まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲を選曲しました(苦笑)。古今東西のポップ・ソングをエピソード、歌詞の和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。みなさんの音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればうれしいです。みなさんからの情報や思い出話などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「耳をうずめて」キリンジ

 おはようございます。

 今日はキリンジの「耳をうずめて」です。


Mimiwouzumete (2018 Remaster)

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祈りにも似ていた恋人の名前も今は
遠い響きを残して消えたよ
イソシギの護岸に耳をうずめていたのさ
"憂鬱はまさにそう! 凪いだ情熱だ"

鈍色に暮れる冷たい心で何を感じる?
僕は音楽に愛されてる、そう思うのか?

かりそめのなれそめににわかに色めきたつよ
こぬか雨に憑かれた通りが
その胸のたわみに耳をうずめて聴くのさ
邪なふたつの魂の静けさを

鈍色に暮れる冷たい心の目当ては君さ
僕ら音楽に愛されてる、そう思うのか?

人のようなふりをしてる声色

美しい嘘で酒落のめして二人でブギを弾く
僕ら音楽に愛されてる、とりこの街で
かたびらを裂いて白金色した空の底から
僕ら息の根をまさぐるんだ
握る葦と羽毛の轟音
固有の鼻歌

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 1999年に発売された彼らのセカンド・アルバム『47'45''』に収められていた楽曲です。

  1996年に堀込高樹と泰行の兄弟で結成され、1997年5月にインディーズ・デビューしています。以前にこのブログで書きましたが、僕がレコード会社に在籍していた1997年の初め頃彼らのデモ・テープを聴いて、ものすごく良かったことをおぼえています。(テープはあるディレクターに送られて来たもので、興味を持たなかった彼が会社の新人発掘部門にテープを渡し、それから僕が聴いたので、時間は結構経ってしまったため、僕は動いたのですが時すでに遅しでした)。「堀込兄弟」というアーティスト名でモノクロのレトロなアー写が二枚入っていました。曲はインディーズのデビュー作「風を撃て」、あと「野良の虹」が入っていたと記憶しています。

 時期的には、ファッショナブルな渋谷系ブームが終わりかけていてころです。彼らには渋谷系のアーティストの洗練された音楽とも共通項はありながら、もう少しレイドバックしていて、何より”古い”日本語を意図的に駆使したような歌詞が独特でした。

 

 堀込兄弟はそれぞれが曲を書きますが、兄高樹氏のほうが緻密に確信犯的に作り込む傾向が強く、弟泰行氏の方はもう少し感覚的でラフな感じがします。

 この「耳をうずめて」は高樹氏の作品。

 この時期の曲作りについて彼はこう語っています。

橋本治さんの本とか阿久悠さんの詞はわりと勉強するような気持ちで読んだり聴いたりしてたけどね、ちゃんと聴いた日本語の歌って歌謡曲を除けば、シュガーベイブはっぴいえんどくらいだったから」

 

「『恋の花詞集』(橋本治)は、まだ歌詞の書き方ってものがよくわかんなかった頃に、一種のハウ・トゥ本みたいな感じで読んでたんだ。たとえば「早春賦」みたいな古い流行歌が、どういう時代背景や作者の想いを込めて作られたのか・・・みたいなことを紐解いているのね。だからハウ・トゥといっても詞の書き方が直接的に書かれている本じゃないんだけど」

                   (「自棄っぱちオプティミスト」)

 

   1980年代から90年代の日本のポップスを刷り込まれながら育ってしまったソングライターは、無意識にそういった曲の文体を土台にしながら、それを自分流に脚色するようにスタイルを作ることになるわけですが、彼の場合は、そこぬ刷り込みが薄かったため、一から文体を作ったわけですね。

 

 デビュー曲「風を撃て」を書いた泰行氏のほうも、図書館に行って辞書を操ったりしながら時間をかけて歌詞を書いた、と当時を振り返って語っていますから、二人とも流行の日本のポップスの常套句を念入りに避けながら、古い言葉を新鮮に使おうとしていたようです。

 

 ちなみに、今の日本で若い子たちが聴くアニソンやボカロの曲は、古い日本語を過剰なまでに使うのが特徴なので、キリンジはその先駆けじゃないか、などとも一瞬思ったのですが、決定的に違うのは、アニソンやボカロの曲はひたすらリズムと語呂、そして漢字としての”ルックス”を重視して使っているように思えますが、キリンジはその言葉が持つ仄かな情感(センチメンタルなだけじゃなく、いろんな種類の)のようなものにこだわっているような気がして、アプローチがまったく違っているように思います。

 

 この「耳をうずめて」も、作者が意図していることははっきりとわかりません。

 しかし、主人公の内省が、知らないうちに聴き手の内省と共鳴してゆくような感覚があります。

 ハッキリとわかりやすく伝えなくても、聴き手の心に何か共振させることができるというのも、音楽の妙味だなあなどと思ったりします。

 

 そして、

  ”僕は音楽に愛されてる、そう思うのか?”

   というフレーズがやはり肝でしょう。そんな、投げかけをした歌詞は長い日本のポップスの歴史にはなかったでしょう。

 不遜のようでいて、でも音楽の偉大さと自分の小ささを大前提にしていないと出てこない言葉でもあります。

 そして使い方によって、いくらでも誤解されそうなものでもあります。安っぽくなりかねません。

 そこを、主人公が鬱で冷ややかな気持ちで、自問するという設定にしたことで、このフレーズが、冗談でも苦悩でもどちらでもない存在感を得ています。心に残ります。

 

 僕はアーティストじゃありませんが、30年以上音楽業界の片隅で生きて来ているので、このフレーズが突然浮かんでくることがあります。

 まあ、音楽に愛されるってことはないでしょうが、音楽の神様に怒られそうな行いはしないでおこう、というのはこの道に進んだ時からずっと思っていることではあります(苦笑。

 


耳をうずめて  キリンジ

 

 

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