まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「きみの朝」岸田智史(1979)

 おはようございます。

 昨日登場したキャット・スティーヴンスの「雨にぬれた朝」のように、ピアノが曲の重要な役割を果たしている”朝の歌”が日本にもありました。

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 岸田智史の「きみの朝」。1979年にオリコン最高1位、売り上げは50万枚を超えました。

 この曲が大ヒットした理由は、TVドラマとアーティストと楽曲が連動したからでした。

 芸能プロダクションの女社長が新人シンガーを見つけ売り出していくというストーリーの「愛と喝采と」というドラマ(TBS)に岸田はその新人シンガーの役で出演し、劇中でこの曲が大ヒットするという設定で、実際にその通りになったわけです。

 

 そのころ大人気だった歌番組「ザ・ベストテン」が木曜の21時から放送され、このドラマはそのあと22時からの放送で、本物の岸田が「ザ・ベストテン」に出演した映像がドラマで流れるという、まさに狙い通りの展開になったわけです。

 こういうドラマの中のアーティストが歌った曲が、実際にブレイクすることになったドラマには中島美嘉が世に出た「傷だらけのラブソング」がありましたし、福山雅治の「ラブソング」もそれにあてはまるでしょう。

 

 芸能界、音楽業界を舞台にしたドラマというのは今でもかなり少ないですが、同時進行というのは本当にめずらしく、当時僕は中学生でしたが興味津々で毎週見ていたのをおぼえています。

 

 実は、岸田自身はこの当時”新人”ではなく、その3年前にデビューし3枚のアルバムを出していました。しかし、全く売れていなかったので、世間から見たら”新人”同然ではありました。

 ちなみに彼は、山口百恵郷ひろみなどのプロデューサーとして知られる酒井政利(TVにもよく出演していたのでレコード会社出身のプロデューサーとしては一番有名な人でしょう)が、フォーク・シンガーをやりたいということで見つけたのだそうです。

 

 というわけで、彼の曲は星勝瀬尾一三といったフォーク、ニュー・ミュージック系のアーティストを主にやっていたアレンジャーじゃなく、山口百恵の曲を手がけた馬飼野康二荻田光雄、船山基紀など歌謡曲を主戦場とする編曲家が手がけているのが特徴です(山口百恵はキャリア前半のアイドル期は主に馬飼野、「横須賀ストーリー」あたりからは萩田がメイン・アレンジャーでした)。

 

 当時「ザ・ベストテン」を見ていても歌謡曲とフォーク、ニュー・ミュージックの境目がどんどんなくなっていくように思ったものですが、岸田の制作もその現れだったとも言えます。

 

 デビュー曲「蒼い旅」は谷村新司が作詞し岸田本人が作曲したもので、馬飼野がアレンジしています。マイナー調のフォーク・バラードで、アイドル歌謡の巨匠のイメージに強い馬飼野康二としては異色作かもしれません。

 *残念ながら動画はなかったのですが、岸田がラジオ番組で弾き語っているものがああったので貼り付けておきます。当時、僕はこの曲が好きだったので、、、


蒼い旅/岸田智史

 本来、彼は本来こういうマイナーで叙情的なバラードが持ち味で、それまでリリースしたほとんどのシングルがそういうテイストでした。

 しかし、「愛と喝采と」の話があり、ドラマの脚本家の岡本克巳がドラマで使う曲の作詞を彼の弟である岡本おさみ吉田拓郎の歌詞を数多く手がけている)が書くことになり、詞先で岸田は作曲したそうです。

 サビの「モーニング きみの朝だよ」というは最初は3番の終わりにあるだけだったそうですが、岸田がそれにメロディをつけるうちに”モーニング モーニング”と連呼する形になったといいます。

 そして、この曲のアレンジを手がけたのは大村雅朗です。彼は福岡から上京してて間もない時期でしたが、八神純子の「みずいろの雨」の見事なアレンジは大変な評判になっていました。

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 ついでに、この当時の大村の編曲した曲で当時僕が好きだったのが、下成佐登子の「秋の一日」という曲でした。


秋の一日

 大村が「きみの朝」のアレンジをすることになったのは、やはり酒井がプロデュースしていた南沙織のシングル「Ms(ミズ)」のカップリング曲「さよならにかえて」を大村がアレンジしたからだと思われます。

 

 岸田に大村を推薦したのは現場ディレクターの小栗俊夫と金塚晴子だったと岸田は証言していて、調べると小栗は南沙織のディレクターで「さよならにかえて」もやっていたからです。(「大村雅朗の軌跡 1976-1999」のブックレットを参照しています)

 

 「さよならにかえて」ボサノヴァ調のメロウなナンバーですが、確かにとても洗練された見事なアレンジで、今聴いても驚かされます。

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 岸田と大村が最初にアレンジの打ち合わせで顔を合わせた時に、

「この曲は「ピアノ中心にしたい」と話をしたら、大村さんが「こんな感じのイントロかな?」と言ってあのイントロをピアノで弾いたんです」

  (「大村雅朗の軌跡 1976-1999」のブックレットの岸田敏志インタビューから)

     * 現在の彼のアーティスト名の漢字表記は”岸田敏志”です。

 

 大村はレコーディングでは自分では楽器は弾かない主義だったらしく、本番のピアノは羽田健太郎が弾いています。

 

 岸田と大村の相性はとても良かったと僕は思うのですが、大村がアレンジしたのは(「きみの朝」が収録された)アルバム「モーニング」の収録された4曲のみです。

(ちなみにこのアルバムには山下達郎がコーラスで入っています。目立たないですが、、)

 大村が編曲した岸田作品の中で個人的に興味深かったのは「泣き笑い」という曲。これは、この当時日本で大ヒットしていたビリー・ジョエルの「マイ・ライフ」を完全に下敷きにしたものです。意外とこの曲をモチーフにした日本の曲って少ないんですよね。

 

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「きみの朝」の楽譜はこちら