おはようございます。
今日は吉川晃司の「ラ・ヴィアン・ローズ」を。
彼が「モニカ」でデビューした時に、”佐野元春のマネ”と思った人は当時多かったと思います。僕もそうでした(苦笑)。「モニカ」という曲自体は結構好きでしたが。歌詞の英語の混ぜ方と英語っぽい歌い方でそう思ったのでしょう。
何かのインタビューで、英語っぽい歌い方は佐野元春から始まったものじゃないか?という質問に対して、吉川が”原田真二の方が先”だと答えていて、それはすごく頷けるものがありました。
ただ、吉川自身も当時佐野元春の影響があることは認めていましたし、制作サイドも佐野元春をもっとわかりやすくしたもの、というのは狙いとしてあったと思います。佐野の「アンジェリーナ」のアレンジャーである大村雅朗に編曲を依頼したことからもそれがわかります。
「アンジェリーナ」と少し似た均一なビートで「モニカ」も始まります。これは意図的でしょう。しかし、そこからがかなり違います。「アンジェリーナ」は80年代の流行を見越して生演奏ながらデジタルっぽいリズムにすることで新しさを演出していましたが、「モニカ」はそこからまた時代が進んだこともあってグッとデジタルで打ち込み感が強く、完全な80’sサウンドになっています。
佐野元春っぽい歌詞と歌い方を検証するよりも、大村雅朗のアレンジの変化から彼は佐野と吉川をどう差別化させたかとかいう意図や時代背景なんかを探る方が今となってはずっと面白いのかもしれません。
ちなみに、この当時佐野元春は、ブルース・スプリングスティーンがよく引き合いに出されていましたが、吉川晃司のプロデューサーだった木崎賢治は彼をデビューさせる際にリック・スプリングフィールドをイメージのひとつにしたようです(参照:「プロデュースの基本」)。
そういうと、なんかすごくよくわかるような気がします。
と、「モニカ」論になっていまいそうですが、僕が選んだのは三枚目のシングル「ラ・ヴィアン・ローズ」です。「モニカ」の次のシングル「八月はサヨナラのララバイ」は「モニカ」を踏襲したものという印象でしたが、この「ラ・ヴィアン・ローズ」はおおっすごいいい歌じゃん、と思った記憶があります。歌謡感が薄れたぶん、そこまではヒットはしなかったですが、、。
最大の功労者は作曲の大沢誉志幸かもしれません。「ラ・ヴィアンローズ」のわずか11日後にあの「そして僕は途方に暮れる」が発売されます。なので、僕はこの当時の日本の音楽界で大沢誉志幸こそが一番すごい才能かもしれないと思い込んでいました。
ただし、大沢によると「ラ・ヴィアン・ローズ」のデモは爽やかで、クールで物憂げな感じだったのをアレンジャーの大村雅朗がエレクトロなビートロックな感じに仕上げたのだそう。
(参照「作編曲科 大村雅朗の軌跡1951-1997」)
「そして僕は途方に暮れる」のアレンジも大村雅朗。この当時の彼は本当にすごいですね。大沢大村コンビがまさに無敵の時期でした。
そして、「ラ・ヴィアン・ローズ」の歌詞は売野雅勇。「涙のリクエスト」「ジュリアに傷心」(チェッカーズ)「2億4千万の瞳」(郷ひろみ)など彼もまた”無敵”の時期。ちなみに売野は作詞家になる以前、広告マンだった時に彼とデザイナーの二人で男性ファッション誌を作っていて、それが「LA VIE」という名前だったといいます。
(また売野は「LA VIE」時代に、「アンジェリーナ」を含むデビューアルバムの広告の仕事で、佐野元春と二人きりで打ち合わせをし、佐野が作品について語ることをメモを取ったことがあったそうです)
(参照:「砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代 疾走の日々」)
シャンソンのタイトルとして有名な「ラ・ヴィアン・ローズ」という言葉をデジタル・ポップのサビに入れたセンスにも驚きましたが、「LA VIE」創刊自から売野の頭には「ラ・ヴィアン・ローズ」はあって、ただ、そのままだと女性的なので、「LA VIE」にしたのじゃないか、などと余計な妄想をしてしまします。この歌詞からは男性ファッション誌に出てくるようなスタイリッシュな世界観を強く感じますし。
まさに絶好調の作詞家、作曲家、編曲家が”カッコ良さ”を目指して作ったのが「ラ・ヴィアンローズ」だったわけです。そりゃあ、いい曲になりますよね。
「モニカ」収録