おはようございます。
今日はオフコースです。
日本のポップスの巨人たち、ユーミンも大瀧詠一、山下達郎、桑田佳祐も、みんな自身のオリジナルソングで世に出ましたが、小田和正、オフコースは違いました。
1969年にヤマハのライト・ミュージック・コンテストで、ピーター、ポール&マリーなど洋楽のフォークをカバーし第2位に入りデビューが決まって、彼はそれからはじめてオリジナル曲を書くようになったそうですが、当初はプロの作家の曲を歌っていました。
デビューしてからもラジオ番組で毎週洋楽のカバーを披露していたそうで、オフコースというグループは、最初は”洋楽カバーのクオリティの高さ”で注目を集めていたそうです。
同世代のアーティストから見てオフコースはまず"上手い、レベルが高い"という印象が強かったようです。
小田自身もこう語っています。
「もうただ歌と演奏を、どれだけ巧みにやるかっていうことしか手立てはなくて、ともかく練習してね。”なんでそんなに練習してんだ”っていわれるぐらい、いっつも練習してたよね」(「小田和正インタビュー たしかなこと」)
その頃は”はっぴいえんど”をはじめとしてロック、ポップス系では”洋楽志向”の強いアーティストは続出しましたが、当時のフォーク・シーンにあって、洋楽志向で特にサウンド志向というグループはかなり異色だったはずです。
アルフィーの坂崎幸之助は、当時はフォーク・ファンがみな毒を求めていた時代で、その中でオフコースはあまりに毒がなく、あまりに繊細で都会的でセンスが良すぎて、まるで洋楽だったからその時代に合わなかった、と語っています。
彼らの洋楽ポップスのカバーの技量がよくわかる音源が,1974年のライブ盤「秋ゆく街で」に収録されています。
Medley (1974.10.26 Live At Nakano Sunplaza)
当初のオリジナル曲作りに対しては小田はこう語っています。
「どういうメロディだとか、どういうアレンジだとかじゃなくて、あんな空気感を…。洋楽聞いたりしたときの、”なんともいえないモヤモヤしたもの”が、自分が追求したものだったっていうことだろうね」(「たしかなこと」)
小田和正が書いて最初に世に出た曲が「美しい世界」という曲ですが、少しバカラック風に始まり、エンディングのアレンジが「マッカーサー・パーク」的になるので、ジミー・ウェッブもイメージしただろうと思われます。曲構成もコードも難しい、完全に洋楽をイメージしたものでした。
プロデューサーの亀田誠治氏は「メジャー7th」を邦楽のポップスで初めて取り入れたバンドがオフコース、ソロ・アーティストはユーミンだったと語っています。
これは、日本のポップス史的には大変重要なことだと僕は思うのですが、今の日本のポップス史観は”はっぴいえんど人脈”が中心ですから、オフコースはほとんど評価されていない気がします。
大瀧詠一や山下達郎は洋楽曲をロジカルに分析しながら、マニアックに確信犯的にアプローチしていて、聴き手も評論や分析しがいがありますし、マニア心をくすぐるわけですが、小田は洋楽の”フィーリング”を感じ取ってそれを試行錯誤しながら自作に反映させるスタイルなわけです。その"つかみどころのなさ"が音楽評論家やポップスマニアから未だに彼がきちんと評価されない原因かなとも僕は思います。
さて、今日取り上げた「ワインの匂い」は、そんな彼らが自分たちのオリジナル楽曲のスタイルを完成させた記念碑的アルバムのタイトル曲です。
当時の担当ディレクターの判断で、アルバムのレコーディングに500時間かけたと言われています。"早くて上手い'"プロのアレンジャー、プロデューサーの手を借りずに、彼ら自身の力で徹底的に試行錯誤させたわけですね。
その甲斐あって、このアルバムは時間が経過しても劣化しない、”耐久性”の強いものになっていると僕は思います。
今回、オフコースの曲をまとめて(ざーっとですが)聴き直してみて、一番よかったのがこの「ワインの匂い」でした。シングルにはなっていないのですが(でも当時ラジオではよく耳にしましたが)、洋楽スタンダード・ポップスのような空気感、佇まいがあるのに同時にとても日本的でもあります。
具体的な洋楽の楽曲を見本にしたような感じもありません。
これは、小田が言っていた"洋楽を聞いたときのなんともいえないモヤモヤしたもの”を、しっかり形にできたということじゃないかと僕は思います。
楽曲としての良さだけじゃなく、アレンジも最初から最後まで細部に至るまで自然でとてもしっくりしていて、しかも録音された空気感までもがいい、と感じたからです。
そういう作品の代表はキャロル・キングの「つづれおり」の楽曲でしょうし、日本ではユーミンの「ひこうき雲」や「ミスリム」の曲なんかもそうだと思います。
そういう曲はカバーしてもなかなかいいものにならないんですよね。特に「ワインの匂い」は曲の構成が、
Aメロ(ヴァース)サビ(コーラス)の反復という、完全に洋楽スタイルなのに歌詞ははっきりした日本語なので、単調になりやすい。
だいたい、小田和正本人も2007年にセルフカバーしていますが、あんまりよくないですから(失礼!)。しかし、このころのオフコースは小田の書いた曲でも、サウンド面では鈴木の貢献も小さくなかったのかなとも思います。小田はこだわるところはこだわるが基本的にはざっくりしていて、鈴木のほうが細部にまでこだわる人だったようですし。
この曲はWikiによると、小田がはじめてユーミンのステージを見たときにまとめた曲だと記載があって、出典元を見ていないので真偽はわからないですが、本当だとしたらとても興味深いことだと思います。
歌詞がピアノに向かって曲を作る娘ということで、モデルがユーミン、ユーミンに捧げた曲だと解釈している人もいるようですが、僕は小田が反映させたのは、歌詞だけじゃないんじゃないか、アレンジだったり、コードだったり、曲のトーン全体なんじゃないか、と想像します。
それは、アルバムの中で「ワインの匂い」という曲の洗練のされ方が、突出していて少し浮いているようにさえ感じるからです。
YouTubeを見ていたらこの曲の原曲の音源がアップされていました。
Bメロから完全に別曲ですね。この曲を”ボサノヴァ”調で作り直してみようというアイディアが見事にハマったわけですね。
この1975年という年は、ユーミンがブレイクし、シュガー・ベイブがデビューするなど”はっぴいえんど”人脈にスポットが当たった、日本のポップスにとって大変重要な年だったわけですが、”はっぴいえんど”一派とは別に、オフコースが自力で時間をかけて「ワインの匂い」という作品を作ったということも見落としてはいけないと僕は思っています。
日本のポップスの巨人たちの中には大瀧詠一、細野晴臣、山下達郎など、ポップ・ミュージックの歴史の文脈が汲み取れるアーティストもいるのに対して、ビートルズに影響を受けたと言っているのにあんまりそれを感じさせない、独特な世界を作り出す、井上陽水や矢沢永吉みたいな人もいて、それがポップ・ミュージックの面白いところだと僕は思います。
小田和正の場合は達郎のように音楽マニアでもなく、陽水のように強力なセンスや個性があったわけでもなく、音楽的な技能をひたすら磨いていくことでじっくりと個性が磨かれていき唯一無二の存在にまでなったという、大変珍しいタイプだと思います。そして、そうやって獲得した個性というのは、派手さはないですが実は大衆から一度認められると本当に飽きられにくいんだな、というのが彼の活動を長く見ていて僕が思うことでもあります。
最後にアルバム「眠れぬ夜」からもう1曲。西城秀樹もカバーじた「眠れぬ夜」を。
「ワインの匂い」を含む初期ベスト