おはようございます。
今日はドクター・フックの「セクシー・アイズ」です。
I was sitting all alone
watching people getting off
with each other
They were dancing 'cross the floor,
turning movement back and forth
they were lovers
One more lonely night for me,
I looked up what did I see
Sexy eyes, moving 'cross the floor,
couldn't want for more, sexy eyes
Sexy eyes, getting down with you,
I wanna move with you, sexy eyes
I got up and took your hand
and we both began to dance to the music
Ooh your magic cast a spell,
it didn't take long 'til we fell and we knew it
No more lonely nights for me,
this is how its gonna be
Sexy eyes, moving 'cross the floor,
couldn't want for more, sexy eyes
Sexy eyes, getting down with you,
I wanna move with you, sexy eyes
No more lonely nights for me,
this is how its gonna be
Sexy eyes, moving 'cross the floor,
couldn't want for more, sexy eyes
Sexy eyes, getting down with you,
I wanna move with you, sexy eyes
Sexy eyes, getting down with you,
I wanna move with you, sexy eyes
Sexy eyes, getting down with you,
I wanna move with you, sexy eyes
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一人ぼっちで座って
みんながお互いに楽しくやってるのを見ていた、
彼らはフロアを踊りながら
ターンしたり、前後に動いたり
みんな恋人同士なのさ
僕はまた孤独な夜か
顔を上げたら そこで見たものは!
セクシーな瞳の女性、フロアを横切ってくる、
これ以上欲しいものはない、セクシーな瞳
セクシーな瞳の女性、君と一緒に踊りたい、
君と一緒に体を動かしたい、セクシーな瞳
僕は立ち上がって君の手を取り、
音楽に合わせて踊り始めた
ああ、君の魔法が呪文をかけた
すぐに恋に落ちたことに僕らは気づいた
もう孤独な夜なんてない
こんな風になるのさ
セクシーな瞳の女性、フロアを横切ってくる、
これ以上欲しいものはない、セクシーな瞳
セクシーな瞳の女性、君と一緒に踊りたい、
君と一緒に体を動かしたい、セクシーな瞳
(拙訳)
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1970年代に活躍した洋楽アーティストの中でも、たくさんんヒットがあるのに日本で軽視されているトップクラスのグループじゃないでしょうか。僕もずっと軽視してました(苦笑。しかし、今年の夏、突然僕のTikTokのレコメン動画にこの曲を使ったものがじゃんじゃん入ってきて、軽く病みつきになってしまいました。彼らの他の曲もTikTokでよく使われていて、向こうじゃ今でも人気なんだなあと思い知らされたわけです。
さて、ドクター・フックは1967年、ニュージャージー州ユニオンシティで結成されたソフト・ロック/カントリー・ロック・バンドです。アラバマ生まれのカントリー・ロッカー、デニス・ロコリエールがチョコレート・ペーパーズというグループを組んでいたレイ・ソーヤーとコンビを組んだのがスタートです。ソーヤーは交通事故で失明したため眼帯をつけていて、おまけに大きなカウボーイ・ハットをかぶっていました。そこからピーター・パンに登場するフック船長にちなんでドクター・フックというニックネームがつけられたわけです。最初は「ドクター・フック&ザ・メディスン・ショウ(Doctor Hook And The Medicine Show)」というバンド名でしたが、1975年頃からシンプルに「ドクター・フック」だけになりました。
The Medicine Show、薬品の宣伝販売のショーは19世紀のアメリカ中西部では特に有名だったようですね。日本でもガマの油売りとかありましたね。バンドのネーミングからして最初から、ソーヤーのキャラを中心に考えられたバンドだったのかもしれません。
1971年にデビューすると彼らはいきなりヒットを飛ばします。「シルヴィアズ・マザー(Sylvia's Mother)」(全米5位)
次のアルバムからも「憧れのローリング・ストーン(The Cover of Rolling Stone)」(全米6位)という大ヒットが生まれています。
有名な音楽誌”ローリング・ストーン”の表紙になりたいって歌ですね。ソーヤーがメインをやっています。その後、彼らはめでたく表紙を飾っているんです。
さて、この2曲を書いたのが、作家・イラストレーターのシェル・シルヴァスタインなんです。日本でも村上春樹が翻訳した「大きな木(The giving tree)」をはじめ、「ぼくを探しに(The Missing Piece)」など人気がありましたよね。彼の元にデモテープが届いたことから彼らに曲を書くようになったそうです。
3枚目のアルバムまでの曲はほぼ全部が彼の作品、彼のウエイトが少なくなったのは6枚目以降で、当初はしばらくほぼシェル・シルヴァスタインの曲を歌うバンドだったんです。
ステージはコミカルかつクレイジーなものだったようで、それを汲んで(?)か日本ではアルバムに”トンデモ”邦題がつけられることになります。こんな感じ。
Dr. Hook & The Medicine Show 「フック博士の不思議な世界」
Sloppy Seconds 「やたら汚ないセカンド・アルバム」
Bankrupt 「正気の狂人達」
A Little Bit More 「狂人達の恋歌」
それにしても、正気の狂人達って、どういう意味?この邦題を思いついた日本の担当者こそ、正気の狂人じゃないかってツッコミたくもなりますが(苦笑。
まあ、完全に”キワモノ”として売り出されたことで、日本で彼らは音楽的な評価をされないことになったのかもしれないですね。
さて、1970年代半ばから後半、音楽シーン全体はポップに都会的に変わっていきました。イーグルスもドゥービーもみんなそうでしたね。カントリー・ロックをやっていた泥臭いバンドもどんどん都会的にAOR化していったわけです。
ドクター・フックもそれに足並みを揃えました。足並みを揃えるどころか、予想以上(?)に見事に対応したんです。
それが1978年のアルバム「Pleasure & Pain」。邦題も 「悲しみの向う側」なんて、完全に別人になっていました。
そこから、今でも人気の高い2曲の大ヒットが生まれました。
「めぐり逢う夜(Sharing the Night Together)」(全米6位)
「すてきな娘に出会ったら(When You're in Love with a Beautiful Woman)」(全米6位)
そして、そのオシャレ路線をさらに推し進めたのがこの「セクシー・アイズ」だったわけです。
しかしこの路線だと、ボーカルのデニス・ロコリエールにばかりスポットライトが集中することになり、もともとバンドの顔だったレイ・ソーヤーはどんどん後ろに下がることが不満でもあったのでしょう、1983年に彼は脱退してしまいます。残ったバンドでもう2年活動を続けますが結局解散することになりました。
イーグルスやドゥービー・ブラザーズなど1960年代後半から70年代前半に結成され、1970年代後半くらいからポップ路線に切り替えて商業的に大成功したバンドのほとんどが、80年代中に人間関係に亀裂が入って解散してしまいましたが、ドクターフックも例外ではなかったわけです。
デニスとソーヤーはかなり長い間連絡を取り合うこともないまま、ソーヤーは2018年に亡くなっています。バンドのロゴなどのライセンスを持っていたのはデニスでしたが、ソーヤーが1988年から2015年まで「Dr. Hook featuring Ray Sawyer」という名義でツアーすることは許諾していたといいます。ただ、二人で一緒のステージには立つことはなかったんですね。
最後は1975年に全米6位まで上がったサム・クックのカバー「オンリー・シックスティーン」を。デニスとソーヤーのツートップのバンドだったことがよくわかります。