おはようございます。
今日はゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズの「恋のダイアモンド・リング」です。
Who wants to buy
This diamond ring?
She took it off her finger now
It doesn't mean a thing
This diamond ring doesn't shine for me anymore
And this diamond ring doesn't mean what it did before
So if you've got someone whose love is true
Let it shine for you
This stone is genuine
Like love should be
And if your baby's truer than
My baby was to me
This diamond ring can be something beautiful
And this diamond ring can be dreams that are coming true
And then your heart won't have to break like mine did
If there's love behind it
This diamond ring can mean something beautiful
And this diamond ring can be dreams that are coming true
And then your heart won't have to break like mine did
If there's love behind it
This diamond ring doesn't shine for me anymore
And this diamond ring doesn't mean what it did before
So if you've got someone whose love is true
Let it shine for you
This diamond ring doesn't shine for me anymore
And this diamond ring doesn't mean what it did before...
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誰が買いたいっていうんだ
このダイヤの指輪を
彼女が指から外してしまった今じゃ
何の意味もない
このダイヤの指輪はもう僕のためには輝かない
このダイヤの指輪は前のような意味を持たない
だから、もし君を本当に愛してくれる人がいるのなら
君のために輝かせよう
この石は本物さ
愛がそうあるべきなように
だから、もし、君の相手の愛が
僕にとっての君の愛以上に本物なら
このダイヤの指輪は美しいものになる
このダイヤの指輪は叶えられた夢にもなれる
だから、君の心が僕のように壊れることはないだろう
もしそこに愛があれば
このダイヤの指輪は美しいものになる
このダイヤの指輪は叶えられた夢にもなれる
だから、君の心が僕のように壊れることはないだろう
もしそこに愛があれば
このダイヤの指輪はもう僕のためには輝かない
このダイヤの指輪は前のような意味を持たない
だから、もし君を本当に愛してくれる人がいるのなら
君のために輝かせよう
このダイヤの指輪はもう僕のためには輝かない
このダイヤの指輪は前のような意味を持たない...
(拙訳)
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このバンドのリーダー、ゲイリー・ルイスの父親はアメリカを代表するコメディアンのジェリー・ルイスです。
ゲイリーは仲間と”ゲイリー&ザ・プレイボーイズ”を結成し、ディズニーランドのオーディションで合格して、ランド内で演奏していました。
ジェリー・ルイスの映画でも演奏していたビッグ・バンドのリーダー、レス・ブラウンからジェリーの息子がディズニーランドで演奏しているから見に行ってくれと頼まれたのがスナッフ・ギャレット。リバティ・レコードのプロデューサーとして、ボビー・ヴィーなどのいわゆる”リバティ・サウンド”を生み出した人です。
ジェリー・ルイスをとても敬愛していたギャレットは、ディズニーランドにゲイリーたちの演奏を見に行き、ゲイリーとジェリーの関連がわかるように”ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズ”とバンド名を変更するよう指示したそうです。
そしてギャレットは彼らにこの「恋のダイアモンド・リング」を歌うことにさせます。
もともとこの曲は、ギャレットが担当していた人気シンガー、ボビー・ヴィーに歌わせようとしてヴィーが却下したものでした。
もっと遡ると、作者のアル・クーパー、ボビー・ブラス、アーヴィン・レヴィンの3人はドリフターズが歌うことを想定して書いたのですが、ドリフターズから拒否されてしまったのだそうです。
そして、フロリダ出身のR&Bシンガー、サミー・アンブローズが一番最初にレコーディングしています。
ゲイリーたちのレコーディングについては、ゲイリーの母親が費用を工面したという話もあります。そして、レオン・ラッセル(ピアノ)、ハル・ブレイン(ドラムス)など、アメリカ西海岸の超一流ミュージシャン”レッキング・クルー”が参加していますが、ルイスとプレイボーイズの面々も演奏していたとルイスは主張しています。
曲が完成するとギャレットはギャレットは、ラジオDJの、"マレー・ザ・ K "カウフマンに頼んで「This Diamond Ring」をニューヨークで放送してもらいました。マレーはニューヨーク周辺でオールスター・コンサートのシリーズを運営していたそうで、それに彼らが出演するという条件を出したそうです。
そしてまた、ギャレットは、ジェリー・ルイスに頼んで彼の人脈を使って「エド・サリバン・ショー」に彼らを出演させました。
そのおかげで、この曲はいきなり全米1位を獲得、しかも、あのライチャス・ブラザーズの「ふられた気持ち」を押しのけての1位なんですね。
さて、ドリフターズを念頭にこの曲を書いた3人は全員、ゲイリーたちのヴァージョンを気に入らなかったと言われています。
アル・クーパーはもう語っていたそうです。
「僕たちは不快になった。彼らは僕たちのR&Bソングからソウルを取り去って、十代のためのミルクセーキを作ったんだ。まあ、どこの誰がソウルについて語ってるんだ、とかは気にしないでほしい、とにかく、これにはむかついたんだ。僕らはゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズの「恋のダイアモンド・リング」は一度聴いただけで却下したんだ」
(Backstage Passes & Backstabbing Bastards)
まあ、そこまで言うのですから、最後はアル・クーパーご本人のセルフ・カバーを。思いっきりR&Bフィーリングの強いものになっています。