おはようございます。
今日はビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」です。
I'm dreaming of a white Christmas
Just like the ones I used to know
Where the treetops glisten and children listen
To hear sleigh bells in the snow
I'm dreaming of a white Christmas
With every Christmas card I write
"May your days be merry and bright
And may all your Christmases be white"
I'm dreaming of a white Christmas
Just like the ones I used to know
Where the treetops glisten and children listen
To hear sleigh bеlls in the snow
I'm dreaming of a white Christmas
With еvery Christmas card I write
"May your days be merry and bright
And may all your Christmases be white"
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僕は夢見ている ホワイトクリスマスを
ちょうど昔知っていたような
ツリーのてっぺんが輝き、子供たちは耳をすませる
雪の中を行く そりの鈴の音を聞くために
僕は夢見ている ホワイトクリスマスを
クリスマスカードには全部こう書きながら
「あなたが過ごす日が楽しく明るくありますように
そして、クリスマスが雪で真っ白になりますように」
僕は夢見ている ホワイトクリスマスを
ちょうど昔知っていたような
ツリーのてっぺんが輝き、子供たちは耳をすませる
雪の中を行く そりの鈴の音を聞くために
僕は夢見ている ホワイトクリスマスを
クリスマスカードには全部こう書きながら
「あなたが過ごす日が楽しく明るくありますように
そして、クリスマスが雪で真っ白になりますように」
(拙訳)
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ビング・クロスビーはどうやら大した曲だと思っていなかったらしい、、
数多あるクリスマス・ソングの中で最もポピュラーで、シングル盤として史上最も売れたという説もあるのがこの「ホワイト・クリスマス」です。
いま世の中に広く流れているものや、ブログの最初に載せたアニメーション動画の音源も1947年に再レコーディングされたヴァージョンで、オリジナルは1942年に発売されています。
Steven Lewisという人が作った「The Bing Crosby Internet Museum 」というサイトにはこう書かれています。
「『ホワイト・クリスマス』は1942年にビング・クロスビーとフレッド・アステア主演の映画「スイング・ホテル(原題:Holiday Inn)」のために、ユダヤ人であるアーヴィング・バーリンが書いたものである。バーリンの任務は、1年の主要な祝日についてそれぞれ1曲ずつ書くことだった。彼は、クリスマスについての曲を書くのが最も難題だと気づいた。1941年にバーリンの「ホワイト・クリスマス」を初めて聴かされたビングは、アーヴィングに成功しそうだと言って彼を安心させた。しかし、ビングの最初の評価はひどく控えめなものだったとのちに証明された」
ビングのこの曲についてなんと言ったかについては、「The Bing Crosby Internet Museum 」では”an amusing little number"(面白い小品)とあり、「タイム」誌では“I don’t think we have any problems with that one, Irving.”(この曲に関しては、何の問題もないと思うよ、アーヴィング)と言ったと記載されています。
まあ、どちらにしろ”薄いリアクション”だったことに間違いはないようです。
同じ様に映画のために書かれた大名曲「虹の彼方に」と「ムーン・リバー」はともに映画会社のおえらいさんから酷評され、危うく映画から外されるところだったというエピソードがありますが、「ホワイト・クリスマス」のほうは歌手が全然乗り気じゃなかった曲だったんですね。
しかし、曲を作ったアーヴィング・バーリンにとっては最高傑作さという手応えがあったようです。
「1940年1月8日、バーリンは音楽秘書のヘルミー・クレサに「ホワイト・クリスマス」の48小節(後に32小節に縮小)を渡し熱をこめて宣言した、「週末に僕が書いた曲を書き留めて(譜面にして)おいてほしい。僕が書いた中で最高の曲というだけでなく、今まで書かれたすべての曲の中で最高なんだ 」
(The Christian Science Monitor December 19, 2002)
バーリンは正式な音楽教育を受けたことはなく、楽譜の読み書きは出来ず、ピアノはF#のキーでしか弾けなかったそうです。
それにもかかわらず、作曲において転調して元のキーに戻したりするようなことも自由自在にでき、『アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド』『ゴッド・ブレス・アメリカ』など数々のスタンダードを残しています。
さて、映画「スイング・ホテル」でこの曲はこういうシーンで歌われています。
「『ホワイト・クリスマス 』は、平和と「かつて知っていた人々」を恋しく思う気持ちを歌ったもので、第二次世界大戦の最も暗い時代に、戦争で引き裂かれた大衆に向けて発表されたのである」
「ダニー・ケイと一緒にビングが慰問に訪れ、軍隊のために歌うときはいつも『ホワイト・クリスマス』をリクエストされ、たくさんの兵士が目に涙を浮かべたものだった。明らかに、この歌は、戦争によって、バーリンやクロスビーが予想していなかったような影響を与えられていた。」(「The Bing Crosby Internet Museum 」)
この曲は発売後、瞬く間に大ヒットしたわけですが、それを後押ししたのは平和でおだやかなクリスマスではなく”戦争”だったんですね。戦争によって離れ離れになった人々や故郷を恋い焦がれる兵士の気持ちとこの歌が重なるという、歌の作者もシンガーも意図しなかった新たな”意味”がこの曲に加えられたんですね。
ちなみに、この曲についての本を書いているジョディ・ローゼンによると、1975年4月にこの曲はベトナム戦争でも流されたそうです。
「陸軍はサイゴンからの避難を指示する秘密の信号として『ホワイト・クリスマス』を使いました」とローゼンは言う。「軍隊のラジオで何回も続けて流されました。この曲の面白いところはは、第二次世界大戦中はアメリカ兵たちのホームシックの歌だったのが、1975年には皮肉なことに、ベトナムにいるアメリカ軍にとって「家に帰ろう、ここから抜け出そう」という歌になったということだ」( NPR December 25, 2000)
本当に優れたポップ・ソング、音楽史に残るような大ヒット曲というものは作り手の意図から遠く離れて、大衆がそれぞれ個人的な思いを存分に載せられるものだと僕は思っているのですが、この曲はまさにそうですね。
それから、この「ホワイト・クリスマス」には冒頭に導入部があったんです。こういう歌詞で、大抵の場合カットされてしまっています。
The sun is shining, the grass is green,
The orange and palm trees sway.
There's never been such a day
in Beverly Hills, L.A.
But it's December the twenty-fourth,—
And I am longing to be up North
”太陽は輝いて、草は青く
オレンジとヤシの木が揺れている
ロサンゼルスのビバリーヒルズで
こんな日はなかった
だけど、今日は12月24日
遠い北の地にいれたらいいのにな”
なぜ、この曲の主人公がホワイト・クリスマス(雪のクリスマス)を夢見ているかというと、雪の降らないカリフォルニアにいたからだったんですね。
それでは、最後にこの導入部もちゃんと歌っているカバーを。歌詞からすれば当然なんですが、LA録音のものなんですね。
まずは、カーペンターズ、1978年のアルバム「クリスマス・ポートレイト」にメドレーで収録されていました。
もう1曲は名盤「クリスマス・ギフト・フォー・ユー・フロム・フィル・スペクター」の冒頭を飾っていたダーレン・ラヴのヴァージョン。こちらは冒頭じゃなく、間奏部に入っています。
こちらがこの曲が最初に使われた映画「スイング・ホテル」
そして、その12年後にこの曲をテーマに使われ、ビング・クロスビーが主演したのがこの映画