まいにちポップス(My Niche Pops)

令和元年初日から毎日更新中〜1日1ポップス。エピソード、歌詞の和訳、謎解き、マニアックな捜査、勝手な推理、などで紹介していきます。text by 堀克巳(VOZ Records)

「SOMEDAY」佐野元春(1981)

 おはようございます。

 今日は佐野元春の代表曲「SOMEDAY」。

 この曲がリリースされたとき、洋楽好きの間ではスプリングスティーンの「Hungry Heart」のパクリだと糾弾(?)する声が少なくなかったと記憶しています。

 僕も最初にこの曲を聴いた時に、ああ、またやっちゃったか、、と正直思いました。彼はそれまでもスプリングスティーンっぽい曲をやっていたので。

   でも、今考えてみると、当時の自分は洋楽を聴きかじって知ったかぶりしていたんだなあ、なんとも浅いなあ、と反省してしまいます。 

  何かの曲を何かのパクリだと断言してしまうことは、そこで思考停止することでもあります。ですからかえって、その2曲の似ているところではなく、違っているところにいろいろ想いを馳せると、他のつながりも見えてきてなんだか楽しくなるわけです。

   例えば、この2曲をスプリングスティーン佐野元春の"対マン"ではなく、フィル・スペクターをジャッジみたいポジションに置いてみるとします。

 両者ともにフィル・スペクターはいくらか念頭にあったのは間違いないですから。

 フィル・スペクターの作った”ウォール・オブ・サウンド”(音の壁)は大勢のミュージシャンを集めて一斉に演奏させ、スタジオ独特の反響音(エコー)をともなうことで生まれるサウンドでした。

 しかし、両者ともに別にフィル・スペクターの再現をしようというわけではありませんでした。

 特別なノウハウと環境が必要なサウンドで正確な再現は不可能ですし、お金もかかってしまいますが、何より、彼ら自身”再現”を求めたわけじゃないからです。

  「ハングリー・ハート」はバンドのラフな一発録りで敢えてウォール・オブ・サウンドとは反対の方向に振り切って、「SOMEDAY」はエコーを効かせた擬似フィル・スペクターサウンドを作ろうとしています。

 

    「SOMEDAY」のレコーディングの直前、佐野は大瀧詠一のレコーディングをまるまる見学していて、それを自分なりにやってみようと思ったそうです。

  フィル・スペクターほモノラルでしたが、 大瀧はステレオでオリジナルのウォール・オブ・サウンドを構築した人です。   

   佐野はフィルや大瀧のように、大勢のミュージシャンを一斉に演奏させてはいませんが、アコギを重ねたり、ドラムスなどに独特のエコーを加えるなど工夫をしたようです。   

 では、佐野はなぜ、ウォール・オブ・サウンドを選択したのでしょう?

 ウォール・オブ・サウンドは、歌の世界が神秘的にファンタジックになる効果があります。ドラマ性を演出してくれます。

 「SOMEDAY」で描かれた若者の姿、無邪気なままではいられない、でもまだ希望や夢を信じていこうという純粋な高揚感にそのサウンドはすごくマッチするわけです。

 この曲のエンジニア吉野金次は当初はスティーリー・ダンの「Do It Again」という曲みたいにドライな音にしようとしたらうまくいかなかったと語っています。

 


Do It Again

  もし「SOMEDAY」がドライなバンド・サウンドだったら、聴く人の感情の盛り上がりの目盛りはいくらか下がっていたのではないでしょうか。

 フィル・スペクターは自身のサウンドを”ティーン・エイジャーのためのシンフォニー”と表現しましたが、日本でその表現が当てはまった初めての曲が「SOMEDAY」だったとも思えます。

 

 スプリングスティーンも「明日なき暴走」という曲で、若者の純粋さからくる高揚感を演出するために、疑似ウォール・オブ・サウンドを採用しました。

 しかし「ハングリー・ハート」は、妻子を残して勝手に飛び出した男の話ですから、ピュアでドラマティックな演出は全く似合わないわけです。

 必要なのは、大衆との連帯感です。大人になったけどなりきれていないという相反する感覚を共有することです。それには懐かしいポップスをフラッシュ・バックさせながらも、リアルでラフなバンド・サウンドで聴かせることがしっくりするわけです。

 

 大瀧詠一はこう語っています。

古今東西、誰にも影響されずに、何かを行うということはあり得ません。何をどう選ぶか、あるいはどう選んだか、という事実のほうが大切です」(「日本のポップスの歴史と私のキャロル・キング」)

 

 スプリングスティーンも佐野も間違いなく自作に最適なサウンドを選んでいたのです。

 「ハングリー・ハート」と「SOMEDAY」の類似点は、あくまでも創作の”とっかかり”のポイントのみだったのだと今では思えます。

  そういえば、最近はポップスやロックの歌詞だけを取り出して評価したり、メロディーへの乗せ方を細かに解説したりするのを目にしますが、僕は歌詞とサウンドの組み合わせにももっと注目してほしいなあと思っています。

 

  それから、話は少しずれますが、「ハングリー・ハート」の主人公が”現実の苦みを知った成人男子”であり、「SOMEDAY」の主人公が”もう無邪気ではないけれどまだ夢を信じたいと思っている若者”となっているのは、そのまま当時のアメリカと日本の”ロック文化の年齢”を示しているようにも僕には思えます。

 


SOMEDAY / 佐野元春

 

SOMEDAY

SOMEDAY