おはようございます。”女性の名前を呼ぶ”シリーズ。今日は日本で特に人気の高いこの曲を。アル・クーパーの「ジョリー」です。
When I was comin’ down from someone else ya know
You took my hand
You pushed me up, you pulled me out
Ya done me good do ya understand?
Noone else around could have saved me
Oh Jolie ya shone just like the sun
And like the dead you came & you raised me
Oh Jolie Look at what you done
You may be young but you got so much more
Than any girl I know
And I see your face most every place
Don't make no difference where I go
So lets not fall so fast that we get crazy
Oh Jolie will ya think of me ?
And when your picture of me gets a little hazy
Ya know Jolie its only you I see
No one else around could have saved me
Oh Jolie ya shone just like the sun
And like the dead you came & you raised me
Oh Jolie Look at what you done
Look at what you done
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君が僕の手を取ったのは
他の女性との関係が終わったばかりのときだった
僕を舞い上がらせて 外へ引っ張り出して
それが僕には良かったんだ わかってくれるかい?
周りにいる誰も僕を救うことはできなかった
ジョリー、君は太陽みたいに輝いていた
そして、死人みたいだった僕のところに来て 蘇らせたんだ
ジョリー、君のおかげなんだよ
君はまだ若いかもしれないけど
僕の知っている他のどんな女の子より
たくさんのものを持っている
どこに行ったって君の顔が浮かぶ
どこに行ったって一緒なんだよ
こんなスピードで恋に落ちていかないようにしないとね
そうじゃなけりゃ 僕たちおかしくなってしまう
ジョリー 僕のことを思ってくれるの?
君の持っている僕の写真が少し霞んだって
ジョリー 僕の目に映るのは君だけなんだ (拙訳)
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この曲のモデルがクインシー・ジョーンズの娘、ジョリー・ジョーンズ(1960年代半ばからモデルとしても有名だったようです)だというのはファンには有名な話です。
もうちょっとこの曲についてネットで調べてみようかと思ったら、出てくるのは日本語の記事ばかり、本国ではWikipediaにも載っていません。いかに日本人がこの曲が好きかよくわかりましたw。
さて、この曲の大きなトピックとしては、バックをサザン・ロックの”アトランタ・リズム・セクション”の面々(バリー・ベイリー(ギター)、ポール・ゴダード(ベース)、ロバート・ニックス(ドラムス)、J・R・コブ(ギター))が演奏していることでしょう。
アトランタ・リズム・セクションの代表曲「So Into You」(1977年 全米7位)
特に「ジョリー」でアコギを弾いているJ.R.コブという人は、アメリカン・ポップス・ファンにはお馴染みのバンド”Classics IV”のメンバーで、代表曲のソングライターの一人でもありました。
60'sポップス定番曲の一つ、「TRACES」1969年全米2位
Classics IVの代表曲「Spooky」(1967年全米3位)
「Spooky」はアトランタ・リズム・セクションでも取り上げています。
いきなりバック・メンバーの話から入ってしまいましたが、この曲の主役、アル・クーパーはボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」でオルガンを弾いたり、有名なアルバムがマイク・ブルームフィールドとスティーヴン・スティルスとの「スーパー・セッション」がだったりと、シンガー・ソングライターというより”プレイヤー””ミュージシャン”という印象が強い人でしたが、1980年代後半から日本では”「ジョリー」の人”という風にイメージが変わりました。
これはいわゆる”渋谷系”のムーヴメントの中で再評価されたんですね。そして、渋谷系の音楽は、J-waveなどの都市型のFMとも親和性が高かったため、この曲もラジオでよく耳にしました。
僕はその頃ちょうどアル・クーパーのカタログをリリースしているレコード会社の洋楽部にいたのでよく覚えていますが、制作担当者が当時のピチカート・ファイヴのメンバー(小西康陽、高浪慶太郎、田島貴男)にそれぞれが好きなアル・クーパーの曲を選曲してもらい一枚にコンパイルしたプロモ盤を作ってFM局などメディアに配ったりしました。そういう動きも加わって、彼の日本での再評価につながっていったわけです。
「ジョリー」の影響は、"渋谷系”の代表バンド、オリジナル・ラヴのデビュー曲のイントロにもよく表れています。
同じく渋谷系のムーヴメントのバンド、コーザ・ノストラはこの曲をカバーしていました。
渋谷系ではありませんが、久保田利伸の「LOVE RAIN〜恋の雨〜」のイントロもちょっと「ジョリー」タッチでした。
この曲はシングルにすらなっていなかったと思っていたのですが、調べてみると一応1972年にアメリカでシングルになっているようです。そして、当時海外でこの曲に反応したのはオランダだったようで、やはりシングルになっています。
”マイアミ・ソウル”の代表的アーティスト、ラティモアが同年のデビュー・アルバムでこの曲をいち早くカバー、これもまた日本のクラブ・シーンでよくかかっていたようです。
最後に「ジョリー」が収録されたアルバム「赤心の歌(Naked Songs)」から僕の好きな曲を。「Where Were You When I Needed You(君はどこへ…)」。これはアル・クーパーが主にソングライターとして活動していた1965年にアーニー・アンドリュースという黒人シンガーのために書いた曲のセルフカバーです。オルガンがまたかっこいいですね。
ラティモアのカバーを収録したアルバム
職業作曲家アル・クーパーとしての代表曲
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