おはようございます。
今日は比屋定篤子の「君の住む街にとんで行きたい」です。
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比屋定篤子。目立ったヒット曲はないので全国的な知名度はそんなに高くないと思いますが、根強い人気があり、現在も地元の沖縄をベースにコツコツと長く活動しているシンガーです。
彼女は1997年にソニー・ミュージックからデビューして三枚のアルバムをリリースしていますが、最初の二枚は宣伝担当として、三枚目はディレクターとして僕が関わっていました。
その当時、ソニー・ミュージックでは既存の邦楽部とは別に、新しい邦楽のセクションを作るという試みがあって、いろんな部署からスタッフが集められ、それまで洋楽部にいた僕もそこに異動になりました。
邦楽制作の経験者は兼務で若干いましたが、基本未経験者たちで作られた部署です。4〜5人のチームが合計7つあって、それぞれが新しいアーティストを探してリリースすることがミッションでした。
そんな中で僕が加わったチームのリーダーが打ち出した方針は、”いま売れなくてもいいから、10年、20年聴き続けられるものを作ろう”ということでした。今のレコード会社では絶対に考えられないことですが(笑。
そして、そのチームで手がけたのが彼女でした。
邦楽制作のビギナーたちが10年、20年聴ける音楽を作ろうとして手がけたアーティストが比屋定篤子だったわけです。
(今思えば、要領は相当悪かったと思いますが、その分一つ一つの過程に好奇心を持って、かつ丹精を込めてやったように思います)
彼女はSDという新人開発セクションで育成されていて、聴かせてもらったデモテープに入っていた1曲がこの「君の住む街にとんで行きたい」でした。
1973,4年頃にリリースされていた、日本のポップス黎明期の幻の曲じゃないかと錯覚してしまうようななんともいえない空気感がありました。
彼女には小林治郎という相方がいて、デモ曲のメロディはすべて彼によるものでした。二人のユニットでデビューという案も検討されましたが、リリースは彼女の名義、実質は二人のユニット、という形でいこうと、チームのリーダーが決断しました。
ですので、厳密に言うとソニー時代の「比屋定篤子」はユニット、その後は単独、ということになります。
彼女たちの音楽的な大きな柱に、ボサノヴァ、ブラジル音楽がありました。彼女は武蔵野美術大学のラテン音楽研究会でボサノヴァのバンドをやっていて、小林もボサノヴァやブラジル音楽(MPB)を研究していました。
はっぴいえんど〜ティン・パン・アレイ系の日本のポップスと、ブラジル音楽を二本柱にして、そこに彼女の生まれ育った沖縄の情感、ニュアンス(当初から、てぃんさぐぬ花、などもライヴでやっていました)をミックスする、という今までになかった”レシピ”のポップスを作ろうとしたわけです。
デビュー曲「今宵このまま」は軽快なボサノヴァ調の曲の次のシングルとしてこの「君の住む街にとんで行きたい」はリリースされました。
この曲はデモテープが無茶苦茶良かったんですね。空気感みたいなものが。これは譜面では再現できないので、担当ディレクターも頭を悩ませたと思います。
デモと同じような編成、メンバーでもトライしましたが、やはりデモ以上にならず、デモの再現という選択肢を捨てて、デモのメイン楽器のバンジョーの代わりにペダル・スティールというチョイスをすることになったわけです。
しかも演奏したのが、大瀧詠一さんファミリーの駒沢裕城さんでしたから、大瀧ファンの僕もスタジオに見学に行って演奏に聴き入ったのをおぼえています。
「君の住む街にとんで行きたい」のシングルは、カップリングは大貫妙子さんのファーストアルバム「Grey Skies」に収録されていた「街」のカバー(これがなかなかいいです)、そして、デモのメンバーで収録した「君の住む街にとんで行きたい」が入っています。
当時のHMV渋谷の担当の方がむちゃくちゃ気に入ってくれて、大きめのコーナーを作ってCDをずら〜っと並べてくれたのをよくおぼえています。
ファーストアルバム「のすたるじあ」はボサノヴァ、ブラジル系の曲がやや多めでしたが、次のアルバム「ささやかれた夢の話」ではポップスに集中させた作品になっています。彼女の全アルバムの中でも、曲は一番粒ぞろいだと思います。後年、シティポップ再評価で彼女が注目されたのもこのアルバムで、特に「まわれまわれ」という曲でした。
でも当時は売れなかったわけで、その間新しい邦楽セクションもチームの合併、再編成が行われていて、いよいよヤバいかな、というムードを感じたその時の部長さんが、もう一枚作っちゃうかといってくれて(笑、セカンドからわずか7ヶ月ちょっという短いインターバルでリリースされサード・アルバムが「ルア・ラランジャ」で、僕が制作担当をつとめました。
前作がかなりポップスに寄ったので、もう一つの柱であるブラジル音楽にちょっと戻そうという方針で僕は臨みました。
そうすると不思議なものでそういう人たちが集まるんですね、新たに加わっていただいたアレンジャーの村田陽一さんはその頃ブラジル音楽をすごくやりたがっていましたし、当時の彼女のマネージメントの中原仁さんがブラジル音楽の第一人者でしたから、そのルートで、レコーディングの時期にちょうど来日していたイヴァン・リンスやマルコス・スザーノというすごい人たちに参加してもらうことができました。
タワー・レコードの雑誌”bounce”では年間ベスト・アルバムの中のひとつに選んでもらえたり、評判は良かったのですが、売上としては結果は出ずに終わりました。
そして、アルバム発売後しばらくして、彼女との契約を終了させることになり、やがて、その部署もほどなくして解体ということになりました。
しばらくのブランクの後、彼女は再始動するのですが、新たに所属することになったハピネス・レコードの代表の方は、他のメジャーレーベルにいらしたときに彼女の曲を聴いてすごく気に入っていたことを後で知りました。
そして2009年には、ハピネスレコードから、今のシティポップ・ブームの最大の貢献者の一人、クニモンド瀧口さんの「流線形」とコラボ・アルバム「ナチュラル・ウーマン」をリリースします。これがきっかけで新しいリスナーをたくさん作ることができ他のは間違いないです。
いまでもサブスクで最も人気の高い「まわれまわれ」の新ヴァージョン。
そして、2016年には、ソニーからまさかの”ベスト・アルバム”「昨日と違う今日〜比屋定篤子ベスト&レア」がリリースされました。このアルバムの担当の方が昔から彼女の音楽をすごく気に入っていたことから始まった企画でした。
不思議なことに、ポイント、ポイントで熱心なファンだった方が現れて手を差し伸べてくれるんですね、そんな風にして、アーティストとしてのキャリアを息長く続けることができているわけです。
彼女のソニー時代の三枚のアルバムはいまサブスクでも聴けるようになっていて、当時の売り上げの少なさから考えるとびっくりしてしまいます。
発売から20年以上過ぎていますので、当時の僕の上司の方が言っていた10年、20年経っても聴けるという目標は達成できたんだなと、僕はちょっとしみじみしたりします(笑。
最後は僕が制作した中で一番好きな曲を。
この曲は前の担当者が一度完成させていました。ただ、すごくアンビエントというかプログレ的というか、あえて実験的なミックスになっていました。でもよく聴いてみると演奏は素晴らしい、でもエンジニアの方に一度出来上がったものをオーソドックスなミックスに戻せと言っても失礼なんじゃないかと思って、思い切って、別のエンジニアの方にマスターを持って行って、ミックスを一からやり直してもらうことにしました。
僕はオリジナル・ラヴの「プライマル」みたいなスケール感がありつつも情感がこみあげるようなスタイルがこの曲に似合うと思っていたのですが、ちょうどレコーディングで関わっていたエンジニアのお一人が「プライマル」を手がけていたことがわかって、思わず駆け込みました(笑
その方にしてみれば、同業者が一度完成させたものをやり直すということには、すごく抵抗があったようですが、、(当然ですよね)。
それに合わせて歌もあらためて録音し直した結果、全く別の曲のように仕上がりました。同じ音素材でもミックスでこんなに変わるんだと、自分でリクエストしておきながらすごく驚いてでもすごく嬉しかったことをおぼえています。エンジニアの人たちっていうのは本当にすごいんです。
「オレンジ色の午後に」