おはようございます。
今日はピチカート・ファイヴの「皆笑った」。
ピチカート・ファイヴの"皆笑った"をApple Musicで
皆笑った - song and lyrics by Pizzicato Five | Spotify
かつて、シュガーベイブ結成のきっかけになった四谷のロック喫茶「ディスク・チャート」に勤めていた長門芳郎氏が、80年代に店長をやっていたレコード店「パイド・パイパー・ハウス」に、足繁く通っていた青学の大学生たちが組んだグループがピチカート・ファイヴでした。長門氏はシュガー・ベイブの初代マネージャーでしたが、ピチカートのマネージメントも手掛けます。
CITY POP誕生の磁場が「ディスク・チャート」、渋谷系誕生の磁場は「パイド・パイパー・ハウス」だったわけです。たぶん、長門氏ご本人が磁場だったのだと思いますが。自分の好きな音楽への並外れた愛情と探求心、それが磁力の源だったのかもしれません。
”渋谷系”とはフリッパーズ・ギターのことだったと、ピチカート・ファイヴの小西康陽は言い、カジヒデキは渋谷系とは何か?という質問の究極の答えは小西康陽だと言っていて、どちらも、納得できるように思えます。
フリッパーズ・ギターがいなかったら、”渋谷系”という名前がつけられるほどのムーヴメントになっていない、それは間違いないと思います。
しかし、また、渋谷系とはいったいなんだったんだ?という視点で、後から後から”渋谷系”にくっついていったいろんな音楽、アーティストを、外皮を剥くように順に取り除いていくと、最終的に残るのは1968年に発売され80年代に再発見された「ロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズ」というアルバム、とそれに魅せられた小西康陽ということになるんじゃないかというのが僕の見立てです。
1968年当時リアルタイムでこのアルバムを買っていた日本人アーティストは細野晴臣と加藤和彦だけだったと言われ、細野から大瀧、達郎に伝わり、彼らがラジオでオンエアをしたことで彼らのファンにだけには知れわたったという、まさに幻のアルバムでした。
小西は初期の自身のエッセイで彼は、このアルバムこそが”ぼくたちのバイブル”であり、”ピチカート・ファイヴは結成当初からアルバムを作るならロジャー・ニコルズ&スモール・サークル・フレンズ”で行こうと決めていたわけです”と語っています。
(小西康陽「これは恋ではない」)
そして作られた彼らのファースト・アルバムが「カップルズ」。ロジャー・ニコルズへのリスペクトが純粋に現れている、ということからも、渋谷系の原点と言っていいアルバムだと思います。
その中で、「連載小説」という曲がアルバム制作前からあったものらしく、ロジャー・ニコルズが書きポール・ウィリアムスが歌った「SOMEDAY MAN」という曲がモチーフになっています。
ロジャー・ニコルズ同様にこのアルバムから強く伝わってくるのは、バート・バカラックの影響です。ピチカート・ファイヴはもともと作曲研究同好会のような集まりが発展してできたグループで、バカラック作品はメンバーの高浪慶太郎”何かと研究対象になった”そうです。
また、ニール・ヘフティという作曲家の書いた映画「おかしな二人」のテーマ曲を連想させる「憂鬱天国」なんて曲もあります。
ニール・ヘフティもバカラックも、ニール・サイモン脚本のロマンティック・コメディの音楽を手掛けていますが、「カップルズ」の収録曲も、1960年代の都会的なロマンティック・コメディを連想させるようなタイトルになっているのも特徴になっています。
久しぶりに「カップルズ」を聴き直していて、僕はシュガー・ベイブの「SONGS」と似たものを感じ始めました。もちろん、音楽的に似ているということではありません。
「カップルズ」のライナーで小西はこう語っています。
「このように穏やかなスタイルの音楽であっても、このアルバムに収めた楽曲はどれもみな、自分たちの初期衝動をぶつけたものだった、ということだ。まだ誰からも認めていない自分たちの音楽ならびに価値観をはやく世に問いたい、と思って焦っていたのだ」
これは、「ソングス」のときのシュガー・ベイブのメンバーの気持ちと重なるのではないかと思うのです(シュガー・ベイブの時代のほうが風当たりも強かったので、もっと気持ちも激しかったかもしれませんが)。
音楽シーンの中でマイノリティであり、洋楽を軸に独自のセンスでその時代の日本にはないポップスを作ろうとした若者たちが、初期衝動をぶつけた作品が「ソングス」であり「カップルズ」だったのだと思うのです。
山下達郎と小西康陽という中心人物はいても、バンドなので音楽的なウェイトは分散されていた、ということも似ています。「カップルズ」では小西と同じような嗜好を持つ高浪慶太郎、鴨宮諒の微妙な持ち味の違いが大事な隠し味になっています。
ただし、決定的な違いは、制作環境です。
「ソングス」は予算もなく劣悪な環境の中で、大瀧詠一のエンジニアにより洋楽的かつインディーズ的な作りになり、それがかえって元祖”ガレージ・ポップ”のようなサウンドになったおかげで、風化しない作品になりました。
「カップルズ」は、大きなレコード会社でしっかり制作予算も取り、プロのスタジオ・ミュージシャンを集め、大瀧詠一の「ロング・バケーション」を手掛けた吉田保がエンジニアをつとめるなど、最高の環境で作られました。こういうサウンドはインディーズでは決して作れません。そして、そのおかげで、このアルバムも今も劣化していないと思います。
ただ、「ソングス」はその作りのため、初期衝動のエッジがしっかり立って伝わってくるのに対して、「カップルズ」はあまりにウェル・メイドなため、そういう”情熱のエッジ”のようなものが分かりづらくなっているように思います。
今の段階で、この2作の評価を大きく隔てているのは、そういうことも意外に影響しているのではないかと僕は思います。
少なくとも「カップルズ」は、現状よりもっと評価されるべきじゃないかと僕は思うようになりました(もともと僕は、ピチカートは田島貴男がいた時代が好きでしたが、こっちが好きになってきました)。
このアルバムを最後に辞めてしまう佐々木麻美子のボーカルも、元祖”渋谷系”と呼ぶにふさわしいスタイルでした。彼らのデビュー曲「オードリー・ヘプバーン・コンプレックス」を聴いてもよくわかります。
PIZZICATO V / The Audrey Hepburn Complex(1985) 佐々木麻美子
さて、この「皆笑った」は、もともと小西が、曲名と、ジミー・ウェッブの作品「PAPER CUP」風にするというアイディアを持っていることを、高浪に話したところ、それを自分にやらせてくれということになったと言われています。
ちなみに「皆笑った」というタイトルは”They All Laughed"の和訳だったと思われます。
1981年の、オードリー・ヘプバーンの最後の主演映画「ニューヨークの恋人たち」の原題です。もっとさかのぼると、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースが主演した「踊らん哉(Shall We Dance?」の劇中歌で、のちにフランク・シナトラもレパートリーにしていました。
「ニューヨークの恋人たち」の監督ピーター・ボクダノヴィッチがシナトラにこの映画で曲を使いたいと申し出て使った1曲が”They All Laughed"だったので、もともとこの曲から映画のタイトルが浮かんだのかもしれません。
「Paper Cup」フィフス・ディメンション
The Fifth Dimension "Paper Cup"