まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「胸の振り子」雪村いづみ(1974)

 おはようございます。

 今日は雪村いずみの「胸の振り子」です。


胸の振り子

 荒井由実の「12月の雨」が収録されたアルバム「ミスリム」と同じ時期に、同じバックメンバーのティン・パン・アレイ(細野晴臣松任谷正隆林立夫鈴木茂 当時はキャラメル・ママというグループ名)の演奏で作られたのが、彼女のアルバム「スーパー・ジェネレーション」です。

 

 当時67歳の服部良一の名曲を37歳の雪村が20代半ばのティン・パン・アレイのメンバーのバックで歌うという、まさにジェネレーションを超えた企画でした。

 企てたのはユーミンを売り出した村井邦彦。もともと服部良一を敬愛していてたそうです。このアルバムの1曲めのインスト「序曲(香港夜曲)」は自らアレンジを手がけています。

 雪村は村井とも親交が深く、ユーミンの「ひこうき雲」は当初彼女のレパートリーになる予定でステージでとりあげ、レコーディングもされましたがお蔵入りしてしまったという話もあります。

 

 とてもざっくりした言い方になってしまいますが、服部、雪村、ティン・パン・アレイの共通点は、その時代で最も洋楽に近いアプローチをしていた人たちということでしょうか。

 1930〜40年代、戦前から戦後まもなくの日本で、今でいうポップスに最も近い音楽が”スウィング・ジャズ”でした。そのスタイルをいち早く取り入れ、モダンで洗練されつつも大衆にわかりやすい形に仕上げた、日本のポピュラー・ソングのパイオニア服部良一です。

 

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東京ブギウギ

 また、1950〜60年代に美空ひばり江利チエミとともに「三人娘」として絶大な人気を誇ったのが雪村です。江利と彼女は洋楽のカバーが多かったですが、彼女は特に都会的な洗練されたスタイルを持っていました。アメリカでツアーも行っています。

 


雪村いづみ Izumi Yukimura - Blue Canary 青いカナリア(1954) on 78rpm

 アメリカのシンガー、ダイナ・ショアのカバー。1959年にはダイナ・ショアのTV番組にも彼女は出演したそうです。

 

 そして、演奏をつとめたのが、荒井由実のレコーディング・メンバーだったティン・パン・アレイ。その前の世代のミュージシャンじゃ絶対にできないアレンジを聴かせてくれます。

 このアルバムは、当時どんな受け止められ方をしたかはわかりませんが、服部良一雪村いづみのファンの多くは、アレンジに戸惑ったのではないかと僕は想像します。

 曲、歌唱、演奏のどこからも、ウェットな”歌謡性”というのが微塵も感じない、それにまた驚かされます。

 かえって同時代ではなく、服部にも、雪村にも、ティン・パンにも一定の距離間をもった、後のジェネレーションのほうがこの作品を客観的に聴けるのでないか、と。

 ここには、日本人が、洋楽を日本のポップスに取り入れていった歴史がぐっと集約されています。通常、流行歌を作るときの同時代性といったものはおかまいなく、時代を超えてしまっている作品。だから、スーパー・ジェネレーションなのじゃないかと思います。

 「胸の振り子」は霧島昇の1947年のヒット曲です。


胸の振子 霧島昇

 石原裕次郎八代亜紀石川さゆりからEPOアン・サリー井上陽水、今年に入ってダイアモンド☆ユカイまでがカバーしているスタンダードです。

 「スーパー・ジェネレーション」の中で、僕が曲、歌、演奏が一番自然に溶け合っていると感じたのがこの曲でした。

 

 

 

 

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