おはようございます。
今日はジョニー・ナッシュの「アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ(I Can See Clearly Now)」です。
I can see clearly now the rain is gone
I can see all obstacles in my way
Gone are the dark clouds that had me blind
It's gonna be a bright (Bright)
Bright (Bright) sun-shining day
It's gonna be a bright (Bright)
Bright (Bright) sun-shining day
Oh yes, I can make it now the pain is gone
All of the bad feelings have disappeared
Here is that rainbow I've been praying for
It's gonna be a bright (Bright)
Bright (Bright) sun-shining day
(Ooh)
Look all around, there's nothing but blue skies
Look straight ahead, there's nothing but blue skies
I can see clearly now the rain is gone
I can see all obstacles in my way
Here is that rainbow I've been praying for
It's gonna be a bright (Bright)
Bright (Bright) sun-shining day
It's gonna be a bright (Bright)
Bright (Bright) sun-shining day
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今ははっきり見えるんだ 雨はあがった
僕のゆく手を邪魔するものも全部わかる
消えたんだ、僕の視界をふさいでいた暗い雲は
やってくるよ、まぶしく太陽が輝く日が
やってくるよ、まぶしく太陽が輝く日が
そうさ、今ならやれるよ 痛みは消えた
嫌な感情はみんな消えてくれた
虹が出てきたよ 僕がずっと祈ってた虹が
やってくるよ、まぶしく太陽が輝く日が
見渡してごらん、一面の青空
まっすぐ前を見てごらん どこまでも青空
今ははっきりわかるんだ 雨はあがった
僕がゆく手の障害物も全部わかるよ
虹が出てきたよ 僕がずっと祈ってた虹が
やってくるよ、まぶしく太陽が輝く日が
やってくるよ、まぶしく太陽が輝く日が
やってくるよ、まぶしく太陽が輝く日が、、
(拙訳)
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明るくポジティヴなイメージの曲の代表作のひとつですが、アメリカで初めて1位を獲得したレゲエ・ナンバーでもあります。
しかし、この曲を作って歌っているジョニー・ナッシュという人はジャマイカ人ではありません。しかも元々は全く違うスタイルの音楽をやっていて、長いキャリアの中で紆余曲折あって見つけたのがレゲエでした。
彼はテキサス州ヒューストンで運転手の息子として生まれました。聖歌隊で歌い始め、13歳の頃には地元のローカル番組に出演してR&Bのヒット曲をカバーして歌っていたそうです。
1957年17歳でデビュー、翌年「A Very Special Love」が全米23位のヒットになります。この曲はミュージカル・スターのジーン・ケリーが映画「初恋」で歌っていた曲のカバーで、ドリス・デイなどもとりあげていました。
当初彼はアイドル的なポピュラー・シンガーとして売り出されたんですね。
その翌年には、やはりアイドル的な人気があったポール・アンカとジョージ・ハミルトン四世と3人で歌った「The Teen Commandments」が全米29位にあがっています。
彼は俳優もやるほどの人気者でしたが、歌手としては1959年に映画「カサブランカ」で有名な「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」をカバーしてそこそこヒットした以降は、低迷期に入ってしまいます。
1961年には、なんとフィル・スペクターの作、プロデュースでシングルをリリースしています。フィルはまだ21歳で駆け出しの頃、彼の師匠のリーバー&ストーラーがその仕事をふったようです。
曲は「Some of Your Lovin」。リーバー&ストーラーの手がけたドリフターズのサウンドをフィルなりにトライした”習作”という雰囲気があります。全米104位という成績でした。
1964年に彼はマネージャーとともにレーベルを立ち上げますが2年で破産してしまい、苦境に立たされます。
そこで活路を見出すために彼らが向かったのがジャマイカでした。1957年に映画のロケで一度訪れたことがあった土地でした。ジャマイカはレコーディング費用が安く、そこでアメリカのシンガーを売ってみようと思ったようです。
(またマネージャーが黒人人権活動家マルコムXとつながりがあったため、FBIの追求から逃れる意図もあったという話もあります)
1965年には「Let's Move & Groove Together」という曲が久々のヒットになりましたが、彼とマネージャーはそのままジャマイカに移住することに決めました。
そして、ジャマイカでジョニーが見出したアーティストがボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズだったのです。そして、ジョニーは彼らを主に作家として自分たちの会社で契約し、深く交流していくことになります。
また、1968年には彼は、ジャマイカのリズムを取り入れた曲をリリースすることで、約10年ぶりにヒットを飛ばします。それが「HOLD ME TIGHT」全米5位という彼にとって過去最大のヒットになりました。
また、この曲のB面に彼が敬愛するサム・クックの「キューピッド」をやはりジャマイカ風のアレンジでカバーし、全米39位のヒットになっています。
そして、彼は1971年にジャマイカのバンド"Fabulous Five Inc. "をバックにアルバムを制作し、そのアルバムからのシングルでタイトルトラックがこの「アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ」だったのです。
このアルバムでは、のちにボブ・マーリーの代表曲になる「Stir It Up」をとりあげていて、全米12位のヒットにしています。
ジョニー・ナッシュという人は、単にアメリカ初のレゲエ・ヒットを出しただけじゃなく、最初にボブ・マーリーを見出して、アメリカやイギリスに広めた人でもあったのです。
彼のマネージャーのダニー・シムズはこう語っています。
「ジョニーはレゲエを愛していました。そして、ボブと仲間たちのことも。彼がボブにマイクを使った歌い方を教え、彼らがジョニーにレゲエのリズムの演奏の仕方を教えたのです」 (Chron June 15, 2012)
彼は1975年に「Years On My Pillow」という曲が全英1位になり、翌1976年に彼の敬愛するサム・クックの「ワンダフル・ワールド」を発売したあたりから活動のペースを一気に落としていきます。
1980年代は1985年に一枚アルバムを出したきりで、それ以降は音楽シーンから完全にいなくなり、1994年を最後に取材なども一切断っていたようです。
シムズは彼についてこう語っています。
「彼はとても静かで、とても繊細です。過去を振り返ることに興味がないのだと思います」 (Chron June 15, 2012)
僕はこの曲をずっと、とことん楽観的な歌だと思いこんでいたのですが、今回和訳してみて誤解していたことに気づきました。
ポイントはこの一節、
”I can see all obstacles in my way”
僕の行手にある障害物が全部見える、っていうところです。
普通なら、邪魔するものは何もない、となりそうなもんですが、そうじゃないんですね。自分にとっての問題点が全部はっきり見えたから、気分がすっきりしたんです。問題があることより、どんよりとしてすべてが不明瞭なほうが実はつらい。
本当にそうです。だいたい、生きていてまったく問題がないことなんて、一瞬たりとてないですもんね。ただ、それがまだ切迫していない時期があるだけで。しばらくして障害物が見えてきます。遠い未来の障害物のことをわざわざ生み出して、いまから不安になる心配性に人もいます。僕もそうかも。
でも、問題点がはっきりすると、自分が何をすべきかわかる、そして、問題点を一つ一つ退治してゆく、これがすごく大事ですよね。
(だいたい、コロナがそうです。不明瞭にすることがかえって不安を増大させ、混乱を大きくしたように思います)
ジョニー・ナッシュは、そのあたりをよくわかっていた人なんだな、と思ってしまいました。
最後は、ジョニー・ナッシュのオリジナルよりも現在は耳にすることが多い、ジミー・クリフのカバーを.