おはようございます。
桑田佳祐ほどの才能をしても、単純明快でワクワクするようなポップ・チューンはそう簡単に書けないのかもしれません(もちろん、他のアーティストに比べれば全然多いと思いますが)。
その長いキャリアの中で、彼のルーツとなっている歌謡曲、ロック、フォークなどのジャンルにその都度振り切りながら、一度振り切ってしまうとまた次の違うジャンルへと向かってゆく、そういうサイクルを繰り返しているように僕には見えます。
彼が軽快なポップチューンに振り切ったタイミングはというと、「思い過ごしも恋のうち」と「C調言葉にご用心」(1979年)があって、次には「悲しい気持ち」「みんなのうた」(1987、88年)があって、その次がこの「波乗りジョニー」の頃かなと思います。
「波乗りジョニー」を作った時のことを彼はこう語っています。
「『孤独の太陽』のような世界観と向かい合って、無事あれを作り上げたことで、そのあとは自然に力も抜けていった。肩の荷も降りて、「自分も音楽も自由だ」と錯覚し始める。
ちょうどそんな心理状態の時に、清涼飲料水のCMソングを、という依頼があって、目の前に真っ白で大きなキャンパスをプレゼントしてもらったような気分になった。
もちろん、完成させるまでの集中力も。
作業的には、まず CMで流れる部分から作った。時間をかけずにパパッと書いた。パパッとなのだから、作曲時の細かいことは覚えてなかったりする。ただ、曲つくりというのはその方が良かったりする場合がある。
タイトルに”波乗り”とあるのは、僕が趣味でサーフィンをやっていることと多少は関係あるかもしれないけど、正確には違う。
実は大学生の頃から、
「いつかこのタイトルで曲を作ろう」
と思っていた。
東海道新幹線の座席に座りながら、「波乗りジョニー」っていうのは語呂もいいし、いつか作れたらいいなあ、と真剣に考えていた。いや妄想していたのだ。
この歌をいくら聴いても、「ジョニー」という主人公が出てこないのは、そんな理由からでもある」
(「やっぱりただの歌詞じゃねえか、こんなもん」桑田佳祐)
「孤独の太陽」とは1994年にリリースされた彼のセカンド・ソロアルバムで、「悲しい気持ち」が収録されたファースト「KEISUKE KUWATA」に比べると、内省的で重いアルバムだと言われています。その分、深く胸を打つ作品だとして高く評価する人も少なくありません。
このアルバムに収録されている「月」は、彼の母親が亡くなった後に”なんとなくメロディが降るように浮かんできた”という、彼自身が自分の曲で一番好きだと語っているものです。
この「孤独の太陽」というアルバムについて彼は
「このアルバムにしても、やはり根底にあるのはポップスだということを改めて感じた。ギター一本でやろうが、髭を生やしてメッセージ・ソングを歌おうが、やはり本質は変わらない。
「自分はこれからも・ポップ・シンガーであることに拘っていく!」
青臭いながらも、そんな旗印を見出せたからこそ、自分はアーティストとして前を向くことが出来たと思う。
その確認にもなったアルバムだった。」
(「やっぱりただの歌詞じゃねえか、こんなもん」桑田佳祐)
「波乗りジョニー」を初めて聴いた時、本当に完全無欠なポップ・ソングだと思ったのですが、そこにたどりつくまでに、一度真逆の、暗く重い方向に振り切っていたわっけで、そこからの”反動のダイナミズム”とでもいうべきものが、働いていたのですね。
考えてみれば「悲しい気持ち」で自身にとってのポップスを”再発見”したときはKUWATA BANDで”日本人のロック”と格闘したあとでした。
彼が明快なポップスを生み出す直前には、反対方向に一度振り切っているんですね。
なんとなく明るい、とかネアカな人には、人の心を明るくさせるポップ・ソングは決して作れないのでしょう。
闇の深さを知る者にしか、光の眩しさやありがたみがわからないように。
フィル・スペクターでもブライアン・ウィルソンでもそうでしょうし、大瀧、達郎などもそうでしょう、本来”暗さ”の濃いパーソナリティが生みだすポップスにこそ”魔法”が感じられます。
それから、桑田佳祐の”サイクル”を追ってゆくと、軽快なポップスに振り切ったタイミングに”隣接”するかのように、バラードの名曲が生まれています。
「思い過ごし」、「C調言葉」の直前には「いとしのエリー」が、「悲しい気持ち」の直後には「いつか何処かで」、「波乗りジョニー」の直後には「白い恋人達」(前年には「TSUNAMI」)という風に。それから、「真夏の果実」と「希望の轍」という組み合わせもあります。
彼のバラードは素晴らしいには日本国民全員が知っていることでしょうが、”ポップス期”と隣接した時期のバラードは特に”洗練度が高い”と僕は感じます。
(例えば「KEISUKE KUWATA」に収録されている他のバラードも、”日本のバカラックか”と呼びたくなるような空気感があります)
きっと、彼のソングライターの本能的なものなのでしょうから深くはわかりませんが、軽快で心踊るポップ・ソングと切なく美しいバラードというのは”表裏一体”のものなのかな、などと僕は勝手にイメージしてしまいました。