おはようございます。
今日はエルヴィス・プレスリーの「好きにならずにいられない」です。
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Wise men say only fools rush in
But I can't help falling in love with you
Shall I stay? Would it be a sin
If I can't help falling in love with you?
Like a river flows
Surely to the sea
Darling, so it goes
Some things are meant to be
Take my hand, take my whole life, too
For I can't help falling in love with you
Like a river flows
Surely to the sea
Darling, so it goes
Some things are meant to be
Take my hand, take my whole life, too
For I can't help falling in love with you
For I can't help falling in love with you
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賢い人たちは言う 慌てるのは愚か者だけだと
だけど、僕は君に恋をせずにはいられないんだ
ここに残ってもいいかい?それは罪なのかい
君のことを好きにならずにはいられないのなら
必ず海につながっている
川の流れのように
ダーリン、しかたないことさ
そうなる運命にあるのさ
僕の手を取って、僕の人生までまるごと
だって僕は君を好きにならずにいられないんだ
必ず海につながっている
川の流れのように
ダーリン、しかたないことさ
そうなる運命にあるのさ
僕の手を取って、僕の人生までまるごと
だって僕は君を好きにならずにいられないんだ
だって僕は君を好きにならずにいられないんだ
(拙訳)
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エルヴィスの楽曲をサブスクで見てみると、この「好きにならずにいられない」はSpotifyでは1位、Apple Musicでは2位(1位は「ブルー・クリスマス」ですから季節的なものでしょう)と、彼の曲の中で現在最も人気のある曲のようです。
メンフィスのサム・フィリップスが運営するサン・レコードで録音した楽曲が大評判になり、せっせとライヴをやっていたエルヴィスはトム・パーカーという人物と出会います。
彼は本名をアンドレアス・コルネリス・ファン・カウクというオランダ人で、成功を求めてアメリカに密入国してきました。素性がバレないように、アメリカで陸軍に志願したときに面接をした人物であるトム・パーカーという名前を自分で名乗るようになったと言われています。
彼はプロモーターやジーン・アーノルドやハンク・スノウといったアーティストのマネージメントをやっていましたが、そこでエルヴィスに出会いマネージメントすることを申し入れます。
より大きな成功を求めていたエルヴィスは、業界にコネのあるパーカーにマネージメントをゆだねるようになります。
そして、パーカーはメジャーレーベルの契約を取り付け、エルヴィスは「ハウンド・ドッグ」や「冷たくしないで」、「ハートブレイク・ホテル」。「ラヴ・ミー・テンダー」など大ヒット曲を連発します。
そんな最高の勢いにのっていた彼は、徴兵通知を受けます。戦時中ではなかったのでで拒否することもできなくはなかったようですが、パーカーは軍隊に入ることを後押しし、しかも特別待遇なしで一兵卒として従軍するように指示したようです。
それは、当時エルヴィスに対する国民の印象を良くするためだったとも言われています。当時の彼は、若者たちからは熱狂的に支持されていても、多くの大人たちからは下品だとか偏見を持たれていたのです。
パーカーの狙いは、エルヴィスを国民的大スターにすることだったのです。
1958年から1960年までの2年間の軍務を終えたエルヴィスは歌手活動を再開しますが、徴兵以前にあれほど盛り上がっていたロックンロールは沈静化していました。エルヴィスという主役の不在は、ロックンロールの停滞に大きな影響を与えたのは間違いないでしょう。
そんな状況の中で、エルヴィスの1960年代は映画を軸にして、そこから音楽を発信していくという方向にシフトしていきます。
入隊前にも4本の映画に主演して、そこで使った歌もヒットしていたという実績もありましたし、エルヴィスが歌う映画を全国で上映すれば、コンサート活動をしなくてすむというパーカーの考えもあったようです。
エルヴィス本人は映画では本格的な演技をやりたがっていて、劇中では歌いたくなかったと言われています。
彼は生涯でなんと32本もの映画に主役をつとめています(1964年から1969年までは年に3本作られています)が、その代表作の一つが1961年の「ブルー・ハワイ」。
その映画で歌われていたのがこの「好きにならずにいられない」でした。
劇中で彼はヒロインに対してじゃなく、ヒロインの祖母のために歌っているんですね。
この曲を書いたのはヒューゴ&ルイージとジョージ・デヴィッド・ワイス。ほとんど同時期にヒットしたトーケンズの「ライオンは寝ている」も彼らの作品でした。
ジョージ・デヴィッド・ワイスは音楽出版社から「ブルー・ハワイ」用に曲を書くように依頼されましたが、脚本を読んでその内容のひどさに愕然として一度は断ったと言います。
しかし、説得されてあらためて脚本を読み直し、祖母にオルゴールを買ってあげるシーンを見つけます。
「感動的だったし、オルゴールだったから、エルヴィスの声に合う何か甘いものが書けると思ったんだ」
「メロディーにはエルヴィスっぽさを入れたけど、歌詞はただすぐに出てきたんだ。その曲を出版社の人間に聞かせたところ、10秒くらい沈黙した後、『ジョージ、いい曲だが、僕らはエルヴィスの『ハウンド・ドッグ』がほしいんだ』と言われたよ」
(nj.com True Jersey Aug. 25, 2010)
そしてエルヴィスは、彼の自宅で側近の人間が映画用のデモテープの山をサンプリングしているときに、寝室から廊下を歩いていて、たまたまこの曲を耳にしたといいます。
「彼が『何だそれは』と言うと、彼らは『心配するな、エルヴィス、馬鹿げたバラードだ』。彼は『いや、これは僕の映画でやりたいんだ』と言った。”彼が曲を選んだんだよ。他のみんなは却下したのに”とワイスは語った」
(nj.com True Jersey Aug. 25, 2010)
エルヴィスは曲は書きませんでしたが、曲を選ぶ耳は誰よりも優れていたんですね。
ちなみにこの曲はジャン・ポール・マルティーニの歌曲「愛の喜びは(Plaisir d'Amour)」のメロディを元に作曲されたのだそうです。
最後に数あるカバーの中から最もヒットしたUB40の1993年のヴァージョンを。エルヴィスのオリジナルは全米最高2位でしたが、こちらのカバーは全米7週連続1位になっています。
もともと「ハネムーン・イン・ヴェガス」という映画で、いろんなアーティストたちにエルヴィスのカバーをさせようということになり、UB40にも依頼が来てドラマーの希望で「好きにならずにいられない」をカバーしたのだそうです。
しかし、この曲はU2のボノもカバーしていたため、UB40のヴァージョンは使われませんでした。しかし、経緯はわかりませんが、シャロン・ストーン主演の「硝子の塔」で使われることになり、サウンドトラックのトップに収録されています。
こちらも、ヒューゴ&ルイージとジョージ・デヴィッド・ワイスの作品