まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「流動体について」小沢健二(2017)

  おはようございます。 

  今日は小沢健二の「流動体について」です。


Ozawa Kenji - Ryudoutai Ni Tsuite (Lyric Video)

 

 彼みたいなアーティストは本当にめずらしいなあ、と(今さらながらですが)思います。

  彼がブレイクした当時は、渋谷系、なんて呼び名があって、僕も彼のことをそういうくくりの真ん真ん中にいる人としてとらえていたのですが、今考えるとその中でも特殊な存在だったようにも思えます。

 

 ともかく、彼みたいな 都会的でスマートでおしゃれで小生意気ででも憎めない、そんなキャラのアーティストは日本では滅多にいないですね。もちろん、さかのぼれば加藤和彦さんがいましたし。

    

    じゃあ、何が特殊なんだろうと考えたら、彼はとても才能のある"言葉の使い手"だということ、それが大きいんじゃないでしょうか。自分の心象と情景を印象的に描くことで、彼自身がそういう時代の若者の象徴的存在になっていました。

 

    そういう、都会に現れた新しい世代の有り様を言葉で表現しながら自身がそのアイコン的存在になったのは、例えば石原慎太郎と"太陽族"なんていうのがあったようですが(僕はリアルタイムではないので確信を持って言い切れないですが)音楽の世界ではいなかったように思います。 

 

    彼みたいな人は、日本の経済的な成長や東京という都市の繁栄、日本の商業文化やメディアなどの洗練、そしてなにより日本のポップスの成熟、そういったいくつもの"ピーク"が交差するポイントでなければ生まれなかったようにも思えます。

  (その時代の曲線が一様に下降し、交差せずに乱れていくとともに、彼が活動を止めてしまったことも、いかにも時代の申し子らしい自然なアクションであったと僕は思います)

  

   それから、小沢健二の代表曲と言われるものは、軽快で親しみやすいサウンドとメロディーの曲が多い。これも大変レアなことです。

   「軽く口ずさみやすい、ポップなメロディを書くのは、重く意味深で、かっこいい、マニアックなメロディを書くより、100倍難しい。」

 と語ったのは田島貴男ですが、フリッパーズギター時代を含めても年数的にはさほど長くない期間で、しかも自作自演で、彼がこれほど軽快なポップスを数多く作ったのは、すごいことです。

 しかも、”若い時代のごく限られた時間にだけ与えられる、特別な一瞬”を見つけ出し、それを見事に切り取った言葉が、そのポップな曲にのっかっているわけです。

 

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   これほどまでに目一杯明るい音楽に、これぼど透徹した言葉をのせたソングライターは、彼以外ひとりもいない、と僕は言い切ってしまおうと思います。

 (日本のアーティストの中で一番すごい歌詞を書くと僕が思っているのが彼なんです)

 

 そして、長いブランクのあとの帰還にあたり、最初に出したシングルが、軽快でのりのいい曲であったことがまた素晴らしいと思いました。

 相変わらず親しみやすく飄々と歌っていますが、歌詞は無茶苦茶難解で僕はちゃんと理解できていないですが、、

 

 空港に舞い降りてゆく飛行機、高速から降りて走る車、そういう物理的に動いているものの中で、主人公の視点は動き、パラレルワールドに思いをはせ、イメージは時空を超え、宇宙の中の粒でしかない自分を意識する、そういう展開の仕方をします。

 物質が、肉体が、視点が、意識が、そういったあらゆるものが、障壁をなくし混じり合いながら流動しながら自由に躍動していって、宇宙や神とつながっていく、こう書いていて僕は自分が理解しきれていないことがあらためてわかっちゃいますが(苦笑、なんかもうすごい歌詞です。

 

 こういうのは、いわば、神の視点、なのでしょう。

 そして、これは彼の若いころの歌詞にも確実にあったものでした。

 日常のどこかの場面にいて、目の前の情景を見ている自分の心象を、正直に語るのですが、同時に自分やそのまわりの情景を俯瞰で見ているような感じがするのです。

 それは醒めた客観的な目線ということじゃなく、自分のエゴを躊躇なく取り払ったアプローチということじゃないだろうか、などと想像します

 そして、これは常人じゃとてもできないソングライティングだと僕は思います。

 

 1996年に小沢健二が「笑っていいとも!」に出演した時に、タモリとの会話でこう言ったそうです。

”『笑っていいとも』で“ウキウキウォッチングしてる”ところと、何ていうか、“人生の秘密”とは、“生命の神秘”とか、“永遠”とか、そういうのがピュッとつながるような曲が書きたいんですよね”

 

 

 例えば、自分の感情やエゴだけにこだわって、そこだけを見つめて真実は何かとか生きる意味は何かなどと葛藤してしまうと袋小路に入り込んでしまって、内側からわき出てくる自分自身の毒に自分がやられてしまう、ということがおこります。メロディもサウンドもきっとそれに引きずられてしまいます。

 しかし、彼はそういう視座(神の視点)を持つことで、軽快なポップソングに大変に思索的な歌詞を組みわせるという難行を達成し続けることができているのではないかと思うんです。

 また、そういう曲を作れるのは、才能があってナイーヴでいながらも、楽観的でいい意味での”不遜な自信”を持ち合わせていないと無理だよなあ、とも僕は思います。

 

 最後は、僕が特に好きな「天使たちのシーン」を。ほんと”いやんなっちゃうほど”いい歌詞です。

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「流動体について」を含むアルバム

 

天使たちのシーン」を含むファースト・アルバム

 

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