おはようございます。
今日は伊藤銀次の「風になれるなら」です。
シンガー・ソングライター、ギタリストであり、ウルフルズなどののプロデュースも手掛けていますが、大瀧詠一、山下達郎、佐野元春、という超大物たちを引き合わせてアシストしたという日本ポップス史の隠れたキーパーソンでもあります。(シュガーベイブの「ダウンタウン」の作詞家でもありますが、”ダウンタウンにくりだそう”のサビはメロディーも彼が書いたものだったそうです)
ただし、彼の曲で一番有名なのは、TV「笑っていいとも」のテーマ「ウキウキWATCHING」かもしれません。
彼のようにポップスの造詣の深さで定評のあるアーティストの一番有名な曲が企画ものっぽいものになるということはなぜかあって、ピチカートファイヴの小西康陽の一番有名な曲は「慎吾ママのおはロック」だと本人自ら言ってますし、杉真理の場合でしたら「ウィスキー、がお好きでしょ」になるという風に
ポップスのルーツをさかのぼっていくと、CMソングやノベルティ・ソング(コミック・ソング)とつながっていくので、そういう現象おかしなことではないかもしれないですし、なにより”音楽の引き出し”が多くなければそういう曲は書けない、でしょう。
さて、この「風になれるなら」は彼のファースト・アルバム「DEADLY DRIVE」のオープニングを飾っていて、シングルにもなっています。
このブログで紹介している曲は、わりとすぐできたいうものがけっこうありますが、この曲もそうらしいです。
そして、風になれるなら、という歌詞が浮かんだ時に「風」を大貫妙子のコーラスで表現したいとすぐに思ったそうです。
「”風になれるなら”は、鼻歌みたいに軽くポップスを作ってみようと思ってできた”幸せにさよなら”の流れにある曲。自分の中に堆積していたポップスの成分が”風になれるなら”の一部に出てます。それと同時にボズ・スキャッグスとか、当時のいわゆるアオエイントと呼ばれるサウンドに反応したところもある。この曲に参加してくれた大貫妙子さんのコーラスは、本当に風のようですね。素晴らしい」
(「伊藤銀次自伝 MY LIFE , POP LIFE」)
”幸せにさよなら”
「これは、その当時、流行っていたボズ・スキャッグスの「ロウダウン」にインスパイアされて作った曲です。ある日友達と話している時に、ふっと”風になれたらいいな”って頭に浮かんでね。それで作ったんです」
(ミュージック・ステディ 1983年8月)
ボズ・スキャッグスの「ロウダウン」
歌詞はシンプルですが、その歌詞のニュアンスをバンドとコーラスとストリングス(坂本龍一)が表現している、言葉とサウンドの「一体感」が素晴らしくて、何度聴いても飽きないですね。
1970年代後半は日本のポップスの成長期で、演奏のクオリティもどんどん洗練されていった時期です(80年代に入ると打ち込みへと移行していってしまいますが)。
フュージョンとは縁のなさそうな彼もこの時期はボブ・ジェームスやクルセイダーズやマイケル・フランクスなどを聴いていたと言いますから、AOR〜フュージョンのブームは、当時の日本の音楽シーンに大きく影響を与え、その結果としてCITYPOPが生まれていったのでしょう。