まいにちポップス(My Niche Pops)

令和元年初日から毎日更新中〜1日1ポップス。エピソード、歌詞の和訳、謎解き、マニアックな捜査、勝手な推理、などで紹介していきます。text by 堀克巳(VOZ Records)

「リーン・オン・ミー(Lean On Me)」ビル・ウィザース(1972)

 おはようございます。

 ビル・ウィザースが亡くなったというニュースを聞いた時に、コロナ・ウィルスで深刻な打撃を受けている世界中にこの曲を届けようというサインなのかもしれないと思いました。少し調べてみると、アメリカでは彼が亡くなる以前からこの曲が見直される動きがすでにあったそうです。”この曲”とは「リーン・オン・ミー」のことです。


Bill Withers - Lean on Me (Audio)

 

  生きていれば誰もが 時には痛みや悲しみを感じるものさ

 でも、もし僕らがちゃんと考えたなら

    いつだって明日が来ることに気づくはず

 

 僕に頼るんだ 弱気になった時には

 きみの友達になるよ きみが生きていける力になるよ

 ずっとじゃないかもしれない

 でも、僕が誰かに頼らなくてはいけなくなるまでは大丈夫さ

 

    どうか、プライドなんて飲みほしてしまえよ

 もし きみに必要なものを僕が持っていたとしても

 きみがそれを教えてくれなかったら

 誰もきみの欲求を満たすことなんてできないだろ

 

 ただ、僕を呼んでくれ、ブラザー 助けが必要なときは

 僕らはみんな頼れる誰かが必要なんだ

   きみが理解できる問題に 僕が悩んでいることだってある

 僕らはみんな誰かを頼らなければ生きていけないんだ

 

   もし君には運べなくて、我慢して抱えている重荷があるなら

 すぐに駆けつけて その重荷を分かち合うよ

 もし僕を呼んでくれたら

 

 もし友達が必要なら 僕を呼んでくれ

 もし友達が必要なら 僕を呼んでくれ

 僕を呼んでくれ 僕を呼んでくれ

 僕を呼ぶんだ きみが友達を求めているのなら 僕を呼ぶんだよ、、、”(拙訳)

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Sometimes in our lives we all have pain
We all have sorrow
But if we are wise
We know that there's always tomorrow

Lean on me, when you're not strong
And I'll be your friend
I'll help you carry on
For it won't be long
'Til I'm gonna need
Somebody to lean on

Please swallow your pride
If I have things you need to borrow
For no one can fill those of your needs
That you won't let show

You just call on me brother, when you need a hand
We all need somebody to lean on
I just might have a problem that you'll understand
We all need somebody to lean on

Lean on me, when you're not strong
And I'll be your friend
I'll help you carry on
For it won't be long
'Til I'm gonna need
Somebody to lean on

You just call on me brother, when you need a hand
We all need somebody to lean on
I just might have a problem that you'll understand
We all need somebody to lean on

If there is a load you have to bear
That you can't carry
I'm right up the road
I'll share your load
If you just call me (call me)


If you need a friend (call me) call me uh huh(call me) if you need a friend (call me)
If you ever need a friend (call me)
Call me (call me) call me (call me) call me
(Call me) call me (call me) if you need a friend
(Call me) call me (call me) call me (call me) call me (call me) call me (call me)

 

Writer/s: Bill Withers

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 3日前にこのブログで取り上げた「明日に架ける橋」(1970)、キャロル・キングジェイムス・テイラーの「きみの友だち」(1971)など、友だちへの思いを歌った名曲が生まれたのがこの時代でした。

 しかし、「明日に架ける橋」や「きみの友だち」はすでに親密な友情関係がある二人の関係性を想起させますが、「リーン・オン・ミー」の場合は、もっと広い同胞、仲間意識が感じられます。

 同じ環境に置かれた者同士であれば成立する内容なんですね。そして、「リーン・オン・ミー」のほうがより切実で実直な感触があります。

 

 この曲を作り、歌ったビル・ウィザースは少しめずらしいプロフィールの持ち主です。

  ウィストバージニア州の炭鉱の町に6人兄弟の末っ子として生まれた彼の家は貧しく、彼は長い間”吃音”に苦しんだそうです。

 彼の父が炭鉱夫で、幼い頃に見た、たくさんの人間が危険な労働を共にする”炭鉱”の人間関係、信頼関係が、この「リーン・オン・ミー」に反映されていると彼は語っています。ニューヨークやロンドンのような大都会で生まれ育った人には作れなかっただろうと。

 

 13歳の時に父を亡くした彼は、17歳で海軍に入り9年間任務を務めます。それほど長く軍に在籍したのは、自分が”吃音”を気にするあまり世にでる勇気がなかったからだと気づいたそうで、その後27歳で退役し、最初はカリフォルニア州サンタクララで黒人初の牛乳配達人になり、その後飛行機の部品工場で働きます。旅客機のトイレの便器を作るなど、米海軍の機械工だった彼には物足りない仕事でしたが生活のため仕方なかったのです。

 

 彼に転機が訪れたのは、オークランドのクラブに遊びに行った時のことでした。その日は人気R&Bシンガーのルー・ロウルズがコンサートをやることになっていました。そこで彼はルーのマネージャーが、遅刻して現場に現れない彼に業を煮やして、週に2000ドル払っているのに、、と愚痴っているのを耳にしたのだそうです。

 時給3ドルの仕事をしている自分は、クラブに来ても女性は誰も興味を示してくれないのに、ルーが現れると女性は全員彼に群がってゆくのです。

 そこで彼は決心します。

 それまでの彼の音楽の経験はグアムの基地にいた時に何度かバー・バンドを見たくらいで、楽器の経験もありませんでした。

 彼は質屋で安いギターを買って独学で弾き方を覚え、曲作りにもトライします。

工場の安い給料を切り詰めたお金でデモを作成し、レーベルに売り込みを始めます。

   その時期に彼が作ったと思われるレコードがあります。


Three Nights And A Morning Bill Withers 1967

 そして長い間どこにも相手にされなかったようですが、”サセックス”というインディーズ・レーベルを作ったばかりのクラレンス・アヴァントが彼に興味を持ち契約を結ぶことになります。それめで、ビルはありとあらゆるレーベルをまわってすべて拒否され、サセックスが最後の一社だったそうです。

    クラレンスはジャズ界の超大物マネージャー、ジョー・グレイサーのもとで鍛えられた辣腕業界人で、ラロ・シフリンは彼のおかげでTVや映画音楽(「スパイ大作戦」「ダーティー・ハリー」「燃えよドラゴン」など)に進出できました。彼はのちに”ブラック・ゴッド・ファーザー”と呼ばれるほどの超大物になります。

 その彼が立ち上げたのがサセックスで、サセックスとはイングランドの地名ではなく、クラレンスが人間の二大欲望だという”サクセス”と”セックス”を合体させた意味なのだそうです。

 当時モータウンデトロイトかLAに来たばかりだったこともあって、クラレンスはモータウンのやりそうもないことをやろうと思ったそうで、彼自身は黒人なのに白人ギタリストや白人ソフト・ロック・グループをリリースしています。

 クラレンスがビルのデモを聴いて気に入ったのは、のちにシングルになった「Grandma's Hands」という曲だったそうです。「おばあちゃんの手」なんて曲を作るやつは変わってると思ったのだそうです。


Bill Withers - Grandma's Hands

 

 クラレンスは、自分が知っている人間をいかにうまく結びつけ、それを巧みに扱う才能に長けているのだとビルは語っています。

 クラレンスはブッカー・T・ジョーンズをプロデューサーに立て、ブッカー・Tは優れたミュージシャンを集めレコーディングをします。

 そして、働いている飛行機部品工場からランチを手に出てくる彼の写真がジャケットになったファースト・アルバム「Just As I Am」がいきなりヒットします(彼は音楽ビジネスが不安定だと思って、デビュー後もしばらく工場をやめなかったそうです)。

 

 その後、彼はウーリッツァーというエレクトリック・ピアノが欲しかったそうですが高かったため断念し、小さなピアノを買って自宅で弾くようになったそうです。

 当然ピアノも初心者だったビルは、つたない運指で鍵盤を押さえていくうちに、まるで子供がピアノに初めてさわってできた曲のように、生まれてきたフレーズが「リーン・オン・ミー」になっていったそうです。

 

 *ビル・ウィザースが「リーン・オン・ミー」をピアノで弾き語っているライヴ映像があります。確かに拙い感じはしますが、彼らしい実直さがよく伝わってきます。


Bill Withers - Lean On Me (1973 live)

 

 この曲をシングルにすることを決めたのがクラレンスで、ビル本人はシングルになんてとても向いてないと思ったそうです。

  大ヒット・プロデューサーでありその後大手レコード会社の社長を歴任したLA.リードは、この「リーン・オン・ミー」は決して廃れることのない曲で、今や国家のように歌われている、と語っています。

 

 

 彼はデビューした時すでに33歳、”一般人””普通の人”としての人格がすでに出来上がっていました。そこから音楽業界に入ると、理不尽に思えること、耐え難いことが多々あったようです。

 彼は1985年、47歳の時にきっぱりと音楽業界から身を引く決意をします。その後は、本当に作品のリリースやライヴはしませんでした。

 しかし、彼の残した作品の再評価やカバーは後を絶たず、そんな前に引退した人とは思えない状況でした。

 

 貧しい育ちで、独学で、遅咲きのアーティストが、これほどの実績を残せることは驚きでもあります。

 ただ、スティーヴィー・ワンダーマーヴィン・ゲイなど同世代の”天才”たちの音楽からは感じることのできない魅力が彼には間違いなくあります。

 貧しく、吃音というハンディキャップを抱え、不遇な時代の長かった彼ですが、そのマイナス要素に屈せず、どこか根本的には人を信じることのできる”楽観性”のようなものが音楽から伝わってくる気がします。

 それは、貧しいながらも信頼が基になった人間関係があった炭鉱の町で育まれたものかもしれません。

 

 今の情勢の中で「イマジン」や「ホワッツ・ゴーイン・オン」といった曲が見直されているようですが、こうした名曲とはまた違った、大衆にとても近い距離からの励ましの歌として「リーン・オン・ミー」は胸に響いているように僕は思います。

 

 *2015年に彼がロックの殿堂入りしたときのライヴ映像での「リーン・オン・ミー」。ジョン・レジェンドスティーヴィー・ワンダーの共演で途中から彼が現れます。

 長く業界から遠ざかっていた彼がわずかな間でも公の前で歌を歌った貴重な瞬間でした。


Bill Withers, Stevie Wonder, John Legend perform "Lean On Me" at the 2015 Induction Ceremony

 

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