを飛ばしたばかりで、大沢も大村も好きだったようです。
「そして僕は途方に暮れる」という曲のアレンジの”肝”であるともいえる、印象的な”レレ・レレレミ”というリフは、トンプソン・ツインズの感じに沢田研二の「おまえにチェックイン」(大沢作曲)の”チュルルル・チュッチュッチュチュヤー”の感じを加えたものだったのじゃないかと、大沢は推測しています。
大村はシンセサイザー(フェアライト)の使い手でもあった冨樫春生の協力のもと、一つ一つの音色にこだわり、時間をかけて打ち込みのサウンドを構築していきました。
そして仕上げはニューヨークで録音されました。
ベースはトニー・レヴィン(ジョン・レノン「ダブル・ファンタジー」など)、ドラムがミッキー・カリー(ブライアン・アダムス・バンド)、ギターがG.Eスミス(全盛期のホール&オーツ・バンドのリード・ギタリスト)と、すごいメンツが揃っていたんですね。
数多の大ヒット曲のアレンジを手がけた大村の最高傑作はこの「そして僕は途方に暮れる」だと小室哲哉は語っています。
30万枚近い大ヒットになり、今も数多くのアーティストからカバーされているこの曲を世の中に広める大きな要因は日清カップヌードルのCMソングになったことでした。そして、このCMの枠自体がヒットを生むようになり、この曲の後、「翼の折れたエンジェル」(中村あゆみ)、「ff (フォルティシモ)」(ハウンドドッグ)などが大ヒットを記録しました。