まいにちポップス(My Niche Pops)

令和元年初日から毎日更新中〜1日1ポップス。エピソード、歌詞の和訳、謎解き、マニアックな捜査、勝手な推理、などで紹介していきます。text by 堀克巳(VOZ Records)

「ウィズアウト・ユー(Without You)」ニルソン(1971)

 おはようございます。

 今日はニルソンの「ウィズアウト・ユー」を。


Harry Nilsson - Without You (Audio)

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No I can't forget this evening or your face as you were leaving
But I guess that's just the way the story goes
You always smile, but in your eyes
Your sorrow shows
Yes, it shows

No I can't forget tomorrow
When I think of all my sorrow
When I had you there but then I let you go
And now it's only fair that I should let you know
What you should know

I can't live       If living is without you
I can't live       I can't give anymore
I can't live       If living is without you
I can't give      I can't give anymore

Well, I can't forget this evening or your face as you were leaving
But I guess that's just the way the story goes
You always smile, but in your eyes
Your sorrow shows
Yes, it shows

I can't live       If living is without you
I can't live       I can't give anymore
I can't live       If living is without you
I can't live       I can't give anymore

No no no no I can't live
If living is without you
I can't live       I can't give anymore
I can't live

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 忘れることなんかできない この夜のことは

 そして、去ってゆく時の君の顔も

 だけど、僕たちの物語はそうなると決まっていたのかもしれない

 君はいつも微笑んでくれたけど

 その瞳には悲しみが映っていた そう、映っていたんだよ

 

 忘れることはできない

 僕が悲しみでいっぱいになって

 かつて君はそこにいたのに、僕は手放してしまったことを知る

 そんな明日のことは

 もう今は 君が知るべきことを知らせることだけが

 フェアなことなんだろう

 

 生きてはゆけない 君のいない人生なんて

 生きてはゆけない 何も与えることもできない

 生きてはゆけない 君のいない人生なんて

 生きてはゆけない 何も与えることもできない

 

 忘れることなんかできない この夜のことは

 そして、去ってゆく時の君の顔も

 だけど、僕たちの物語はそうなると決まっていたのかもしれない

 君はいつも微笑んでくれたけど

 その瞳には悲しみが映っていた そう、映っていたんだよ

 

 生きてはゆけない 君のいない人生なんて

 生きてはゆけない 何も与えることもできない

 生きてはゆけない 君のいない人生なんて

 生きてはゆけない 何も与えることもできない     (拙訳)

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   ロック、ポップス史上屈指の名バラードと言っていいのではないでしょうか。

 この曲のオリジナルはバッドフィンガー。アルバム「NO DICE」のなかで、昨日紹介しました「嵐の恋」の次に収録されていました。作者はメンバーのピート・ハムとトム・エヴァンズ。


Badfinger - Without You - Television 1972

 この曲はヴァース(Aメロ)はピートが「If It's Love」というタイトルで作っていたものでサビが気に入らなかったところに、トムが「I Can't Live」というサビだけできていた曲があって、それをドッキングさせたものなのだそうです。

   ちなみに、ピートの「If It's Love」のデモは後に公表されています。


Pete Ham - Without You

 ピートの考えたサビも、彼らしくメロディが美しくて優しいですね。

 

 

 そして、歌詞には二人のガールフレンドとの関係が反映されていると言われています。

 特にトムは当時つき合っていて将来奥さんになるマリアンヌという女性が彼の元を離れたことがあって、彼は彼女を探してよりを戻したそうですが、その時の思いを歌詞に綴っていたのです。

 

 この曲をLAのローレルキャニオンで開かれたとあるパーティーでこの曲を耳にしたのがニルソンでした。

 彼は最初、あまり知られていないビートルズの曲だと思ったのだそうです。レコード店に行って探したあげく、それがバッドフィンガーの曲だということがわかりました。

そして、彼は自分のアルバムにこの曲を入れようと考えます。

 

 ニルソンはポールが脱退した後にビートルズに入るのではないか、などという噂もあったほど、ビートルズと因縁のあるアーティスト。音楽的にもビートルズに大きな影響を受け、メンバーとも交流がありました。

 彼はこの頃すでに「うわさの男」などヒット曲を出して、すでに実績のあるアーティストでしたが、あらたな展開を求めてリチャード・ペリーをプロデューサーに迎えることになります。ペリーもまた大のビートルズ・ファンでした。

ファッツ・ドミノにインスパイアされてポール・マッカートニーが作った「レディ・マドンナ」をファッツ・ドミノ自身にカバーさせたのが彼でした)

 ペリーはこう語っています。

「本当の意味で彼をアメリカ版のビートルズにギリギリまで近づけようと思ったら、方程式に一つ、足りない要素があることはわかっていた。アルバムをイギリスで作ることだ」

                  (「ハリー・ニルソンの肖像」)

 

 そしてロンドンでレコーディングされたのが「ニルソン・シュミルソン」というアルバム。そこに収録されたのが「ウィザウト・ユー」でした。

 ニルソンもペリーもロンドンに到着するときにはこの曲を録音することに決めていました。そして到着するとすぐにニルソンはこの曲をピアノ弾き語りによるデモを録ります。


Harry Nilsson Without You RARE Piano Demo

  サビのピアノのコードがおかしなことになっていますが、すごく情感が伝わってくるものだと思います。

 これは僕の勝手な考えですが、バッドフィンガーのオリジナルは、ピートの作った部分はピートが歌い、トムが作ったサビはトムが中心にコーラスするというかたちをとっているので、その間には少しギャップがあるようにも思えるんです。

 そこに、ニルソンは彼なりの解釈で歌の技量と熱量を注ぎ込むことで、曲全体をひとつにまとめあげることに成功したのではないかと。

 本当の意味でこの曲を最終的に”完成させた”のがニルソンだったのだと僕は思います。

 

 しかし、この曲のバッキングのオケの録音が始まるとニルソンは、だんだんこの曲に対してネガティヴな態度を取り始めたといいます。曲の歌詞をこき下ろし始めたり。

 ニルソンはピアノのデモのスタイルでやりたいと言っていて、それをペリーが必死に説得したという経緯がありました。ペリーは彼がまだそれを諦めてなかったんじゃないかと推測しています。ストリンングスも入ってどんどんゴージャスになってゆく伴奏にニルソンはとまどったのかもしれません。

 ペリーはニルソンとホテルで再度話し合い、その足でスタジオに向かいレコーディングされたのが、このヴォーカル・テイクだったそうです。

 

 そして、曲の最終ミックスダウンのときに、となりのスタジオではなんとバッドフィンガーがレコーディングしていたそうです。

「ハリー(ニルソン)とリチャード(ペリー)は彼らを招き入れ、軽くシャンパンを注いでから、この曲をフルヴォリュームで再生した。この曲を共作したトム・エヴァンズとピート・ハムは、伝えられるところによると、言葉を失っていたという」

(「ハリー・ニルソンの肖像」:「ニルソン・シュミルソン」ライナーノーツからの引用)

 

 この曲は全英1位、全米では4週間も1位を続ける大ヒットになりました。

現在までに180以上のアーティストがカバーしていると言われています。その中で最も有名なのが1994年、偶然にもニルソンが亡くなる1週間後というタイミングでリリースされることになったマライア・キャリーのヴァージョンでしょう。


Mariah Carey - Without You (Live Video Version)

 マライアのヴァージョンは全米3位でしたがイギリスをはじめとするヨーロッパ各国では軒並み1位を獲得し、彼女にとってヨーロッパ最大のヒットになっています。

 

 昨日の「嵐の恋」の記事でも触れましたが、作者のピート・ハムはひどいマネージメントのせいで、収入がなくなってしまい失意の中で命を絶っています。ニルソンのヒットから4年しか経っていない1975年のことですから、「ウィズアウト・ユー」の印税も正当な金額が支払われていなかったのは間違いないでしょう。

 また、1983年にやはり金銭的な問題が要因になり自ら死を選んだトム・エヴァンズが直前にバンドのメンバーと「ウィズアウト・ユー」の印税のことで電話で口論になっていたという話があるそうです。以前にその曲の印税は他のバンドのメンバーにも分けると口約束したことがあったそうなのです。しかし、そのとき、トムは75万ドルもの印税が未払いのまま長い裁判に巻き込まれていて、そこに税金の徴収や様々な支払いに追い立てられた状態だったと言われています。

 

 これほどの莫大な印税を生み出した曲の作者が二人とも、それを手にすることもなく、困窮したまま命を絶ってしまっていたというのは、やはりどうしようもなくやりきれない気持ちになります。

 

 その後、彼らの名誉を回復させようという動きもあり、2013年にはピート・ハムの故郷のウェールズの都市スウォンジーに、イギリスで人類の繁栄と幸福に重要かつ積極的な貢献をした人物、非凡かつ傑出した個性を持った人物に対して作られる銘板(ブルー・プラーク)が設置されたそうです。

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 また、マライア・キャリーの印税は正当に遺族に渡ったようで、トムの奥さんのマリアンヌはトムの死後は様々な仕事をやりながら必死に食いつないできたそうですが、1989年に息子を連れて故郷のドイツに帰り、1994年にマライアのカバーが大ヒットして以降は夫の印税で借金を返済し、子供を無事育て上げることができたようです。

 

 そして、ケルンでクリス・デ・バーがライヴをやったときには、客席にいた彼女に対して”特別な女性”として「ウィザウト・ユー」を歌って捧げたというエピソードが残っています。 

 

(参考:Songfacts    JAZZANDROCK.COM) 

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