おはようございます。
今日はオリジナル・ラヴの「朝日のあたる道」です。
オリジナル・ラヴは、現在は田島貴男のソロ・ユニットですが、スタートはバンドでした。
1985年に彼が結成した“The Red Curtain”というバンドが起点になっています。最初彼はパンク、ニューウェイヴに傾倒していました。1987年にバンド名をORIGINAL LOVEに変更、アメリカのバンドながらニック・ロウなどがいた”STIFFレーベル”からデビューしたThe Feeliesというバンドの曲名からつけられたのだそうです。
ちなみにこんな曲です。
当時、彼はR&Bにかなり傾倒していったようで、音楽性も変化していきます。
1988年に彼はオリジナル・ラヴと並行するかたちでピチカート・ファイヴに加入、アルバム「ベリッシマ」でソウル・フィーリングにあふれた見事のヴォーカルとソング・ライティングを披露します。
*「ベリッシマ」の動画がなかったので、翌年のアルバム「女王陛下のピチカート・ファイヴ」から、「トップ・シークレット」。
1990年にピチカート・ファイヴを脱退し、1991年にメジャー・デビュー。シングルは「Deep French Kiss」でした。
1992年のセカンド・アルバム「結晶-SOUL LIBERATION-」は、それまで洋楽メインだったHMV渋谷店で、大きなスペースをとって展開し、同店が”渋谷系のブーム”を牽引することになるおおきなきっかけになったと言われています。
シングル曲も「月の裏で会いましょう -Let's go to the darkside of the moon-」、「ヴィーナス」「サンシャイン・ロマンス」とキャッチーでいながら都会的な洗練さもある完成度の高い楽曲を続けて発表していきます。
そして、その次が彼の代表作「接吻」です。この曲はあっという間に書けたそう。やはり名曲、大ヒット曲はあっという間に書けることが多い、という法則にのっとっています。ただ、彼は以前からセクシーなラヴ・ソングを書きたいという願いがあって、いろいろトライしていた蓄積があったらしく、こう述べています。
「経験上、すぐにできた曲って大体いい曲なんだ。たぶん、すぐにできた・・・というのは、気のせいなんだよ。それまで無意識のうちに自分の中で発酵させていた曲が、何かのきっかけで表面に出てきたってことなんだと思う。」(「ポップスの作り方」田島貴男)
そして、その次のシングルが、シャンプーのCMソングだったこの「朝日のあたる道」でした。
タイアップ用ということで締め切りが早く、曲を書くのに相当苦労したようです。サビはできていても、A、Bメロがなかなか決まらず、歌詞も何度も書き直したそうです。最後は倒れ点滴を打ちながら書いたと本人は語っています。
”明ける空 消え始めた星を 引き連れて走るハイウェイ 前よりも優しい君を乗せてる”
個人的に、すごく好きな歌詞です。長い年月を過ごしてきて、あらためて二人の関係を見つめ直すことができた、大人のカップルの歌です。とても点滴打ちながら書いたとは思えない、洗練されたフレーズだと思います。
最後にさっきも引用した彼の著書「ポップスの作り方」で僕が深くうなずいでしまった言葉を紹介します。
「曲を書くことにおいて、軽く口ずさみやすい、ポップなメロディを書くのは、重く意味深で、かっこいい、マニアックなメロディを書くより、100倍難しい。
ところが時々人はこれを逆のことのように思うようだ。軽く口ずさみやすい、ポップなメロディは軽んじられ、ナメられ、重く意味深でかっこいい、マニアックなメロディは、意味や価値をこじつけて、真剣に聴かれるべきとする。
作る側からいわせてもらうと、これは逆だ。いい曲は理屈抜き、お膳立てや説明なしにいい曲だ。そういう曲は、なかなか作れるもんじゃない。」
今の世の中、ポップで口ずさみやすい曲が本当に少なくなったのは、時代に合わなくなってきたせいかもしれませんが、根本的な問題として、そういう曲を作れる人自体がいなくなってきているのかもしれないですね。