まいにちポップス(My Niche Pops)

令和元年初日から毎日更新中〜1日1ポップス。エピソード、歌詞の和訳、謎解き、マニアックな捜査、勝手な推理、などで紹介していきます。text by 堀克巳(VOZ Records)

「アンジェリーナ」佐野元春(1980)

 おはようございます。

 今日は佐野元春の「アンジェリーナ」です。


アンジェリーナ

 

 振り返ってみると、1970年代後半から80年代前半というのは日本のポップスが最も洋楽にクロスした時代だったと思います。

 

 それまで、叙情的な歌謡曲、演歌、フォークが大勢を占めていたなかで、洋楽っぽいメロディやサウンドが洗練された曲が現れ始めました。

 

 ただし、ソングライティングについては、「日本語ロック」のパイオニアとされるはっぴいえんどが”意図的に”全編日本語詞にしたこともあってか、”英語”を歌詞にうまく取り入れるという”試行錯誤の作業”がサウンドやメロディに対して”遅れをとって”いました。

 そこに、全編英語で歌うゴダイゴや、英語のところになるとネイティヴっぽい発音になる竹内まりやなどが現れ、日本のポップスにも英語っぽさを求める機運が高まっていきました。

 歌謡曲、流行歌の世界でも英語を意図的に歌詞に入れる動きが目立ち始めます。その代表的作詞家のひとりは竜真知子でした(竹内まりや「ドリーム・オブ・ユー」、サーカス「Mr.サマータイム」、桑江知子「私のハートはストップ・モーション」、杏里「思いきりアメリカン」、、)。

 

 そういった時代の動きの中で”イノベイター”と呼ぶべきアーティストは原田真二桑田佳祐佐野元春の三人だったんじゃないかと僕は思います。

 

 以前インタビューで吉川晃司が、日本語を英語っぽく歌うルーツについて質問されたとき、そのスタイルの元祖は佐野ではなく原田じゃないかと答えていたのを僕は印象深く覚えています。

 

 三人の中で一番若いのに(桑田、佐野の2歳下)デビューが一番早かった原田は歌詞は松本隆と組んだため、彼の洋楽感はメロディと歌い方に寄るところが大きかったのですが、それでも圧倒的に新しく感じるものでした。

 

 そして、その流れを受けて、桑田、佐野は自ら、英語を取り入れた新たな日本語詞の文体を編み出したわけです。

 彼らの登場以前は、歌詞を英語を取り込んでも、英語(カタカナ)の部分と日本語がきっぱりと分かれて聞こえていましたが、彼らは日本語を英語っぽく発音し、そこに英語を交互に合わせるなどして、”ごっちゃ”にしました。いわば、英語と日本語の区切れ目を限りなく曖昧にする方向性ともいえます。

 

 ただし、そういう曲を成立させるには、それに見合ったボーカルスタイルが必要だったわけで、彼らはそれも同時に確立していました。

 

 原田、桑田は彼らを取り巻く環境のせいもあって芸能界の最前線で戦うことになり、それが彼らの音楽を大きく変えていきます。桑田は歌謡曲の要素もふんだんに取り込み

日本の大衆音楽の歴史を飲み込んだ”究極の日本のポップス”とも言うべきスタイルを編み出し、原田は流行歌の世界から離れ、ある種スピリチュアルな方面に向かっていきました。

 

 佐野元春は一番デビューが遅かったのですが、芸能界にクロスするようなブレイクもしなかったことも幸いして、自分のスタイルを追求できたように思います。

 

 彼の曲を聴いて僕は最初に、ビリー・ジョエルの都会感を日本に置き換えたみたいだと感じました。

 それは”ストリート感”ともいうべきものでした。”ストリート”と言う言葉はビリー・ジョエルがアルバム・タイトル(52nd STREET)で使ったことで、かっこよく思えていました。

 後になって知ったのですが、デビュー前の彼はキーボードの弾き語りで、ライヴを観た関係者の中にはビリー・ジョエルみたいだったと語る人もいたそうです。

 

 ともかく彼が生み出した音楽は、それまでの日本の都会的なポップスとは違うものでした。

 

「あの頃、シティポップと呼ばれている音楽があった。ただ、そのシティポップと呼ばれる音楽はたいてい外から眺めた街の歌だった。僕は東京育ちですから、内側から眺めた街の歌を作りたかった。都会的な音楽じゃなくて、都会そのものの音楽」

               (FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」)

 

 また、日本のポップス、ロックを作り上げてきた”はっぴいえんど”を中心とする先人たちとの違いも、意図的に打ち出していました。

 

「── 70年代音楽の主人公たちみたいなナイーブさなんて、遅れてきた世代の俺たちはもう持ち合わせちゃいない。俺たちはもっと現実的で、さらにラフでタフだ。そして、すべての真実はストリートの中にこそあるんだ──「アンジェリーナ」を書いた当時、僕はそんな思いから、自分の目に映る街の風景をスケッチしていたのだと思う」

         (「ぴあ 佐野元春を成立させるクリエイティヴのかけら」)

 

 佐野元春が当時の日本の音楽シーンにもたらしたのは、新たなロックンロールのスタイルでもあったのです。 

 ビリー・ジョエル・タイプの弾き語りアーティストだった彼は、当時流行したパンクにインスパイアされ、仕事でアメリカのラジオ局を取材したときに「ロックンロールの復活」を肌で感じて、自身もロックンロールをやることを決意します。

 

 パンク、ニューウェイヴのブームの中で当時はごっちゃにされていましたが、その中でエルヴィス・コステロニック・ロウザ・クラッシュ、プリテンダーズなどは、古いロック、ポップス、R&Bに詳しく、その滋養を音楽にしっかり反映させながら新しいロックンロールを生み出していました。アメリカのブルース・スプリングスティーントム・ペティなどもそういう意味では共通しています。

 彼らのロックは今も良質なポップ・ミュージックとしても聴けるものです。

 

 佐野のロックンロールもそういった音楽と共通するものがありました。潤沢な洋楽のインプットを土台にしたロックでかつポップスとしても成立しているもの。それが、同時代に日本でロックンロールをやる他のアーティストとの違いであり、ロックンロールに特化したところが、細野、大滝、桑田といった洋楽の潤沢なインプットを土台にした他のアーティストとの違いだったと思います。

 

 「アンジェリーナ」は革新的な曲だったわけですが、1980年代に邦楽に親しんでいた人はご存知の通り、その後大量の模造品を産み出すことになりました。

 彼の編み出した英単語混じりの独特の文体や、洋楽っぽい歌い方を取り入れるアーティストが続出したのです。

 しかし、こういうスタイルは誰にでもできるものではなく、センスと洋楽への深い理解が必要なものだったのかもしれません。

 

 その後日本のポップスは、また日本語中心のスタイルに戻っていくわけですが、この時代に作られた、佐野を真似た”かっこ悪い模造品”の大量生産がその動きを一気に導いてしまったんじゃないかなあ、と僕は思っています。

 

 話は飛んでしまいますが、この時代の”英語混じりの日本語ポップス”に慣れ親しんできた人のうちけっこう少なくない割合で、瑛人の「ド〜ルチェ・ア〜ンド・ガッバーナア」という言葉のはめ方をすごく”かっこ悪い”と感じたんじゃないかと思うんですが、そういう発言を耳にしたことはなかったように思います。「オレらの時代だったらアウト、やっちゃいけない歌詞の見本みたいなもんだよ」とか言う人がいても良さそうですけど。この年代は慎み(?)があるんでしょうか、まあ、うかつにそんなこと言ってしまうと自分が古い人間だということを公言しているんじゃないかいう怖さもありますしね。まさに僕はそうでした。

 ただ、何度か「香水」を耳にすると、外国人気取りの発音で歌う方がよっぽど恥ずかしいか、と気づき始めるわけなんですけど。

 あれから40年も立ってみると、がんばって洋楽に近づこうとするベクトルはクラブ・ミュージックなどごく一部のジャンルをのぞけば、消滅してしまったように見えます。

 それは進化でもなく、退化でもなく、ただ変化し続けていると言うことなんだろうなと僕は思います。

 

 最後に近年のライヴ映像を。


アンジェリーナ (LIVE) 佐野元春 & THE COYOTE BAND

 

 

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