まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「Please Don't Go Girl」ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック(1988)

 おはようございます。

 今日はニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック「Please Don't Go Girl」です。

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Please, don’t go, girl
You would ruin my whole world
Tell me you’ll stay
Never ever go away


I love you
I guess I always will
Girl, you’re my best friend
Girl, you’re my love within
I just want you to know that I will always love you
Ooh, baby, ooh
Tell me you’ll stay
Never ever go away


I need you
I guess I always will
Girl, you’re my best friend
Girl, you’re my love within
I just want you to know that I will always love you
Ooh, baby
I’m gonna always love you, girl


I’m gonna love you, girl
Until the end of time
Tell me girl (Tell me, girl)
You’re gonna always be mine


Please don’t go, girl
You would ruin my whole world
Tell me you’ll stay
Never, ever go away


I love you
I guess I always will
Girl, you’re my best friend
Girl, you’re my love within
I just want you to know that I will always love you
Ooh, baby
Please don’t go, girl 、、、

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お願い、行かないで、ガール
僕の世界を君は全部壊そうとしているんだ
ここにいると言って
絶対に行ったりしないで


愛している
いつだって、ずっと
ガール、君は僕の親友
ガール、君は心の愛
いつまでも愛していることを知ってほしいんだ
ああ、ベイビー
ここにいると言って
絶対に行ったりしないで


君が必要さ
いつだって、ずっと
ガール、君は僕の親友
ガール、君は心の愛
いつまでも愛していることを知ってほしいんだ
ああ、ベイビー
いつまでも君を愛しているよ、ガール


僕は君を愛するよ、ガール
最後の最後まで
僕に言って、ガール
君はいつも僕のものだと


お願い、行かないで、ガール
じゃなきゃ、僕の世界は全部壊れてしまうよ
ここにいると言って
絶対に行ったりしないで


愛している
いつだって、ずっと
ガール、君は僕の親友
ガール、君は心の愛
いつまでも愛していることを知ってほしいんだ
ああ、ベイビー
いつまでも君を愛しているよ、ガール
                   (拙訳)

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 ニュー・エディションを見出し、曲を書きプロデュースし、自分のレーベルで大ヒットまでさせたのがモーリス・スターです。

 しかし、成功直後にメジャー・レーベルに彼らを奪われてしまいました。そして、その”リベンジ”として、手がけたのがニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックでした。

 

 モーリス・スターというのは芸名で、本名はラリー・カーティス・ジョンソンといいます。フロリダ州の出身でしたが、ボストンに移り住みそこで音楽活動をスタートさせます。

 彼は、まずアーティストとしてデビューしています。兄弟でジョンソン・ブラザーズというグループを組みますがうまくいかず、”モーリス・スター”と言う芸名でソロでも活動をします。

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 キャッチーなファンクをやっていて内容は決して悪くなかったと思いますが、セールスが伴わなかったために、彼は他のアーティストに曲を書きプロデュースしようと思ったようです。

 そして手がけたのがニュー・エディションだったわけですが、成功したばかりの1983年にメジャーに持っていかれてしまいます。

 1984年に彼は再びボーイズ・グループを作ろうと考えます。しかし、ただの第2のニュー・エディションにしようと考えたわけではありません。ニューエディションの成功体験から、彼はこう思ったのです。これが白人のグループだったらその何十倍の規模で成功するはず、だと。

 

 モーリスはボストンのタレントエージェント、メアリー・アルフォードに依頼し、都心部で白人のブレイクダンサーやラッパー、シンガーを探してもらいます。多くのキッズたちから名前が挙がったのがドニー・ウォールバーグでした。

 さっそくモーリスはオーディションし、ラップを披露したドニーを認め、最初のメンバーとしました。

 そしてドニーが知り合いに声をかける形でメンバーが集めていったそうで、その中にはドニーの弟で今は大人気俳優である、マーク・ウォールバーグもいたそうですが、レッスンが厳しく彼もまだ幼かったためにすぐに抜けてしまったようです。

 

 結局、ダニー・ウッド、ジョーダンとジョナサンのナイト兄弟が加わりましたが、メアリーは、グループのメインはマイケル・ジャクソン・タイプのハイトーン・ヴォーカルが欲しいと考え、引き入れたのが当時まだ12歳だったジョー・マッキンタイアでした。

 当初グループは”ナヌーク(Nynuk)”という名前で活動していましたが、メジャーとの契約を機にドニーとマークが書いた曲名だった”ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック”に変更します。

 

 デビュー曲は「Be My Girl」という曲でした(1986)。

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  残念ながらこの曲はヒットせず、次のシングル「STOP IT GIRL」もチャートインすらできませんでした。

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 ニューエディションのデビュー・ヒット「キャンディ・ガール」はもろ、ジャクソン5の「ABC」でしたが、こちらは「帰ってほしいの(I Want You Back)を彷彿させますね。しかし、こちらもチャートインすらしませんでした。

 そして、1988年リリースのセカンド・アルバム「NEW KIDS, ストリート・タフ宣言(Hangin' Tough)」からのファースト・シングルがこの「Please Don't Go Girl」。奇しくもアルバムをまたいで「Girl」三部作になっているんですね。

 この曲のひな型とも言える曲がニュー・エディションにあります。「Is This The End」。ジャクソン5の「アイル・ビー・ゼア」をなぞっていますね。

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 しかし、モーリスは「Please Don't Go Girl」では、ただジャクソン5をなぞるだけじゃなく、そこに当時の流行のR&Bサウンドを融合させています。

 それがマーヴィン・ゲイが「セクシャル・ヒーリング」で作り上げた、ミディアム・テンポの打ち込みサウンド。当時の男性R&Bシンガーのほとんどがやっていました。

 そして、1986年には、そのスタイルで全米1位が生まれています。グレゴリー・エイボットの「シェイク・ユー・ダウン」。

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 「Please Don't Go Girl」はいわば、”セクシャル・ヒーリング調のアイル・ビー・ゼア”なんじゃないかと僕は思っています。強引ですが(苦笑。

 この曲はあるラジオ局から火がつき、また、ニューキッズ自身もティファニーの前座で知名度をあげていったことがプラスして一気にブレイク、全米10位のヒットになっています。

 

 アメリカで売れ始めたばかりのこのタイミングで、実は彼らはプロモーション来日しています。

 僕はその当時レコード会社のセールスマン2年目で、その営業部の朝礼に彼らが挨拶に来ることになったことをおぼえています。

 上司からなんかやって盛りあげろ、と”むちゃぶり”された僕は、他の若手社員に呼びかけてグループを作ってこの「Please Don't Go Girl」を、ご本人たちの前で歌いました。ちょうど、ハイトーンで歌の上手いやつがいたのでメイン・ヴォーカルは任せて、僕はBメロ、ジョーダン・ナイトのパートを歌いました。僕がちょっとふざけて考えた振り付けをメンバーがすごい笑ってくれたのをよくおぼえています。彼らみんなまだ子供でしたから笑いのハードルが低かったんでしょうけど(苦笑。

 

 話が脱線しましたが、その次のシングル「You Got It (The Right Stuff)」は全米チャート3位、続く「I'll Be Loving You (Forever)」「Hangin' Tough」は全米1位と、彼らはとんでもない成功を収め、アルバムは800万枚を売り上げ社会現象にまでなりました。

 

 そして、グループの主役はジョーダン・ナイトになり、次にバッド・ボーイっぽいドニー、という見え方になっていったように思います。

 

 そう考えると、ニュー・エディションのラルフ・トレスヴァントといい、ニュー・キッズのジョー・マッキンタイアといい、グループで”マイケル・ジャクソン”的ポジションに置かれた人物は、意外とハジけない(失礼!)、という法則がありそうです。

 仕組んだ人間の狙い通りにいかないのが、エンターテイメント・ビジネスの面白いところなんでしょうけれど。

 

 日本ではなかなか火がつかなかった彼らブレイクしたのがこの曲でした。1990年の「ステップ・バイ・ステップ」。

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 1994年に彼らは解散しますが、2008年に復活、昨日このブログでも紹介しました「アメリカン・ミュージック・アワード」でのニュー・エディションとの共演はいろんな意味で感慨深いものでした(一番感慨深かったのモーリス・スターでしょうけど)。

 

 ポップ・ミュージック史上の最大のスターといえば、プレスリービートルズマイケル・ジャクソンになると思いますが、みんな若い女の子たちから”とてつもなく”人気がありました。

 

 ということは、つまるところ、若い男性アーティストが若い女性たちを夢中にさせる、というのが最強のポップスなのかもしれない、とうに中高年になりながら懸命に踊り歌うニュー・エディションとニュー・キッズのメンバーの姿を見ながらそんなことを考えました。

 (僕は男なんで、若い女の子が切ない気持ちを歌うポップスにばかりに気持ちを惹かれてきましたが、、)

 

 そして、そこに歌だけじゃなくダンスを加えたマイケル・ジャクソンジャクソン5の功績と影響はものすごく大きくて(もちろん、それ以前にテンプテーションズなどの男性グループがいましたが)、歌とダンスを集団でアピールするボーイズ・グループというのはポップスの最強のフォーマットなのかもしれません。

 

 さて、まだ売れていなかった彼らのファースト・アルバムから。モーリス・スターは1曲だけカバーをやらせていました。それが「Didn't I (Blow Your Minf This Time)」(デルフォニックス)。彼らがブレイクしたあと1989年にリリースすると全米8位のヒットになりました。黒人ボーカル・グループのスタイルを白人のキッズたちにやらせるというコンセプトがはっきり出ていると思います。その曲のライヴ・ヴァージョンがありましたのでそちらを最後に。

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