おはようございます。
今日はチューリップの「青春の影」です。
「今日まで、四十一年間欠かさずにコンサートで歌っている曲ですが、当初はアルバムの片隅にあるような歌としてつくったんです。
じわじわと人の心にしみて、スタンダード・ナンバーになればいいなあ。そんな思いもありましたが、まさかこんなに長く歌うことになろうとは・・・」
(2014年5月21日付中日新聞夕刊「この道」(24))
「当時、TULIPにバラッド曲は歓迎されていなかったので、アルバムの片隅にあるような曲を創ったつもりだったのに。この曲でTULIPにも幅ができたのかもしれない。」
(「財津和夫ワークス」〜40周年を記念して〜」ライナーノーツ)
この曲を書いた財津和夫本人もこれだけのスタンダードになるとは予想もしなかったようです。
チューリップはバラッド曲は歓迎されていなかったというのは、2枚目のシングルだったバラッド「一人の部屋」が全く売れず、その次の「心の旅」が大ヒットして、そういう路線を求められていた、ということかもしれません。
”チューリップ”というバンド名は、ビートルズが作ったレコード会社”アップル”みたいな言葉を探していくうちに、思い当たったものだそうで、特に初期は音楽的にもひたすらビートルズみたいなものをやろうとしていたバンドだったようです。
この「青春の影」も、ポール・マッカートニーのバラードのようなコード感や雰囲気がありますし、歌詞はビートルズの「The Long And Winding Road」をモチーフにしたと言われています。
当時僕もラジオで耳にした記憶はありますが、決してヒットしたわけではありませんでした。
それが時間とともに、じわじわと人気を集めていきます。
1992年に缶コーヒーのCMで使われたり、彼らの「サボテンの花」を一躍大ヒットさせたTVドラマ「ひとつ屋根の下」「ひとつ屋根の下2」でも使われていました。
そして21世紀に入ると、まるで堰(せき)を切ったかのように様々なCM、ドラマで使われる、スタンダード曲になっていきます。
「心の旅」と「虹とスニーカーの頃」はヒット曲にするために苦労して書いたものだったようですが、「青春の影」はまったく違ったようです。
それでは、もうひとつのロングセラーであった「サボテンの花」はどうだったんでしょう。
「カントリーソング風な曲創りを試みた、チューリップの曲の中では冒険した曲だと思う」
(「財津和夫ワークス」〜40周年を記念して〜」ライナーノーツ)
また、彼は自分の曲の中には想像したものと実体験から生まれたものがあって、ヒットしたものは大抵、実体験から触発されたものだと語っていて、その例として「心の旅」と「サボテンの花」を挙げています。
特に「サボテンの花」は実体験としてダイレクトに書いたものだったようです。一人暮らしを始めた部屋の中で着想したものなのは間違いないようですが、1994年のインタビューでは実際に付き合っていた女性が部屋を出て行った後の光景だと語り、2003年のインタビューでは一人暮らしの侘しい光景から膨らませたものだと語っています。
ただし歌詞に出てくる<洗いかけの洗濯物 シャボンの泡がゆれてた>という実際の情景が、最初のきっかけだったのは間違いないようです。
「デビュー当時は、どちらかというと詩はどうでもよくて、ただひたすらリズムを優先して曲を作っていたのです。そのあとに、言葉がリズムに乗るようにしか作っていなかったのです」
(「ペンとカメラのへたのよこず記」財津和夫)
そこから、詩もちゃんとしようということになり、彼の試行錯誤が続いたようですが、それでも、言葉自体ではなく、情景、映像から歌詞を作ったのは実に彼らしいことだと思います。
それから、彼の場合松田聖子に提供した曲も重要ですよね。
松田聖子が大きく飛躍した最大の貢献者はやはり松本隆だと思いますが、作曲面では財津和夫が流れを変えたように思います。彼によって、その後の大瀧詠一、ユーミン、細野晴臣といった面々へとつながる流れができたのじゃないでしょうか。
また、財津の方が松本隆より先に、松田聖子に関わっているんですよね。財津作曲の「チェリーブラッサム」、「夏の扉」ときて、松本=財津による「白いパラソル」につながるわけです。
ユーミンはかつて財津との対談でこんなことを言っています
「感性なんかで近いところあるかもしれませんね。ホラ、松田聖子ちゃんのに財津さんが書いた曲を聞くと、大滝(詠一)さんとかいろんな人も書いているけど、財津さん以外の人は、明らかに私とカラーが違うような気がするの」
(「財津和夫のこころのものさし」)
なんか、すごくわかるような気がします。二人が松田聖子に書いた曲のタッチには、近い空気感がありますね。理詰めで作っていないというか、感覚的というか。
あらためて聴き直してみると、やっぱりこの曲すごいですね。「白いパラソル」。いくら時が経っても劣化せず、変わらぬ空気感を持ち続けているように思えます。
プロデューサーの若松宗雄氏曰く、当初、地味だと関係者の評判はよくなかったそうですが、
「財津さんが「冒頭の♪お願いよ~のメロディがしっかりしているから、絶対大丈夫だよ」と」
(GINZA COLUMN 20 Oct 2020)
そう言ったこともあって、彼は押し切ってリリースしたそうです。