おはようございます。
今日は星野源の「SUN」です。
今回、ピックアップした「SUN」、そして「恋」「アイディア」と軽快でポップな曲のイメージが強い彼ですが、さかのぼって彼の曲を聴いてみるとと、淡々とした弾き語り調の曲が圧倒的に多いことに気づきます。
くも膜下出血で倒れ手術し、療養をせざるを得なかった時期に、iPodをランダム再生して流れたプリンスの「ウォナ・ビー・ユア・ラヴァー」に深く突き動かされたという彼のエピソードをプリンスの記事で以前ご紹介しました。
彼の軽快なポップ路線は、彼なりにじっくりと考え試行錯誤してたどりついたもののようです。
「SUN」について触れた彼のエッセイがとても興味深いので、抜き出してご紹介します。
「新曲のテーマは1年ほど前から決まっていた。70年代末から80年代初期のダンス・クラシック、モータウン、R&B、ソウル・ミュージックを日本のポップスとして成立させること。ほぼ同じコンセプトの楽曲「桜の森」が完成したのはちょうど1年前。大好きな曲になったが、ただひとつだけ気になることがあるとするなら、ポップスの土俵まではあがれなかったという想いだった。
自分が今作りたい音楽に必要なこと、それはなるべくステイすることだ。楽曲の構成を大幅に変化させたり、わかりやすく盛り上がってはいけない。変化の少ないビートの繰り返しの中で、複数のレイヤーとしてメロディやコード進行が重なってゆき、聴く人の内面から盛り上がっていくように作りたい。それが、自分が多くのソウルミュージックに感じるステイする感覚だった。」
「恋」から入って、彼の音楽をさかのぼって聴くと、単調な曲ばかりに聴こえるとは思いますが、それは彼自身の深いこだわりに裏打ちされた作品群だったわけです。歌詞については、そういう音楽的な手法とマッチするように、直接的だったり、表面的な感情表現は避けられているように思います
そして、彼は続けます。
「一方、日本人の先輩たちが作り上げた世界のどこにもない日本特有のポップス、J-POPは、内面だけではなく、表面的にも盛り上がっていかないとPOPとは認識されにくい。
ステイする感覚を大事にしたい一方、そういった盛り上がる要素、ドラマティックな要素、日本的なサビというものが、私は大好きだ。勇気をもらい、元気をもらい、感動する。ブラックミュージックもJ-POPも両方大好きだからこそ、どちらも適当にしたくないと思った。
その塩梅の調整を頭の中で構築するのに、結果的に約1年かかってしまった。ポップスなのに腰が動く。ダンスクラシックの匂いを感じるのにサビがある。そんな局にしたくて、改めてマイケルや他のソウルアーティストのビート、スネアのタイム感を研究した。」
ブラックミュージックとJ-POPがクロスする音楽というのは、もちろん彼以外もたくさんのアーティスト、ソングライターがやっていますが、多くの場合先人たちがやったスタイルを継承したようなものを作るのが普通です。(達郎、久保田利伸、ドリカムなどがやってきたものをなぞるとか)なのに、彼は自分なりに一年もかけて”一から組み立てた”。だから、誰にも似ていない、かれならではのものが出来上がったわけです。
歌詞も、そのメロディーやサウンドの構造に見合ったものを丁寧に探っていくスタンスの彼はこう書いています。
「歌詞の内容は、難しいものではなく、わかりやすく明るいものがいい。意味がないほど明るい。この世で一番明るいものはなんだろう。
太陽だ。すべてのものに光を与え、命を与え、煌々と輝きながらも、誰もその実態に近づくことはできない。
マイケルみたいだと思った。世界中に元気と希望と音楽を届けていたのにひとりぼっちで、誰もその心に近づくことはできなかった。タイトルは「SUN」になり、歌詞には、マイケルへの個人的な思いを忍ばせた。」
(星野源(いのちの車窓から」)
「SUN」はマイケル・ジャクソンに捧げた曲だったんですね。
”Hey,J. いつもただ一人で 歌い踊り”という歌詞のJはジャクソンの頭文字であり、自由(Jiyuu)の頭文字だと彼は言っています。
そう考えると、Baby~という歌い出しはマイケルの「Love Never Felt So Good」を思い出させます。
キメは、ジャクソン違いのジャクソン・シスターズ(モー娘。LOVEマシーンでも引用されていました)っぽいのもわざとでしょうか。
そして、なにより、イントロのギターのカッティングの後半に「ワナ・ビー・ユア・ラヴァー」っぽいリフが入るところは、前述のエピソードを知る人はぐっとくるんじゃないでしょうか。
YouTubeにアップされているOfficialMVは曲が途中までなので、最後にライヴ映像もぜひご覧になってみてください。
星野源 - SUN(Live at Saitama Super Arena 2017)