まいにちポップス(My Niche Pops)

令和元年初日から毎日更新中〜1日1ポップス。エピソード、歌詞の和訳、謎解き、マニアックな捜査、勝手な推理、などで紹介していきます。text by 堀克巳(VOZ Records)

「ドック・オヴ・ベイ((Sittin' On) The Dock of the Bay)オーティス・レディング(1968)

 おはようございます。

 今日はR&B史上屈指の名曲「ドック・オブ・ザ・ベイ」、リリース当時は「ドック・オヴ・ベイ」と表記していたんですね。


オーティス・レディング Otis Redding/ドック・オブ・ベイ The Dock of the Bay(1967年)

 

 ”朝日の中で座ってる

 夜が来てもそのまま座ってるんだろう

 いくつも船が入ってくるのを見つめ

 そしてまた船が出てゆくのを見てるだけ

 

 港の桟橋に腰掛けて

 潮が引いていくのをじっと見ている

    港の桟橋にただ座ったまま

    時間を潰している

 

 俺はジョージアの家を出て

 フリスコ・ベイに向かったんだ

 だって生きがいが何もなかったし

 これから何か起きそうにも思えなかったから

 

 港の桟橋に腰掛けて

 潮が引いていくのを見つめてる

    港の桟橋にただ座ったまま

    時間を潰している

 

 何一つ変わりそうもない

 みんなずっとそのままさ

 10人もの人たちがやれと言うことが俺にはできないんだ

 だから、俺はずっとこのままなんだって思う

 

    骨休めでここに座っている

 このさみしさは俺を離そうとしない

 

    この港を俺の住処にするためだけに

    俺は2000マイルもさまよい歩いたなんてね

 

   港の桟橋に俺はただ座っているだろう

 潮が引いていくのを見つめながら

    港の桟橋に座ったまま

    時間を潰している            ” (拙訳)

 

 オーティス・レディングは1967年の12月にこの曲をレコーディングしますが、その3日後に自家用機が墜落し、バンド・メンバーとスタッフとともに亡くなってしまいます。まだ彼は26歳でした。

 そして、年が明けて1月にこの曲がリリースされると、彼にとって初めてで唯一の全米1位のヒットになります。

 

 彼を一躍有名にしたのは1967年の”モンタレー・ポップ・フェスティバル”。ママス&パパスやジャファーソン・エアプレイン、サイモン&ガーファンクルなどが中心のイベントでしたが、結果的にジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョプリンそしてオーティスをブレイクさせたものとして今では記憶されています。


Otis Redding Try a little tenderness Monterey 1967

 彼はR&Bやゴスペルに深いルーツを持ちながら、ビートルズストーンズボブ・ディランからも影響を受ける柔軟な感性を持っていたようです。

 「ドック・オブ・ザ・ベイ」を書いた時、彼はビートルズの「サージェント・ペパーズ」を熱心に聴いていたと言われています。

 そして、この曲の歌詞は実際に彼の人生が反映されています。

 これ自身生まれはジョージアで、十代の頃から家族を助けるために井戸掘りやガソリンステーションなどの仕事をしながら音楽を続けていたようです。

 フリスコ・ベイ(フリスコ湾)はサンフランシスコの港で、1966年に彼は有名なコンサート会場フィルモア・ウエストでライヴをやるときに、ホテルではなくボートハウスに滞在し、そこからこの港の光景を見ていたと言われています。

 

 

   この曲は今までの彼のイメージとは全く違うものでした。

 彼は今では”キング・オブ・ソウル”と呼ばれていますが、まさに本来は熱く、ソウルフルなシンガーです。しかし、この曲では”動”から”静”へと、シャウトから淡々とした歌い方へとシフトしています。

  この曲を彼と共作し、プロデュースしたスティーヴ・クロッパーはこう語っています。

 「この曲はほとんどのオーティスの曲とは違っていて、ちょっと王道のポップミュージック(ミドル・オブ・ザ・ロード)っぽいテンポ感がある。バラードでもなく、アップテンポでもなく、ハードロックでも、彼が得意とするダンスものでもない。もっとレイドバックしている。われわれはクロスオーバーする曲を探していたんだ。R&Bチャートを超えてポップ・チャートにも載るようなね。そしてこの曲にはそれがあるってわかったんだよ。それというのはまさに感覚的なものだ。この曲を聴いたとたん、これだ!

何の疑いもなく、この曲こそそれだ、ヒットになるってね。」

 

 しかし、彼が所属していたレーベル”スタックス”のチーフ・スタッフはこの曲を聴いてリリースしたくないと思ったそうです。オーティスらしくなく、R&Bらしくなかったからです。彼らはモータウンのような当初からクロスオーバー・ヒットを狙うのとは反対で、本格的なR&Bを生み出し続けることで黒人のファンから支持を集めていたレーベルでした。

 

 しかし、結果的にこの曲はクロスオーバー・ヒットになります。しかも、20世紀のアメリカのラジオとテレビで最も放送された曲の第6位(1位「ふられた気持ち」2位「ネバー・マイ・ラブ」3位「イエスタデイ」4位「スタンド・バイ・ミー」5位「君の瞳に恋してる」)にまでなったわけです。

 

 この曲の演奏をつとめたのはブッカー・T&MG'S。スタックスのハウス・バンドとして、R&Bの代表曲の多くを手がけたバンドですが、ギターのスティーヴ・クロッパーとベースのドナルド・ダック・ダンは白人でした。

 

 それから、エンディングの印象的な口笛は、オーティスが現場でアドリブでやったもので、彼は曲のエンディングのアドリブを考える天才であり、レコーディングに際してたくさんのイントロや曲のタイトルなどのネタを持って来るアイディア・マンだったようです。

 

 さて今回僕があらためてこの曲を聴いてひきつけられたのは歌詞です。

 夢のない田舎町を捨てて出て来たのに、結局こうして港の桟橋に座って1日過ごしてるだけ、若い頃聴いたら僕はただ社会的敗者の歌だと思ったかもしれません。

 ただし、この歌には、そういう悲壮感や絶望感はありません。否定でも肯定でもなく、勝者も敗者もなく、ただ大きな時間の流れに包まれていて、ただ生きている、という感覚があります。

 俯瞰して見れば、大多数の人間が多かれ少なかれただ無駄に時間を費やしているにすぎないかもしれないけれど、それがすなわち生きているということなのかもしれないな、などと、そんな風に僕には思えて来たのです。

 

 オーティスが実際にフリスコ・ベイの景色を眺めていたときは、アーティストとして上昇気流に乗って多忙な時期ときでした。この歌に出て来る人間とは正反対です。

 しかし彼はその景色に、何も変わらない人生をただ時間を潰すように生きている人間を置いたわけです。

 実際にフリスコ・ベイの景色の中にそういう人がいたのかもしれませんが、それはやはり彼の想像力であり、作家性でもあると思います。そして、そこに同時にアーティストとして売れていても昔と何にも変わることなく満たされてはいない自分自身を重ねていたのかもしれません。その結果として、故郷のジョージアの人たちをはじめとする多くの人々に共通するような人生の本質を彼は見出したようにも思えます。

 何か人間の本質的な心情にふれる歌でなかったら、これほどのスタンダードにはなっていないわけですから。

 いずれにしても、彼は当時まだ26歳、大変な才能の持ち主だったのは間違いありません。

 

 また、これは個人的な感情でしかないのですが、昨今の状況の中でこの曲が妙に沁みて来ました。無事でいれることは本当に幸いなことなんですが、ただ状況を見ていることしかできないような毎日がそういう気持ちに結びついたのかもしれません。

 

 

  さて、これほど決定的なオリジナル・ヴァージョンがあるにも関わらず、カバーして見たいという誘惑が強いのでしょう、たくさんのカバーがありますが、その中からオーティスの2人の息子とそのいとこの3人組”レディングス”のヴァージョンを。1983年のサードアルバム「Steamin' Hot」に収録されています(ちなみに彼らのファースト・アルバム「Awakening」はなかなか素敵なアルバムでした)。

 


The Reddings - (Sittin' On) The Dock Of The Bay

 

 

ドック・オブ・ザ・ベイ

ドック・オブ・ザ・ベイ