おはようございます。
今日は僕が子供の頃いちばんよく耳にしたインスト曲かも知れません。ポール・モーリアの「恋はみずいろ」です。
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この曲はもともとは"歌もの"でした。作曲したのはアンドレ・ポップ、作詞はピエール・クール。二人ともフランスの人です。そして、最初に歌ったのがヴィッキー・レアンドロスというシンガー(日本では”ヴィッキー”とクレジットされていました)。彼女がユーロビジョン・ソング・コンテスト(現在まで60年以上続くヨーロッパ最大の音楽祭。優勝者にはアバやセリーヌ・ディオンがいます)で歌い4位入賞を果たしています。彼女はルクセンブルク代表でした。
ポール・モーリアはフランス、マルセイユに生まれ、ピアニスト、アレンジャーとして活動し、フランスの国民的歌手シャルル・アズナブールのレパートリーを実に135曲もアレンジしていたそうです。
自身のオーケストラを率いてのリリースはだいたい1960年頃からで、1965年にポール・モーリア・グランド・オーケストラとしてメジャー・レーベルのフィリップスと契約したことで知名度が上がっていきます。そして、1968年に発売されたこの「恋はみずいろ」が全米5週連続1位、年間チャート2位という大成功をおさめるわけです。
オリジナルの後にポール・モーリアのヴァージョンを聴き直してみると、やっぱりアレンジが見事です。歌ものをインストにすると、大抵の場合は”薄まって”聞こえてくるように僕は思うんですけど、この曲の場合インストの方が耳に入ってきますよね。
彼のアレンジの手腕がわかりやすく発揮された例として、日本では「恋はみずいろ」以上に有名なポール・モーリアの曲である「オリーブの首飾り」があります。”手品の曲”という座をつかんだことで、日本国民のみんなが知ってる曲になっちゃいましたね
「オリーブの首飾り(El Bimbo)」(1975)
最初にこの曲を使った奇術師は松旭斎すみえさんだったそうです(そうでした!子供の頃の記憶が蘇りました)。
この曲の原曲はフランスのBimbo Jetというグループの「EL BIMBO」という曲です。
ちなみにアフガニスタンのシンガー、アーマット・ザヒルがオリジナルだという説もあるそうです。
オリジナルのアレンジの耳に残るようなフレーズは残し、イージーリスニングとして一番心地よいテンポに設定し、主旋律に”チェンバロ”を使うことで、耳触りはすごくいいのにちゃんと耳に残るんですよね。
こちらも日本での大人気曲「エーゲ海の真珠」(1971)
オリジナルはスペイン、バルセロナ出身のシンガー、ジョアン・マヌエル・セラット。
情熱的な歌声で、好きになる人はハマっちゃうタイプだとも思いますが、少なくとも日本人の多くはポール・モーリアの方がちょうどよかったんでしょうね。
それから僕が感心してしまうのは邦題です。日本でのポール・モーリアの人気を支えた陰の功労者じゃないでしょうか、日本の担当ディレクターさん。例えば「Love Is Blue」。直訳すれば、愛は青、愛はブルー。ただし、歌詞の中の”青”は空の色のようなすっきりした青ということで、悲しい気持ちのブルーとは違うんですね。そこで、みずいろ、ときたわけです。しかも水色じゃなくみずいろ、としたあたりのセンスはすごい。
ただ、これは時系列的に言えば、オリジナルの”ヴィッキー”さんの担当がつけたと思われますが。
ポール・モーリアのディレクターの素晴らしい貢献は、先ほどあげた2曲でもはっきりわかります。
「エーゲ海の真珠」の原題は”Penelope”、ペネロペ、女性の名前です。ペネロペ・クルスがそうですね。エーゲ海も真珠も歌詞には出てきません。日曜の朝の駅で主人公がペネロペと別れて旅立とうとする歌です。音楽を聴きながら担当者の頭にがエーゲ海が浮かんできたのでしょうか、、。
「オリーブの首飾り」の原曲「El Bimbo」はセクシーな若いお姉ちゃん、という意味合いらしく、ビンボー・ジェットのオリジナルには「嘆きのビンボー」という邦題がつけられていました。それを「オリーヴの首飾り」とは、いったいなぜ?
ただ、僕もレコード会社の洋楽ディレクター経験者なので(苦笑)、推測だけはできます。
「エーゲ海の真珠」の成功にあやかる、つまり二匹目のドジョウを狙ったんじゃないでしょうか。
エーゲ海はオリーヴが有名ですし、真珠といえば首飾りです。間違いないんじゃないでしょうか(笑。
ということは「エーゲ海の真珠」を思いついたことがすごい、ということになりますよね。
細かいところをついつい突いてしまいましたが、もし「ペネロペ」や「ビンボー」といったタイトルだったら、けっこう状況は変わっていたでしょう。きっと。
最後は、「恋はみずいろ」のカバーをいくつか。日本の歌手も数多く取り上げています。その中からあべ静江のヴァージョンを。歌詞は漣 健児(さざなみ けんじ 本名:草野 昌一)。 元『ミュージック・ライフ』編集長、シンコーミュージック・エンタテイメント会長。日本のポップスの道を切り開いたまさにパイオニアですね。
あべ静江のヒット曲「みずいろの手紙」(1973)が収録されたアルバム「みずいろの手紙/コーヒーショップで」に収録されていました。”「みずいろ」つながり”ですね。
ガラッと変わって最後はジェフ・ベックのヴァージョンを。1968年にシングルでリリースされ全英チャートで23位まで上がっています(2006年にはアルバム「Truth」のボーナストラックとして初めてCD化されました。)