まいにちポップス(My Niche Pops)

令和元年初日から毎日更新中〜1日1ポップス。エピソード、歌詞の和訳、謎解き、マニアックな捜査、勝手な推理、などで紹介していきます

「ビコーズ(Because)」デイヴ・クラーク・ファイヴ(1964)

 おはようございます。

 今日はデイヴ・クラーク・ファイヴの「ビコーズ」です。

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It's right that I should care about you
And try to make you happy when you're blue
It's right, it's right to feel the way I do
Because, because, I love you

It's wrong to say I don't think of you
'cause when you say these things
You know it makes me blue

Give me one kiss and I'll be happy
Just, just to be with you
Give me, give me a chance to be near you
Because, because, I love you

Give me one kiss and I'll be happy
Just, just to be with you
Give me, give me a chance to be near you
Because, because, I love you

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君のことを気にかけるのはあたりまえのことさ
君が落ち込んだ時にハッピーにしてあげることもね
そうさ、そんな風に感じるのは間違いじゃない
だって、だって、君を愛しているから

 

君のことを思っていないなんて言うのは間違いさ
君がこんなことを言ったら
僕はブルーになってしまうからさ

 

一回キスしてくれたなら、僕もう幸せさ
ただ、ただ、君と一緒にいるだけで
どうか、どうか、君のそばにいれるチャンスがほしい
君を愛しているから

 

一回キスしてくれたなら、僕もう幸せさ
ただ、ただ、君と一緒にいるだけで
どうか、どうか、君のそばにいれるチャンスがほしい
君を愛しているから                  (拙訳)

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 彼らはロンドンの北、トッテナムで生まれ育ったドラマーのデイヴ・クラークを中心に結成されたバンドで、1958年に彼とギターのクリス・ウォールズが音楽誌(メロディ・メイカー)にメンバー募集の広告を出しメンバーが集められました。

    当初はスタン・サクソンというボーカリストをメインにしていましたが、さまざまなメンバー・チェンジの後、サクソンとも別れ、バンドは1962年1月に再編成することになります。

 そしてその年にレコード・デビューします。「Chaquita」というエキゾティックなインストナンバーでした。チャンプスの「テキーラ」(1958)をぐっと妖しくクールにした感じですね。

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 その後、メジャー英Columbiaと契約2作目のモータウン・ナンバーのカバー「Do You Love Me」(コントゥアーズ)が全英30位になると、その次のシングル「グラッド・オール・オーバー」が全英1位に輝きます。

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 ビートルズの「抱きしめたい」を蹴落としての1位でしたので、マスコミはこぞって彼らをビートルズの対抗馬として扱い始めました

 ビートルズに代表される”リバプールサウンド”に対抗して彼らは”トッテナムサウンド”と評されたそうですが、アメリカでは違いがわからないので、アメリカのレーベルは”リヴァプールのビートを持ったマージーサウンド”としてビルボードに広告をうっていたそうです。

  その広告の効果があったのかわかりませんが、彼らはアメリカでもブレイクし(全米6位)、ビートルズの3週間後に「エド・サリバン・ショー」にも出演しました。

 

 そんなこともあって、彼らはアメリカでもビートルズのライバルとして扱われ、当時の音楽雑誌はでは”ビートルズVSデイヴ・クラーク・ファイヴ”という見出しが踊り、学校では”あなたはどっち派?”みたいな感じで盛り上がったそうです。

 

 そしてその次のシングル「Bits and Pieces」も全米4位、全英2位のヒットとなります。

 足を踏み鳴らすようなドラム・サウンドとサックスが、トッテナムサウンドの象徴なんでしょうね

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 そして、その次にバンドが用意した曲がこの「ビコーズ」でした。

  レコード会社はノリのいい曲で売れていた彼らがバラードを出すことをためらったようで、イギリスでは「Can't You See That She's Mine(邦題:カッコいい二人)」という曲のB面でリリースされました。しかし、アメリカではなんとかシングルにしてほしいとデイヴが強くアピールしたそうで、「Can't You See That She's Mine」の2ヶ月後にシングル・リリースすると全米3位の大ヒットになったのです。

 

   曲を書いたのはデイヴ・クラークとヴォーカルのマイク・スミス。彼らのヒット曲の多くをこの二人が書いています。

  デイヴはバンドのリーダーであり、マネージャーのように管理面も、音楽ビジネスにおいての戦略にも長けていた人物だと言われています。幼い頃からクラシック・ピアノを学び音楽的な才能に長けていたマイクはそんな彼の音楽的なアイディアを具現化するのにぴったりで、息が合っていたとデイヴは回想しています。

 そして「ビコーズ」は彼らが、自分たちのレパートリーの中で最短、1時間もかからず作った曲だったらしく(「グラッド・オール・オーバー」も1時間くらいで書いたそうです)、

  ”the best songs you write, they don’t take long”

 (最高の楽曲は、作るのに長く時間はかからないものさ)

 と語っています。(引用:Best Classic Band)

 

   この曲がヒットした1964年にはビートルズより早く全米ツアーも行ったそうで、この年を分岐点にして、彼らは本国イギリスよりアメリカで人気のあるグループになっていきました。(シングルのチャートアクションを見ても、本国イギリスよりアメリカの方で全然上でした)

 

 1965年には「Over and Over」が、念願の、そして彼らにとって唯一となる全米NO.1ヒットになりました。

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 その後彼らの人気は徐々にスローダウンしてゆき、1970年に解散してしまいます。

 もともとデイヴはバンドの原盤や著作権を自ら管理するという、当時としてはめずらしい、ビジネスの才を持っていたので、その後も起業家として億万長者になったそうです。

 マイクはバンド解散後、ソロで野心的な成功を狙う気持ちはなかったようで、他のアーティストのプロデュースや作曲、CMやジングルなどを作っていたようです。

 

 最後はこの曲のカバーを。ジュリアン・レノン。かつてのライバル・バンドの息子がカバーしたのだと思うと、また味わい深いものがあります。

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