まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「ヴェンチュラ・ハイウェイ(Ventura Highway)」アメリカ(1972)

 おはようございます。

 今日はアメリカの「Ventura Highway」です。


Ventura Highway

Chewing on a piece of grass
Walking down the road
Tell me, how long you gonna stay here, Joe?
Some people say this town don't look good in snow
You don't care, I know


Ventura Highway in the sunshine
Where the days are longer
The nights are stronger than moonshine
You're gonna go
I know-uh-oh-uh-oh-uh-oh-uh-oh-uh-oh-uh-oh
'Cause the free wind is blowing through your hair
And the days surround your daylight there
Seasons crying no despair
Alligator lizards in the air, in the air


Did di di di dit, did di di di dit
Did di di di dit, did di di di dit、、、


Wishing on a falling star
Waiting for the early train
Sorry boy, but I've been hit by purple rain
Aw, come on, Joe, you can always
Change your name
Thanks a lot, son, just the same


Ventura Highway in the sunshine
Where the days are longer
The nights are stronger than moonshine
You're gonna go
I know-uh-oh-uh-oh-uh-oh-uh-oh-uh-oh-uh-oh
'Cause the free wind is blowing through your hair
And the days surround your daylight there
Seasons crying no despair
Alligator lizards in the air, in the air

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Did di di di dit, did di di di dit (du du du du)
Did di di di dit, did di di di dit (du du du du)、、、

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草を噛みながら
道を下ってゆく
なあ、いつまでここにいるつもりだ、ジョー?
この街は雪が似合わないって言うヤツもいるぜ
お前は気にしちゃいないんだったな

 

陽を浴びたベンチュラ・ハイウェイ
日が長くて  夜は密造酒より強い
もう行くんだな、わかってるよ
だって、自由な風がおまえの髪を吹き抜けてゆくから
そしてそこじゃ日差しの中で毎日が過ぎてゆく
季節が絶望を叫ぶことはない
ワニトカゲみたいな雲が、空に浮かんでる

 

流れ星に願いながら
早朝の列車を待っている
すまんな小僧、俺は紫の雨に打たれっぱなしだったのさ
行こうぜ、ジョー
あんたはいつだって人生を変えられるんだ
いろいろありがとうよ、小僧、ともかくな

               (拙訳)

 

   *moonshineを月のあかりと訳しているものが多いですが、作者のデューイによるとお酒のことなのだそうです。カリフォルニアの夜は醸造酒よりも強烈なアクション、人生、ライフスイルがあるのだという意味が込められています

 

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  しかし、”アメリカ”ってすいぶんおおざっぱで思い切ったバンド名ですね。でも、これには理由があります。

 メンバーは3人とも、ロンドンのアメリカ空軍基地に駐留する軍人の子供たちで、ロンドンの同じ高校に通ってバンド活動を始めています。

 バンド名の”アメリカ”には、ロンドンにいるけれど自分たちはアメリカ人でアメリカのロックをやるんだという自負心がまずこめられていました。

 そして、バンドを結成した1970年当時はベトナム戦争が泥沼化していて、アメリカという国の印象が大変悪くなっていました。彼らはロンドンからアメリカを客観的に見ることができたので、自分たちが幼いころに記憶している理想のアメリカ像、いわゆるアメリカン・ドリームを音楽で表現しようと思ったようで、その強い意思も”アメリカ”と名づける理由になっています。

 このバンド名は単なるアメリカ礼賛じゃなく、国の外側から見た客観的な視点から作られたものだったのです。

 

 彼らは当時のアメリカで人気のあった、コーラスワークに長けたフォーク・ロック・グループ、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングのスタイルで曲を作り、デビュー曲がいきなり全米NO.1、イギリスでも3位まであがる大ヒットになります。

 「名前のない馬」という曲です。 


www.youtube.com

 この曲はロンドンで録音されましたが、大ヒットしたおかげで彼らはアメリカに戻りLAに移り住むことができました。

 そして、LAで録音されたセカンドアルバムの1曲目にしてファースト・シングルだったのがこの「ヴェンチュラ・ハイウェイ」でした。

 

 作者のデューイ・バネルはこう語っています。

「「Ventura Highway」は、最初の曲作りの時にイギリスで書いたんだ。曲はほとんどスケッチされていた。 コード構成と歌詞の一部はできていた。私たちはトライデント・スタジオでファースト・アルバムのレコーディングをしていました。ファースト・アルバムに収録する曲はもう決まっていたから、そのまま棚上げになっていたんだ」

(American Songwriter  2020/06/06 )

 

 ヴェンチュラ(ベンチュラ)はカリフォルニア州南部の郡名、都市名です。

 ただし、ヴェンチュラ・フリーウェイはあっても、ヴェンチュラ・ハイウェイというのは実在しないのだそうです。

   デューイの遠い日の記憶がこの曲のイメージになっています。

 昔、彼はネブラスカ州オマハに住んでいて父がカリフォルニアの空軍基地に駐在することになったそうです。父親の運転する車でハイウェイを走っていた途中、タイヤがパンクしまい、父が修理している間、彼の兄と道のわきに立って流れる雲や、ヴェンチュラと書かれた標識を見た記憶が残っていたのだそうです。

 

「僕たちがよく知っているカリフォルニアの雰囲気、そしてビーチ・ボーイズが世界にもたらしたものを表現したかったんだ。太陽と波、そして髪を吹き抜ける自由な風、そんな理想的なカリフォルニアの雰囲気を。1963年から1964年にかけて、僕の家族はカリフォルニアに住んでいたから、僕はそれを体験していたのです。サーフシーンの全盛期でしたね。12歳、中学1年生くらいだったけど、サーフィンをやってみたんだ。ニックネームの「デューイ」はそこでつけられたんだ。本名はリーなんだ。

 

 言うまでもなく、僕たちが住んでいたイギリスは、かなり灰色で陰鬱な雰囲気が漂っていました。だから、そのカリフォルニアをイメージし直したかったんだ」

(American Songwriter  2020/06/06 )

 

 イギリスから見たカリフォルニア同様、冬の寒さの厳しいオマハの人にとっても、カリフォルニアは夢のような場所でもあったようです。

 彼らがアメリカに帰国してリリースした第一弾の曲が、メンバーが子供のころ見た、”理想的で平和なアメリカの風景”をモチーフにしていたものだったというわけです。

 

 歌には主人公とジョーという男の二人が登場します。

「僕はジョーを年配の男に見立てていたんだ。そこから飛び出して西海岸に行きたくてしょうがない元気一杯の若者と、歳をとって経験も重ねた男との様式化された人間関係の歌で、彼らは行くか行かないか言い合っていて、その日の終わりに彼は今の人生に納得することを選ぶんだ。彼はチャンスを掴みにはいかないのさ」

(American Songwriter  2020/06/06 )

 

  もう50年近くも前の曲です。こういうモチーフ(失われた風景を淡々と描く)の曲は今ではもう作られていませんし、それはもっともなことだとも思えます。

 今の時代を生きるということは、自身の負の感情を持て余しながら生きることと同義のように思えます。そして、表現物はそんな心の有り様にダイレクトに響かなければいけないわけです。負の感情に思いっきり働きかけるか、もしくは逆に完全に忘れさせてくれるか。

 ぐっとくるものを”刺さる”などという物言いをするようになったことも、その反映なのかもしれません

 理想的で平和な光景、というのは、今の時代には説得力がない、あまりにも刺激がない、少なくとも”刺さる”ものではないのでしょう。

 でも、不穏な空気がより濃くなってきた今の時代、条件反射的に”戦争反対”と叫ぶだけじゃなく、ひとりひとりが自分にとっての”あたりまえでかけがえのない平和な光景”をしっかり心に映すことができる、それは決して即効性のあることではないですが、そういうというのは大事なんじゃないかと思います。平和をしっかりイメージし、そのありがたみを噛みしめるというような。そして、その光景にいつも導いてくれるものとして音楽があれば、また素晴らしいことなのだと僕は思います。

 

 

  さて、話を戻します。

 昔この曲を地元のラジオで耳にして気に入って、後に(2001年)イントロのギターリフをサンプリングして使ったプロデューサーがいました。それが、ジミー・ジャムとテリー・ルイスです。

 そして出来上がったのが「Someone To Call My Lover」。歌っているのはジャネット・ジャクソンで全米第3位のヒットになっています。


Janet Jackson - Someone To Call My Lover

   

   ちなみに、「ヴェンチュラ・ハイウェイ」の歌詞には”Purple Rain"という言葉が出てきます。(Sorry boy, but I've been hit by purple rain)

 

 プリンスの「パープル・レイン」はここからとられたのだと主張する人もいるようです。真意のほどはわかりませんが、プリンスの同郷の仲間であったジャム&ルイスが好きな曲ならば、プリンスも知っていたんじゃないかなあとは思います。

 

「曲の中で、パープル・レインに打たれるというのは、年配の男が冒険に出なかった言い訳なんだ。僕にとっては、この男に何か良くないことが起こったということさ。おそらく、この老人はサイケデリックな体験をして、行きたくないと思ったのだろう。そこに留まれという啓示があったのかもしれません。

 それは鬱なのかもしれない、紫の雨。ブルーな感情の代わりに、紫の感情を持つという」

(American Songwriter  2020/06/06 )

 

 彼らの故郷、ミネアポリスは、ラジオなどで黒人も白人のロックやポップスに接する機会が多い土地だったようで、それが彼らの独自の音楽性を育んだようです。

 

 

 最後にもう1曲。僕が個人的に好きなものを(すみません)。

ひなぎくのジェーン(Daisy Jane)」(1975年 全米25位)です。

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