おはようございます。
今日はフリッパーズ・ギターの「Groove Tube」です。
Flipper's Guitar - Groove Tube
彼らがいなければ、”渋谷系”などという呼び名が生まれるほどのムーヴメントは間違いなくなかったと僕は思います。
しかし、”渋谷系”ってなんでしょう?という根源的な話があって、まあ、解釈は人ぞれぞれでいいんでしょうけど、、。
僕は当時けっこう”それ系”のCDやレアな中古盤をせっせと買っていたただのユーザーですが、僕なりの少し俯瞰して見た意見を書かせてもらうと
20世紀末に起こった、既存の音楽ジャンルを”おしゃれなセンス”で再編成するムーヴメントのひとつ
それが渋谷系だったように思えます。
それまでは、音楽のジャンルに対してリスナーも従順でした。
たとえば、ハード・ロック・ファン、パンク・ファン、モダン・ジャズ・ファンとかジャンルがファンにとって"縄張り"になっていて、それがその人のアイデンティティにもなる、そんな風に機能していたわけです。
しかし、渋谷系は、ロックのこれとR&Bのこれとジャズのこれって、同じフィーリングを感じるよねという聴き方をし、作る音楽にそれを反映させるのです。
そういう既存のジャンルの枠を壊した最大のムーヴメントは”ヒップホップ”でしょう。時代、ジャンルを問わず縦横無尽に”サンプリング・ネタ”を漁り、トラックとして再生させていきました。
”渋谷系”も時代とともにヒップホップの手法と繋がっていきましたが、おしゃれでかっこよければ、時代もジャンルも関係ない、というスタンスは最初からヒップホップと相通じるものがあったのだと思います。
そういう動きが、20世紀終わりに起こったことが僕にはとても興味深く、20世紀の大衆向け商業音楽の再点検と再編成が必然的に流れとして行われたんじゃないかと思えてしまうのです。
さて、前振りが長くなってしまいましたが、フリッパーズ・ギターの出発点は、ネオアコでした。
彼らの前身バンド、ロリポップ・ソニックのデモ音源。
渋谷系と言って名前が出てくるもうひとつ、ピチカート・ファイヴと彼らを比較するとけっこう対照的です。
ピチカートファイブが当初アメリカ寄りで、過去の音楽をベースにしているのに対しフリッパーズ・ギターは同時代のイギリスのロックをベースにしています。
小西康陽と小山田圭吾は10歳違います。この年齢の差もとても重要だと思います。
小西は筒美京平、細野晴臣や大瀧詠一などパイオニアたちの影響が強くあって、そういう先達たちの仕事をたどりながら、それとは違う自分のスタイルを模索する必要があったように思えますが、若い小山田は、そういう影響下から最初から自由でした(その後何年か経って、細野を始めとするYMOのメンバーと深く交流するようになるのですが)。
はっぴいえんどから続く流れとフリッパーズから始まる流れを、(期せずして?)繋ぐポジションに立つことになったのが小西だったように思えます。
それから、小山田圭吾、小沢健二が出会ってグループを組んでいたというのは、今から考えるとすごいことですね。はっぴいえんどの細野、大瀧以降では最大の才能の邂逅のように僕には思えます。
彼らは高校時代に、音楽の嗜好が一緒ということで意気投合します。二人は当時マニアックな洋楽を揃えていた御茶ノ水の貸しレコード店”ジャニス”でレコードを大量に借りて、小沢の家に泊まってそれをカセットに録音して月曜に返すというローテーションを繰り返していたそうです。楽器を一緒に演奏することから入ったわけではなく、レコードを延々と一緒に聴き、知識や感覚を共有していたんですね。
彼らの最後のアルバム「ヘッド博士の世界塔」のインタビュー映像でも二人はキャンペーンにかこつけて各地の中古盤屋を制覇すると意気揚々と語っていたので、その関係はずっと続いていたようです。
それで思い出すのは、僕がすごく好きな話で、はっぴいえんど結成前のことらしいですが、細野があちこち探しても見つけられなかった、バッファロー・スプリングフィールドの「Last Time Around」というアルバムを大瀧が新宿のレコード店で見つけたので細野に電話して知らせて、彼が到着するまで他の客が買わないように大瀧がレコード屋にずっといて見張っていてくれた、というエピソードです。
細野、大瀧や小山田、小沢は、単にすごい才能が出会っただけじゃなく、嗜好をまわりと共有できない少数派の音楽好き同志として、時間を共有し、価値観をシェアし合った、ということが、その後の作品作りにとても重要なことだったんじゃないかと僕は思います。
最初5人だったフリッパーズギターが、才能もあって価値観を完全に共有できている小山田と小沢の二人だけになったのも必然的なことだったはずです。
小山田は、小沢とはそういうテレパシーみたいなものはあった、と後に語っています。
「とくに言葉にしないでも感覚で通じるものがあってそれを頼りにやっていたから。だからそういう感覚がなくなったら終わりだなというのは、たぶんおたがい思ったんだよね。」(「コーネリアスのすべて(別冊ELE・KING)」)
さて、この「Groove Tube」は、ネオ・アコから始めた彼らが、サンプラーでループするトラックを作って、ヒップホップ的なアプローチを導入した最初の作品です。当時は、プライマル・スクリームの「スクリーマデリカ」など、そういうアプローチをするロック・バンドが出てきたタイミングでした。
サイケデリックなループするダンス・トラックに、ギター・ポップらしいキャッチーなメロディが載るという、今聴いてもかなり斬新でレアなスタイルで、1990年代の日本のポップスを代表するような1曲だと僕は思います。