おはようございます。今日はシフォンズの「ワン・ファイン・デイ(One Fine Day)」です。
One fine day
You will look at me
And you will know our love was meant to be
One fine day
You're gonna want me for your girl
The arms I long for
Will open wide
And you'll be proud to have me walking right by your side
One fine day
You're gonna want me for your girl
Though I know you're the kind of boy
Who only wants to run around
I'll keep waiting
And some day, darling
You'll come to me when you want to settle down, oh!
One fine day
We'll meet once more
And then you'll want the love you threw away before
One fine day
You're gonna want me for your girl
One fine day
You're gonna want me for your girl
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いつかある晴れた日に
あなたは私を見つめて
私たちは結ばれる運命だったって気づくの
ある晴れた日に
あなたは私を恋人にしたいと思うようになる
私が思い焦がれているその腕を
大きく広げて
あなたは私がすぐ隣を歩くことを
誇らしく思うの
いつか晴れた日に
あなたは私を恋人にしたいと思うようになる
あなたはただ気ままに遊び回っていたい人だって
わかっているけれど
私は待ち続ける
そしていつか、ダーリン
あなたが落ち着きたいと思ったときに
私のもとへ戻ってくるの
いつか素敵な日に
私たちはもう一度めぐり会い
あなたは一度捨ててしまったこの愛を
もう一度欲しがるの
いつか晴れた日に
あなたは私を恋人にしたいと思うようになるわ
いつか素敵な日に
あなたは私を恋人にしたいと思うようになるわ (拙訳)
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「One Fine Day」は、キャロル・キングが作曲し、ジェリー・ゴフィンが作詞をした楽曲です。二人はニューヨーク市立大学クイーンズ校で出会い、曲作りのパートナーになり、1959年に結婚していました。キャロルはまだ10代でした。
1962年に彼らは自分たちのベビーシッターをやっていたリトル・エヴァに提供した「ロコモーション」が大ヒットになっていて、「ワン・ファイン・デイ」も本来はリトル・エヴァのために書かれたものだったそうです。
しかし、レコーディング時に彼女の声がしっくりこなかったため、シフォンズに提供することになります。
シフォンズはこのブログでもご紹介しましたが、ジョージ・ハリスンの「マイ・スウィート・ロード」を盗作だと訴え、裁判にまでなった「いかした彼(He's So Fine)」を歌っていた、ニューヨーク、ブロンクス出身のガール・グループです。
ネットでは「いかした彼(He's So Fine)」のピアノをキャロル・キングが弾いていたためつながりがあったとする記述もありました。
僕は昔からキャロル・キングは大好きで、素晴らしいメロディ・メイカーだと思ってきました。この曲でもブリッジ(Though I know you're the kind of boy〜)で転調するところ(FのキーからB♭へ)は、いつ聴いても新鮮です(この間、近所の薬局でこの曲が流れてきて、転調部でグッときてしまいましたw)。
しかし、こうやって洋楽を和訳するブログを続けていると、ジェリー・ゴフィンという作詞家のポップスへの貢献の大きさをあらためて思い知らされるようになりました。
僕たちはポップ・ミュージックというと、いつの時代でも十代の若者がメイン・ターゲットだと思ってしまいますが、最初からそうだったわけじゃないんですよね。大雑把に言えば、大衆音楽は最初は大人向けか子供向けしかなかったんです。
第二次大戦後のアメリカで景気がどんどん良くなっていき、多くの若者が親から小遣いをもらえるようになり、音楽的には”ロックンロール”が大ブームになった1950年代の半ばあたりから、”十代の若者”をターゲットにする音楽が作られるようになったわけです。
ただし、ロックンロールは当時はものすごく”不良な音楽”でしたから、もっと洗練されていて親にも文句が言われないような曲がどんどん作られてヒットしていきました。
そういう楽曲をせっせと作ったのが、ニューヨークの音楽出版社で、お抱えの作詞作曲家を専用の部屋に缶詰めにして、日夜曲を量産させていました。特にマンハッタンのブロードウェイにある”ブリル・ビルディング”というオフィス・ビルはその象徴でした。
そんな時代にヒット曲を生み出したソングライターは、バート・バカラック&ハル・デイヴィッド、バリー・マン&シンシア・ワイル、ニール・セダカ、そして、キャロル・キングとジェリー・ゴフィンもそうでした。
この時代のポップスの大きな特徴は、白人のティーン向けに作られた曲を黒人女性シンガーが歌うのが人気だったということです。曲を作るのは若手の白人で、歌うのは黒人女性、特にグループが人気だったんです。
フィル・スペクターが手がけたロネッツやクリスタルズもそうでした。そんな時代を象徴する1曲として、僕が挙げたいのはシュレルズの「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ」(1960)です。
これはキャロル・キングとジェリー・ゴフィンの出世作でもあります。十代の女性の片思いの歌というのは、それこそ星の数ほど、ありますが、そのルーツを辿っていくとこの曲になるように僕には思えるんです。
そして、この「ワン・ファイン・デイ」にもそれは感じます。シンプルで、パッと聴いたらサラッと軽く書いたようにも思えますが、素直な気持ちが自然に伝わってくるんですよね。こういうシンプルな歌詞こそ難しいものです。しかも、書いているのが男性だと思うと驚いてしまいます。
僕はジェリー・ゴフィンを<ガール・ポップの歌詞のひな形を作った作詞家>だと認識するようになりました。
それは、松田聖子に代表されるような、1980年代の日本の女性アイドルポップスのルーツでもあるように思います。
しかし、ジェリーはその後ボブ・ディランの登場に衝撃を受け、自分が書いてきたガール・ポップの歌詞を恥じるようになった、という記述を昔読んだ記憶があります。
1960年代後半には公私ともにキャロルとのパートナーシップを解消し、メンタル的にも辛い時期を経験したようですが、1985年にはホイットニー・ヒューストンの「すべてをあなたに(Saving All My Love For You)」で、女性主人公の歌詞の名手であることを再認識させてくれました。今度は十代ではなく大人の女性の歌詞で。
最後に「ワン・ファイン・デイ」のカバーを3つご紹介します。どれも、ベテランの洋楽ファンの方にはお馴染みかもしれません。
最初はカーペンターズ、日本でも大ヒットしたアルバム「ナウ・アンド・ゼン」(1973)に収録されていたもの。オールディーズのメドレーの最後を飾っていました。
2番目はリタ・クーリッジ。1979年発売のアルバム「サティスファイド(Satisfied)」に収録されていてシングルとしても全米66位を記録しています。
最後はキャロル・キングのセルフ・カバーです。1980年発売の「パールズ(Pearls)」に収録されていて、シングルとしてもリリースされ全米12位の大ヒットになっています。
”ポップス”の基盤を作ったキャロル・キングとジェリー・ゴフィンによる、ポップ・スタンダード




