おはようございます。
今日はエルヴィス・プレスリーの「冷たくしないで」です。
You know I can be found
Sitting home all alone
If you can't come around
At least please telephone
Don't be cruel to a heart that's true
Baby, if I made you mad
For something I might have said
Please, let's forget my past
The future looks bright ahead
Don't be cruel to a heart that's true
I don't want no other love
Baby, it's just you I'm thinkin' of
Don't stop thinking of me
Don't make me feel this way
C'mon over here and love me
You know what I want you to say
Don't be cruel to a heart that's true
Why should we be apart?
I really love you, baby, cross my heart
Let's walk up to the preacher
And let us say "I do"
Then you'll know you'll have me
And I'll know that I'll have you
Don't be cruel to a heart that's true
I don't want no other love
Baby, it's just you I'm thinkin' of
Don't be cruel to a heart that's true
Don't be cruel to a heart that's true
I don't want no other love
Baby, it's just you I'm thinkin' of
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君は見つけるだろう
家でひとりぼっちの僕を
君が来れないなら
せめて電話してほしい
冷たくしないで 本気のハートに
ベイビー、もし僕が言ったことのせいで
君を怒らせてしまったなら
どうか、過ぎたことは忘れようよ
この先の未来は明るいよ
残酷にならないで 本当のハートに
他の愛なんていらない
ベイビー、僕が思っているのは君だけなんだ
僕のことを考えるのをやめないで
こんな気持ちにさせないで
さあここへ来て 僕を愛して
僕が君に言って欲しいのは何かわかるだろ
冷たくしないで 本気のハートに
なぜ僕たちは離れなければならないの?
本当に君を愛している、ベイビー、神に誓って
牧師さんのところに行って
”誓います”と言おう
そうすれば僕は君のものさ
そして君は僕のものになるのさ
残酷にならないで 本当のハートに
他の愛なんていらない
ベイビー、僕が思っているのは君だけなんだ
冷たくしないで 本気のハートに
残酷にならないで本気のハートに
他の愛なんていらない
ベイビー、僕が思っているのは君だけなんだ
(拙訳)
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白人と黒人の音楽を一つに融合させたのがエルヴィス
出典が見つからず正確に書けなくて申し訳ないのですが、確か大瀧詠一が、エルヴィスのどこがすごいのかということについて、それまでバラバラに存在していたアメリカのいろんな音楽を彼がひとつにまとめたのだという主旨の発言をしていて、なるほど、と思ったことがあります。
また、「エルヴィス・プレスリー:ザ・サーチャー〜キング・オブ・ロックの魂の記録〜」というドキュメンタリーでは、トム・ペティがこう語っています。
「彼がロックンロールを発明したわけじゃない。リトル・リチャードやジョー・ターナーなども偉大だ。エルヴィスが果たした役割はそういった人々とは違う。彼はカントリーや白人のゴスペルを融合しポップ・ミュージックを生んだ」
ゴスペル、ブルース、カントリー、ブルーグラスなどの音楽が彼の中で融合し、魅惑的な声と扇情的なアクションで大衆を魅了したわけですが、最終的に”ポップ・ミュージック”に落とし込まれていたこと、というのはとても大事なことかもしれません。
エルヴィス以降、彼に匹敵するレベルで成功したのは、ビートルズとマイケル・ジャクソンの2アーティストなると思いますが、大きな共通点がそこに見出せます。
ビートルズの場合、アメリカ南部の黒人音楽をルーツにする”スキッフル”や、リアルタイムでアメリカから届けられるR&Bの夢中になっていましたし、マイケル・ジャクソンの場合、逆に黒人でいながら幼少期から白人にアピールする音楽をひたすら磨き上げていく環境に置かれていました。
三者ともに、本質的に”白人の音楽と黒人の音楽の融合”という方程式が根底にあって、その化学反応が特異なレベルにあった、といえるのではないでしょうか。
ポップスとは黒人音楽の白人音楽の融合というのが本質的にあって、それが大衆にアピールする形で作り上げられたもの、だと言えるのかもしれません。
エルヴィスはアメリカ南部に生まれ、貧しい環境にあり、かつ母親が彼に寛容だったということが、彼の才能を大きく導いていたようです。
ミシシッピ州テュペロに生まれた彼は、黒人が多く住む貧しい地区で育ち、娯楽はラジオと教会で耳にする音楽だけだったそうで、彼は夢中に聴き入って曲を覚えたそうです。
そして、13歳の時にメンフィスに引っ越します。
「エルヴィスにとって、引越し先がメンフィスだったことが、どれだけ幸いだったかしれない。すぐ近くにカントリー音楽のメッカがあり、しかも黒人音楽、リズム・アンド・ブルースの発信地であるばかりでなく、メンフィスはまたゴスペルの中心地でもあった。それぞれの音楽のエッセンスが、まだ柔らかいエルヴィスの心の中に染み込んでいった」
(東理夫「エルヴィス・プレスリー 時代を変えた男」)
彼の両親は貧しいながらも、彼にギターやレコード・プレイヤーを与え、繁華街や今でいうクラブに行くことも許したそうです。メンフィスの夜の繁華街は音楽に満ち溢れていて、そこで、彼はリアルで最新の黒人音楽にどっぷり浸り、音楽だけじゃなく振り付けまでも吸収することができたのです。
そして、彼のレコーディングをしたのがサム・フィリップス。彼は”メンフィス・レコーディング・サーヴィス”という会社を運営し、彼がプロデュースし、現在では最初のロックンロールとも呼ばれていることも多い、ジャッキー・ブレンストン&ヒズ・デルタ・キャッツの「ロケット88」がヒットしたおかげもあって、”サン・レコード”というレーベルを1952年に立ち上げていました。
このグループは実はアイク・ターナーのバンドでした。
このレーベルに興味を持ったプレスリーは、なかなか勇気が出せず、配送の仕事中に車で会社の前を何度も行ったり来たりしていたそうです。
ある日彼はサムに電話してレコードを作りたいと申し入れます。
そして録音されたのが、「My Hapiness」と「That's When Your Heartaches Begin」の2曲で、両方ともバラードでした。
サムはこの曲には全く興味を持てなかったそうですが、エルヴィスには可能性を感じたようでセッションを試してみることにします。ギターのスコティ・ムーアとベースのビル・ブラックと一緒にやらせてみました。
しかし、最初はなかなか面白いものにならなかったそうですが、あるときエルヴィスがギターを突然かき鳴らし始め、二人も即興でそれに合わせると、サムも驚くほどの素晴らしいものになりました。
曲は黒人ブルース・シンガー、アーサー・"ビッグ・ボーイ"・クルーダップが1947年に歌った「ザッツ・オーライト・ママ」でした。
ブルースとブルーグラスが融合したようなエルヴィスのスタイルは大衆にとって初めて耳にする斬新なもので、このシングルはローカルで大変なヒットになりました。
そして、各地を巡り毎日のようにライヴをやることで鍛えられ、独自のスタイルを磨き上げた彼は、メジャーと契約します。
そしてリリースされたのが「ハートブレイク・ホテル」(1956年全米1位)でした。
そして同じ1956年の夏にリリースされたシングルがこの「冷たくしないで」でした。このシングルは両A面扱いで、もう1曲のほうもエルヴィスの代表曲のひとつ「ハウンド・ドッグ」でした。
この両A面は史上最強クラスですね。全米チャートでも11週間トップを独走し、当時の新記録を打ち立てています。
当初シングルとして、リーバー&ストーラーが作り"ビッグ・ママ"・ソーントンが歌ってヒットさせていた「ハウンド・ドッグ」を録音することは決まっていたそうです。
31テイクを録り「ハウンド・ドッグ」を完成させた日の午後、B面を録音するためにスタジオで”ヒル・アンド・レンジ”という彼の楽曲を管理している音楽出版社が持ってきたデモテープの山をエルヴィスがチェックして見つけたのが、この「冷たくしないで」でした。
曲を書いたのはオーティス・ブラックウェル。ニューヨーク、ブルックリン出身の黒人シンガー・ソングライターです。
「ブラックウェルは、東海岸のハードコアなブルースシーンのベテランだが、不思議なことに、カントリー&ウエスタンミュージックの生涯のファンでもある。子供のころ、ブルックリンのトンプキンス・シアターで、ジーン・オートリーやテックス・リッターといった歌うカウボーイの映画を一日中見ていたと、ブラックウェルは長年にわたって何度も告白している。ブルースとカントリーのミックスは、都会的な黒人のソングライターとしてはユニークなものだった」
「若き日のプレスリーを、そして最終的には世界中を魅了した「Don't Be Cruel」の魅力とは何だったのだろうか。
”ポップな曲だから”と言う人もいれば、”カントリー調の曲だから”と言う人もいる。実はもっと単純で、オーティス・ブラックウェルが白人歌手の声に合わせて作ったロックンロール曲だったのである」 (American Songwriter)
カントリー&ウェスタン好きの黒人ブルース作家が白人シンガーを想定して作り、それを、深く黒人音楽を敬愛する白人シンガーが歌ったR&Rナンバーが、この「冷たくしないで」というわけなんです。これはもう猛烈な化学反応を起こさないはずはないですね。
ちなみに、ブラックウェルはプレスリーが採用する前にこの曲を25ドルで出版社で売ってしまっていたそうですが、その後もプレスリーが彼の曲を取り上げています(「恋にしびれて(All Shook Up)」など)。
さて、「冷たくしないで」と「ハウンド・ドッグ」は1962年に日本でリバイバル・ヒットして、その時に大瀧詠一は初めて聴いたと語っていましたが、1984年にも日本で「冷たくしないで」がリバイバルしました。僕は、このCMで初めてこの曲を知って、エルヴィスにこんなポップな曲があるんだと思いました。
それから、僕と同年代の人で昔フィービー・ケイツにグッときてしまった男子、結構いた気がします。僕もそうだったんですけど、、(苦笑)。
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