まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「ミュージシャン(MUSICIAN(It's Not an Easy Life))」シルバー(1976)

  おはようございます。

  今日はヒットしなかったけれど、日本では隠れファンが意外に(?)多い曲。

シルバーの「ミュージシャン」です。


Silver - Musician (1976)

 

   ”家賃の期限は明日    オレは一文なしさ

             自分で人生を築こうとがんばってるけど

     別の生き方を始めるべきなんだろう

 

     僕は直に学んでいるんだ

     ミュージシャンになるのはどんなことかって

              そしてわかったよ 簡単な生き方じゃないって

      生きていくのも大変だって

 

    困難な道を僕は選んだのだと思う

    なぜそうしたか考えても仕方ないけど

    やり遂げる希望があったんだ

            その希望があまりに高いところにあったに違いないけど

 

              僕は直に学んでいるんだ

     ミュージシャンになるのはどんなことかって

              そしてわかったよ 簡単な生き方じゃないって

      生きていくのも大変だって

 

              だけど僕は笑顔でいくよ

         笑って 笑って 

              痛みを隠すために笑って   

      心では泣いているけど     

               泣いて 泣いて

    難しいな この気持ちを言い表すのは 

 

      僕は直に学んでいるんだ

      ミュージシャンになるのはどんなことかって

              そしてわかったよ 簡単な生き方じゃないって

      生きていくのも大変だって                       "  (拙訳)

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The rent's due tomorrow
Haven't got a penny to my name
I'm trying to build me a lifetime
Think I better start a new frame


And I think I'm learnin' firsthand
About what it's like to be
To be a musician
And I can see
It's not an easy life
It's not an easy life to live


Guess that I chose the hard road
No use wonderin' why
I had hopes I would make it
Must have had my hopes up too high


And I think I'm learnin' firsthand
About what it's like to be
To be a musician
And I can see
It's not an easy life
It's not an easy life to live


And I keep on smilin'
Smilin', ooh
Smilin'
Smilin' to hide the pain
Inside I'm cryin'
Cryin', ooh
Cryin'
And it's hard
It's hard to explain

I think I'm learnin' firsthand
About what it's like to be
To be a musician
And I can see
It's not an easy life
It's not an easy life to live
It's not an easy life
It's not an easy life to live
It's not an easy life
It's not an easy life

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 なかなか芽の出ないミュージシャンの本音 をここまで率直に歌ったものはめずらしいと思います。

 

  シルバーは1970年代半ばのアメリカ西海岸のグループらしく、コーラス・ワークがとても魅力なバンドです。

 

 中心メンバーはジョン・バドロフ(Vo/G)、ブレント・ミッドランド(Vo/Key)、グレッグ・コリアー(Vo/G)。3人がシンガー・ソングライターのエリック・アンダーソン(「Blue River」というアルバムが有名です)の「SWEET SURPRISE」というアルバムに参加した時に意気投合してグループを結成(「SWEET SURPRISE」のクレジットでは、すでに”シルバー”という名前が使われていました)。

 そこにイーグルスの創設メンバーだったバーニー・リードン(レドン)の弟トム・リードン(Vo/B)、ハリー・スティンソン(Vo/Ds)が加わり5人組になりました。

 

 また、ジョン・バドロフは、それまでに”バドロフ&ロドニー”という男性デュオを組み三枚のアルバムをリリースしています。同時代に活躍したシールズ&クロフツイングランド・ダン&ジョン・フォードなどと共通するような音楽性を持っていました。僕が好きなイギリスの作曲家リチャード・カーの作品「Somewhere In The NIght」(ヘレン・レディやバリー・マニロウが大ヒットさせました)を取り上げ、全米69位の小ヒットになっています。


Batdorf & Rodney - Somewhere In The Night

 

 シルバーはデビュー・シングル「恋のバンシャガラン(Wham Bam(Shang-A-Lang

))」がいきなり全米16位のスマッシュ・ヒットになります。 


Silver - Wham Bam Shang-A-Lang (Audio)

  

これは彼らがレコーディングしたアルバムの曲を聴いたレコード会社(アリスタ

のトップ、クライヴ・デイヴィスがシングルにできるものが何もないと判断して、新たに選んで歌わせた曲だったそうです。

 以前にも書きましたが、クライヴは売れそうな曲を自ら探し出して歌わせることでたくさんの大ヒットを生み出してきた人物で、当時その”選曲眼”でディオンヌ・ワーウィックバリー・マニロウ、エア・サプライを大ヒットさせています。

 

 彼らの唯一残したアルバム「シルバー・ファースト(Silver)」では10曲中メンバーが7曲書いています(バドロフが2曲、ミッドランドが2曲、コリアーが3曲)。

 

 しかし、次のシングルに選ばれたのは、やはり外部の作家が書いた「想い出(MEMORY)」でした(これが、いい曲ではあるのですが)。こちらは、アレンジャーのクレジットにクライヴの名前が加えられていますので、何かアレンジの直しの指示をしたのかもしれません。彼はもともと弁護士でアレンジはできないはずですから。

www.youtube.com

 

   当時のアメリカ西海岸のロック・バンドはクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングイーグルスのようにメンバー全員歌えて、コーラスができて、曲も書けるというスタイルが、一つの理想形で目標でした。シルバーも当然、そのラインを狙っていたような気がします。

 

 しかし、彼らが所属していたレーベル、アリスタは、自作自演のバンドを時間をかけて育成するような土壌はなく、クライヴの指揮でとにかくヒットしそうな曲を歌わせることを命題にしていたところだった、そういったことが彼らの運命を左右したのかもしれません。

 1曲ヒットは作れた、そのかわりバンドは短命で終わった(アルバムリリース後間もなく解散してしまいます)のです。

 

 この「ミュージシャン」は彼らの三枚目、最後のシングルです。

 作ったのはメンバーのブレント・ミッドランド。最後の最後に、彼らのオリジナルをシングルでリリースできたわけです。

 アルバムでは1曲めに入っていました。

 しかし、いつもこのアルバムを聴くたびに思うのですが、確かにすごくいい曲なんですが、デビューしたバンドの最初のアルバムの最初の1曲が「ミュージシャンはつらいよ」みたいな歌でよかったのだろうか?ということです。あまりに、寂しすぎる気がします。

 でも実は、わざとこういう曲で始めて、ゆくゆくブレイクしたときには彼らなりのサクセス・ストーリーが出来上がる、とか、そこまで考えていたりしたのかもしれません。

 もしくは、レコード会社やクライヴへの当てつけとか、、考えすぎでしょうか。

 

 それはともかく、この曲を書いたブレントはシルバー解散後、1979年からグレイトフル・デッドのメンバーになります。キーボード・プレイだけじゃなく、ヴォーカルとコーラスの能力でバンドに新たな魅力を吹き込んで大きく貢献したと言われています。

 アメリカきっての大人気ライヴ・バンドですから、「ミュージシャン」の歌詞のようなきびしい生活からは逃れることはできたのだろうと思いますが、加入した10年後に38才の若さでドラッグにより亡くなってしまいます。

 

 この「ミュージシャン」の動画ページには、ジョン・バドロフの名前で以下のようなコメントが寄せられています。

 

 「おお!僕はそのバンドにいたんだよ。ひどいレコード・レーベルと社長が、僕たちがどんなバンドになっていたかという望みを全部殺してしまった。その時のメンバーはみんな25歳にもなっていなかった。ただ、驚くほどのヴォーカルのポテンシャルがあった。ブレントがいなくて寂しい。間違いなくとても大きな才能の持ち主だった」

 

 

 

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