おはようございます。
今日は大浦龍宇一の「夏の午後」。小林武史の作詞、作曲の作品です。
(編曲も彼かと思いこんでいたのですが、池間史規という人でした。いいアレンジですね)
当時TVドラマでこの曲を耳にして良かったのでCDシングルを買いに行ったのをおぼえています。
なんのドラマだったか完全に忘れてしまっていたので調べてみると、「君と出逢ってから」というタイトルで、本木雅弘と鶴田真由が主演していたもので、曲を歌っている大浦龍宇一も出演していました。
彼は最近では2時間もののサスペンスで見る機会が多い気がします。
この曲を書いた小林武史はミスチルとサザンという”二大国民的バンド”のサウンドを手がけた、スーパー・プロデューサー、スーパー・アレンジャーですが、ソングライターとしても自身のグループ、My Little Loverの数々の楽曲をはじめとしてヒット曲をたくさん生み出しています。
彼の作曲家としての最初のヒットは、意外に爽やかなポップチューンでした。
杏里「思いきりアメリカン」
彼は1980年代の終わりに、シンガー・ソングライターとしてもアルバムを二枚リリースしていて、この「夏の午後」は1989年の二枚目のアルバム『TESTA ROSSA』に収録され、シングルのカップリングにもなっていました。
実は、大浦龍宇一はカバーだったんですね。
この頃のTV番組で彼はこのようなことを語っています。
「晴れた日の東京のイメージには独特の悲しさがあってちっちゃい頃からすごく好きなんです。一生懸命明るくふるまっている感じが、街の煩雑さと全然正反対の性格で、すごい、なんかこう、感傷的な気分に浸れたりできるんです」
”明るさの中に悲しさを観る感覚”というのが彼の中に強くあるんですね。そういう、具体的には説明のしようのない”切なさ”が自分が主体となった作品には特に色濃く出ている、そんなふうに僕は感じます。
そして、その”切なさ”というものは表現の”温度”や”湿度”の加減を誤ると消えてしまうようなもので、その”取り扱い”に彼は格別に配慮していたんじゃないかと勝手に推測しています。
そういう彼の美意識が結実したものをsalyuの作品群に感じたりしますが、彼のその特性が早い時期にはっきりと映し出されていたのがこの「夏の午後」なのだと僕は思います。
直接感情にアピールするような劇的な言葉もメロディーラインも使わずに、日本人特有の情緒感にじわっと訴えかけてくる感じがします。
平穏な夏の午後に、儚さや切なさを見出す、というのは、とても日本人らしい感覚だと思います。しかし、日本のポップスにはあまり多くないタイプでもあります。そういうニュアンスを生み出すのには、相当な技能が必要だからかもしれません。
例えば、僕が思い浮かべるのはユーミンの「残暑」です。
それから、2018年のネットでのインタビューで彼はこんなことを語っています。
「「切ないが、前に進むのだ」というような表現が、日本のメジャーシーンにはずっと変わらずある。かつて“innocent world”(Mr.Childrenの楽曲。1994年発表)を手がけたとき、僕のなかに「これだったんだ」という気持ちが芽生えて。その「切ないが、前に進むのだ」という感覚には、今もみんなどこかで惹かれているように思います」
(CINRA.NETインタビューより)
確かに国民から支持される日本のポップスは「切なさ」と「前進」の両方の要素を含んでいるのがほとんどかもしれないですね。「切なさ」と「前進」の分量がそれぞれに違うというだけで。
彼の初めてのミリオンセラーも、切なさと前に進む力の両方を感じるものでした。
そして、今の日本のポップスで「切なさ」と「前進する力」の両方を最も曲に取り入れているのは誰だろうと考えた時に、僕の頭に浮かんだのが、Official髭男dismでした。
そして、小林武史が唱えた説に、僕はまた深くうなずいてしまったわけです。
「夏の午後」収録のアルバム