まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。(現在は不定期で更新中)古今東西のポップ・ソングのエピソード、和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ(NIche)”なものになってしまったのかもしれませんが、みなさんの毎日の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればうれしいです。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出なども絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「スリープ・ウォーク(Sleep Walk)」サント・アンド・ジョニー(SANTO & JOHNNY) (1959)

 おはようございます。

 今日はちょうど65年前の8月にリリースされた大ヒット・インスト・ナンバー、サント・アンド・ジョニーの「スリープ・ウォーク」です。

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 成功を望まなかった兄と望んだ弟が生み出したインストのスタンダード曲

 

 サント・アンド・ジョニーは、スティール・ギター担当の兄サント・ファリーナとリズム・ギター担当の4歳下の弟ジョニー・ファリーナによるニューヨーク、ブルックリン出身のデュオです。

 ニューヨーク、ブルックリンで生まれ育ってスティール・ギターを演るというのがポイントですよね。ハワイアンでもないし、カントリーでもない。ちょうどこの頃アメリカ西海岸で生まれ始めたギター・インストのサーフ・ロックでもない。リズムはR&Bっぽさがあります。

 彼らはイタリア系アメリカ人ですが、当時彼らの住んでいるエリアで若者に人気だったのは黒人コーラスの”ドゥーワップ”でした。

 彼らと同年代(1939年生まれ)でブロンクス出身のイタリア系アメリカン人、ディオンなんてまさにそういう若者の代表ですね。

 

ディオン&ザ・ベルモンツ「恋のティーンエイジャー」(1959)

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  そういうコミュニティでスティール・ギターを演奏する彼らはまさに”異端児”だったのでしょう。

 彼らがスティール・ギターを演奏することきかけとなったのが、彼らの父親のトニー。彼が軍に召集されオクラホマに駐留していたときにラジオで聴いたスチールギターの曲に魅了され、奥さんに手紙で「息子たちにこの楽器を学ばせたい」と書いたのだそうです。そして戦争から帰還後、スチールギターの先生を探したと言います。 

 

 楽器をある程度マスターすると、彼らはバンドを結成し、教会のダンスパーティー、結婚式、クラブなどで演奏しました。ファリーナ兄弟はブルックリンからロングアイランドまでファンを増やしていきました。

 地元での人気が高まるにつれて、彼らはデモテープを録音しジョニーがニューヨークのレコード会社や音楽出版社に売り込みに回ります。彼らはまず音楽出版社と作曲家契約を結び、その後にカナディアン・アメリカン・レコードとアーティスト契約を結びます。

 そして、1959年に彼らが最初にリリースしたのがこの「スリープ・ウォーク」。その独特なサウンドで話題になり見事全米NO.1を獲得、当時の人気音楽番組のも全部出演するなど一躍人気者になります。

 

 この「スリープ・ウォーク」誕生にも、彼らの父親が大きく貢献していました。

 ジョニーはこう回想しています。

 「僕たちの父、トニー・ファリーナがある日仕事から帰ってきて、僕とサントが練習しているときに「この前やったあの曲を弾いてみろ」と言ってきた。でも僕たちはその曲を覚えていなかったんだ。すると彼は言ったんだ「お前たちはいい曲を書いているのに、それを失くしちまってるんだな」って。それで彼はウェブコアのテープレコーダーを買ってくれて、「演奏したものは全部録音しなさい」と言った。僕たちはメロディーを作り始め、できるところまでやって、また別のメロディーに取り掛かり、1日か2日後に最初のメロディーに戻った。「スリープ・ウォーク」では、まずハーモニーを録音し、その後戻って何かメロディーを乗せて、また聴き直して、メロディーを変え続けたよ、魔法が生まれるまでね」

     (ROUND HILL MUSIC   04/08/2019)

 ちなみに、兄弟はライヴ後眠れなかったときにセッションしながらこの曲の雛形を作ったという話もあります。だから、「スリープ・ウォーク」と名付けられたんですね。また曲の作者に兄弟以外にアン・ファリーナという名前がありますが、サントの当時の奥さんのようです。

 

 彼らのレコード会社はすかさずリリースの2ヶ月後に、歌詞をつけたヴォーカル・ヴァージョンもリリースしています。歌っていたのはベッツィ・ブライという女性シンガーでした。

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Sleep walk
Instead of dreaming
I sleep walk
'Cause I lost you
And now what am I to do
Can't believe that we're through

Sleep talk
'Cause I miss you
I sleep talk
While the memory of you
Lingers like a song
Darling, I was so wrong

The night
Fills my lonely place
I see your face
Spinning through my brain

I know
I want you so
I still love you
And it drives me insane

Sleep walk
Every night
I just sleep walk
Please come back
And when you
Walk inside the door
I will sleep walk no more

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夢中歩行
夢を見る代わりに
あなたを失ってしまったから
今、私はどうすればいいの
私たちが終わったなんて信じられない


寝言を言う
だってあなたが恋しいから
寝言を言うの
あなたの記憶が
歌のように残っている間
ダーリン、私は本当に間違っていたわ

夜が
私の孤独な部屋を満たす
あなたの顔が
頭の中をぐるぐる回るの

私はわかっている
あなたがとってもほしいことを
今も愛している
それが私を狂わせる


夢中歩行するの 毎晩
ただ夢中歩行するの
どうか戻ってきて
そしてあなたが
そのドアから入ってきたら
もう夢中歩行はしない

                   (拙訳)

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 この歌ヴァージョンは、1965年にダイアナ・ロス率いるシュープリームスもカバーしていますが、お蔵入りになって1986年にようやくリリースされています。

 

 でも、やはりこの曲はギター・インストの鉄板曲。数多くのギタリストに大きな影響を与えたと言われています。

  例えばフリートウッド・マックの「アルバトロス」やビートルズの「フリー・アズ・ア・バード」この曲の影響で作られたそうです。また”Mr.・ギター”チェット・アトキンスや、英米のギター・インストのトップ・バンド、ベンチャーズ、シャドウズもカバーしています。

 

 あと"ギターの神様”ジェフ・ベックもやっています。

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 数あるカバーの中で最も人気があり、かつジョニー・ファリーナが最高のカバーだと称したのがラリー・カールトンです。

 彼はこう語っています。

 

「『Sleep Walk』は僕の人生に二度影響を与えたんだ」とラリー・カールトンは語っています。セッション・ミュージシャンのレジェンドである彼は、80年代に自ら非常に人気のあるバージョンを録音し、この曲と強く関係することになります。

「最初の影響は、12歳のときに地元のダンスパーティーに通っていた頃さ。あの曲はガールフレンドとゆっくり踊れる曲だった」と彼は笑う。「1960年には、ギターを弾き始めて約4年が経っていて、ラジオを聴きながら『Sleep Walk』を耳コピして、それから10代の頃はずっとクラブサーキットで演奏し続けたんだ」

                  (guitar.com  December 02, 2021 )

 

 1982年リリースのアルバムのタイトル曲にもなっています(邦題は「夢飛行」)。

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 サント・アンド・ジョニーの歩みを追っていて最も興味深いのは、彼らは1976年ごろに解散し、以来サントは音楽業界から消え、ジョニーだけがソロで活動をしているということです(もともとはサントがスティール・ギターを弾いていたのですが、以降、ジョニーが弾くことになりました)。

 イギリスの雑誌「The Gurdian」のインタビューでジョニーはこう語っています。

 「『Sleep Walk』を作った時、僕は16歳でした。彼は僕より4歳年上なんだけど、週末にクラブで演奏するより先に進む気はなかったんだ。僕はこのサウンドに特別なものがあると伝えて、みんなが好きになると彼に話したんだけど、彼はそういうことを追い求めたくないと言ったんだ。でも1年半もかけて、僕は動き回りようやく誰かがその曲を聴きたがるようになったんだ。」

 彼らのバイオグラフィー読むと曲の売り込みをしたのがジョニーだと書いてあったんですが、サントはプロになる気はなかったんですね。

 「サントがなぜ引退したいのかは分からなかった。引退するのはおかしいと言ったんだけど、彼はやりたくなかったんだ。僕は続けたよ」

 

 デック・デッカーソンというミュージシャンが自身のHPで2022年3月にサント・ファリーナに会ったという記事をアップしているのですが、彼によると引退以来彼は家の中以外で演奏したことはなく、解散後は現在に至るまで弟と一度も口を聞いていないと語っていたそうです。

 莫大な成功と引き換えに、兄弟の絆を失うことになってしまったんですね。そんなことを考えながらこの曲を聴くと、また違った風に聴こえてしまいますが、、。

 

夢飛行

夢飛行

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